Wednesday, December 14, 2011

1000回目

日本のニュースはここカナダでも入ってきます。日本政府が必死に隠したいような都合の悪いことだって、カナダのジャーナリズムは隠しだてしません。福島原発の建屋の屋根が爆発で飛んだ映像も迫力ありました。あれで放射能の心配はないって言われても、説得力がなんにもないの。だから日本の放送はあの部分を、遠くから離れたスチール写真でしか報道していませんでした。知らないということは、怖い!知らされないことも、怖い!

今日のCBC(カナダ国営放送)ニュースでは、韓国の日本大使館前で週に1度行われる従軍慰安婦への謝罪を求めた抗議集会が今日で1000回目を迎えたことを放送していた。この運動は1990年代に始まったらしい。

韓国での集会が1000回目を迎えたことで、オタワの高校2年生のグループがこの問題をプロジェクトとして取り上げ、学校全体としてオタワの日本大使館へ、日本政府は従軍慰安婦に公式に謝罪すべきだと抗議したことを伝えていた。プロジェクトに関わった高校2年生の女生徒がテレビインタビューに応えていた。

まだ高校生のその子は、自分達で行ったリサーチをもとにきちんと理解している。もうかれこれ70年も前に、15~18歳の女の子が日本政府に連行されて、1日に30回も性の奴隷として兵士の相手をさせられたということを聞いた。性病を移されたり、中絶をさせられて一生子供が生めない体になったり、戦争が終わって家に戻っても、世間から冷たい扱いを受けたと理解していると。戦後何十年もたった今となっても、この従軍慰安婦問題は、慰安婦だった少女達と同年代の今のカナダの高校生はとてもいたたまれない残酷な事実として受け止めたのは間違いない。

ニュースキャスターが彼女に聞いた。「謝罪というのはあまりにありふれた言葉だけど、もう年老いた慰安婦達に日本政府が公式に謝罪することに意義があると思う?」。

高校2年生の彼女は、「謝罪をする意義はたしかにあると思う。けっして、謝罪だけがこの問題の終わりを意味するわけではないけれど、まずは日本政府が謝罪をすることで、慰安婦達も心の区切りがつくんじゃないかと思う。そこからまた彼女達の新しい始まりがあるんじゃないかと思う」と毅然と答えた。

このニュースは今日、何度もリピートでカナダ全国放送として流されていた。白黒写真の中のあどけない少女の慰安婦達に涙が出そうになった。そういえば、中学・高校の歴史の授業は、第二次世界大戦のくだりの時代は3学期にもつれこみ、時間がないからとても簡潔にしか教えられなかった。もちろん、教科書問題もあったから、歴史の教師達もきちんとした理解を持っていなかったことも否めない。中曽根康弘が慰安所設置に関わっていたことは公然の事実らしいけれど、もちろん、そんなことは本人の記憶にすらないらしい。

日本政府は必死になって歪曲しようと試み、歴史が風化するのを待っている歴史の一部だけど、それは無駄。

世界が忘れはしないから。

4 comments:

Anonymous said...

私も日本のマスコミはマスゴミだと思っていますが、この問題はちょっと別かな・・
いみじくもダライ・ラマ法師が、先日の会見で述べていた通り、「物事を見るときには全体を見なさい。一面だけを見て決めてはダメだということです。」(名言)
この件は、感情移入することなくもう一度事実を俯瞰して冷静に判断することが大事。

http://makizushi33.ninja-web.net/
もうひとつ
http://www.ianfu.net/opinion/vs.html
見方を変えれば、全ての事象に裏と表がある・・・

Ms. MacSaito said...

お~、コメントいいね~。

さてこの場合、日本帝国のアジア進出、その昔にさかのぼる強制連行などといった背景が全体と私は思います。

慰安婦は10人とか20人という数ではなく、100人単位でいたわけなので、中には有給の仕事と割り切っていた人もいるかもしれません。そこは、今どきの風俗のオネエチャンとそれほど変わらないかも。
あの時代、日本帝国に物申すものは非国民と弾圧された時代、戦時中の狂気、鬼気の中で、ひ弱な女性が命だけは助けてもらいたい一心で、なけなしの笑顔で吐き気のする仕事に従事していたことも考えられます。生きるためには、自分の子供にまで手をかけた親もいたことが証言として残っています。あるいは、洗脳されていたことも考えられます。そして、忘れてはならないのが、強制的に連れて行かれて体を奪われた声のない女性達のこと。

原発問題と根本的な問題は変わらないかもしれません。経済優先の原子力村派、そして人命優先の半原発派。見方、議論は真っ二つに分かれます。

MacSaitoは二つの議論(あなたが言ってる表と裏)があることは理解しています。なのであえて、同じ女性として、声のない女性を擁護する派です。

あの時代にさかのぼって、もし、あなたの大事な娘や姉妹が強制的に連れて行かれて、毎月大金だけが送られて来たらどんな気持ちだったでしょう?

Anonymous said...

自分や身内に置き換えての議論は死刑推進派のよく言う「自分の子供が殺された親の気持ち・・」と同一の思考停止になりますのでやめましょう。(俯瞰した視点が無ければ議論になりません。)もちろん、実際の被害者の方(および身内)の被害者感情は尊重します。

表と裏の二面だけを言いましたが、この問題を考えると多くの複雑な事象が絡み合っています。
●何故、90年代になって朝日新聞がこの件の報道を主導したのか。
●アメリカ軍の慰安婦の件は何故俎上に上がらないのか。
●今、声を上げている人たち・・?
●政府として謝罪をする意味と納得できる謝罪の中身は?
・・など、
とにかく、この問題はひとつではないある力によって政治(外交)問題化しすぎています。そこに自分は何か腑に落ちないもやもやとした気持ちになるのです・・・

Macさん、あの時代は女性だけではなく、大多数の男性も声を上げられず戦地に向かい死んでいったのです・・

Ms. MacSaito said...

匿名さん、なかなかいい観点ですね!