Wednesday, June 30, 2010

ビクトリア

6月というと・・・・・・。今となっては懐かしい思い出。

1996年の暮れにカナダに渡った私は、97年にカナダへの永住権申請を始めた。一言に申請とは言っても、まず申請書をカナダ移民局に出すまでの書類集めが膨大。日本とカナダでの犯罪歴証明書、日本で受け取った過去の源泉徴収表、預金残高証明書、日本で行った学校の卒業証明書・成績表などを取り揃えて、すべてを英訳したもの。英訳も公認翻訳者の印が押されてなければならないと、何から何まで細かな決まり。書類を揃えるだけで3ヶ月くらいかかった。

97年の夏にカナダ移民局に申請書を提出し、そこから待つこと数ヶ月。当時住んでたところはバンクーバー島のビクトリア。そこで1年半、カレッジに通いながら、そこで知り合った日本人のギャル友達と楽しく遊んだ日々。とらわれのない暮らし、身軽で、何をしても大きな責任や重圧のない日々。ビクトリアは住みやすくて景色が抜群の海辺の町で、なんだか夢を見ていたような日々でもあった。そのうち友達の一人がオーストラリアの大学に進学し、もう一人がボストンにジャズを勉強しに行き、一人は結婚のためカリフォルニアへと夢を追って行くことになり、私もそろそろ海辺の町とおさらばしなければならないならない時が来たと思うようになった。

移民局のお役所仕事はとにかく時間がかかる。第1次書類申請にパスしたかどうかの返事が来るまで数ヶ月。書類に不備などがあった場合には比較的早めに通知が来るというので、便りがないのはいい知らせだった。カナダへの永住権審査は年々厳しくなっていて、私が申請する直前に一段と厳しくなったので保障はできないと移民コンサルタントに言われた。第1次審査に通ったことを知り、次はシアトルのカナダ領事館での面接。その面接にもさらに待つこと数ヶ月。先の見えない将来を信じながら、とにかく面接のチャンスを待つのみ。その間私は、友達との別れを惜しんだり、映画に行ったり、本屋やスターバックスで時間をつぶしたり、ビクトリアのハーバーを歩いたり、心の中で「ロングバケーション」をやっていた。

1998年、6月のある日、移民コンサルタントから電話が来た。「いい知らせよ、シアトルのカナダ領事館からついに連絡が来たのよ。来週、面接でシアトルに行くことになったわよ。」と。

面接時間は朝の8時半。前日にシアトルに着いて1泊しなければならない。すぐにホテルと高速ボートの予約をした。その後で友達と会って、シアトル行きの話しをした。私よりずっと年上のイギリス人のジェントルマン。旅慣れしていて、シアトルのことを良く知っていた。「ホテルはどこを取ったの?」と聞かれた。「だめだよ、領事館からそんなに離れたホテルは。万が一のことを考えたら、ホテルはできるだけ領事館に近いほうがいい」と言われて、彼が旅行代理店までホテルの変更に一緒に行ってくれた。

シアトルに到着。この時を1年も待っていたというのに、今になって緊張している。後戻りのできないところまで来てしまった。そういえばカナダへのワークビザの面接を受けた友達は緊張で足が震えたと言っていた。ホテルにチェックインして、翌日の面接に備えてカナダ領事館まで歩いてみる。目と鼻の距離。その時になって、アランの思いやりあるアドバイスにすごく感謝した。

翌日。面接は午前8時半。書類をすべて用意して、きちんとした格好で8時20分にカナダ領事館に到着。愛想なくにこりともしない受付のオバサンに書類を提出した。

「パスポートは?」と聞かれた。怒ったようにこっちを見ている。
「パスポートですか?」と書類をバサバサめくってみた私。

ない。パスポートが、ない。一番大切な書類。私が偽りなく本人であることを証明する書類。

「パスポートはどこって言ってるのよ?」強張った表情で相手は繰り返す。

その場で足がすくんだ。これまで待ったことがこれで水の泡だと思った。

「今から取りに行って来ます」と言って、ホテルまで猛ダッシュした。部屋にパスポートが置いてあった。なんで?と思ったけれど、とにかく走って領事館に戻った。アランがホテルの変更をアドバイスしてくれなかったら、今頃、カナダの永住権を取るという夢は消えていた。

緊張して挑んだ面接は、穏やかな男性面接官だった。私の申請書と書類を見ながら「ここに書いてあることに間違いはないよね?」と言った。「その通りです。間違いはないです」とかなんとかしどろもどろになりながら答えた。突っ込んだ質問はなくて、あっさりと面接は終了。「じゃあ、これで移民審査は通ったよ」と、私のほうがかえって、「エッ?」と思ってしまった。

それから、すべてのことが動き出した。1週間後には新しい仕事でトーキョーへ。ビクトリアの家を出払った。8月にカナダに戻った。バンクーバー空港で永住許可の書類を受け取り、バンクーバーで新しい生活が始まった。

あれから12年。あの時があったから、今の自分がある。懐かしい時代。

Tuesday, June 29, 2010

よくやったよ。

朝から感動しちゃって、今日はこれから何をしようかと考えてしまったMacSaitoです。あんな素晴らしい試合を見た後で、今さら気分的に車の洗車なんてしたくないし~。

それにしてもWikipediaは情報更新が早い。岡ちゃんのウィキのページには、すでに、1時間前に終了したパラグアイ戦のことが書かれています。

ベスト8ならずとも、ベスト16は素晴らしい。

さて、中間試験の提出まであと2日。嫌々ながらも今日はこれからペーパー書きに専念。

Monday, June 28, 2010

G20サミット、終わる

トロントでのG20サミットが終わりました。日本のニュースでも反対運動活動家の暴動化などと報道されていました。

今回のサミットのセキュリティにかけた費用は破格の10億ドル(約880億円)。この金額、これまでのサミットの中でも超破格です。このG20を迎えるにあたり、トロントのダウンタウンは高い塀で囲まれました。どうしてこんな破格なセキュリティが必要なのでしょう。ニュースではもちろん反対運動が暴動化されたことしか報道されません。なので、トロントでは平和な反対運動も数々行われていたことは世界各地に広まらないでしょう。

これだけのセキュリティ費用をかけて、一体、このお金でどこの民間セキュリティ会社、あるいは表に出ない企業や団体が潤ってるんだろうと考えてしまう私。

このビデオの他にもこういったビデオは出てるけど、だいたいが警察が丸腰の反対活動家をいきなり地面に押し倒したとか、静かに行進するグループに向けて催涙ガスをかけたといったことばかり。9/11同時多発テロ以来、当局に反対する人々やグループは「テロリスト」のレッテルを貼られるようになったけど、このビデオを見る限り、「テロリスト」って、一体、どっちや?このビデオでもわかるように、当局やメディアは当局に有利な報道をすることで、草の根運動や反対派意見をもみ消している。

私たちはこんな世の中に住んでいる。おー、こわ。。。

ダウン

いいねぇ、朝日新聞のインターネット版も今日はトップページがサムライブルーに塗り替えられました。いいぞ、いいぞ。皆さん、今日は青いTシャツを着て、顔には日の丸の塗りものしましょうね。車には日の丸の国旗掲げて。とことん盛り上げましょうじゃないですか。

ところで、皆さんは、使っているコンピューターがダウンして立ち上がらなくなったら、どんな反応を起こしますか?しかも、何か急いで仕事をしてるる時だったら。
1)コンピューターを蹴っ飛ばす
2)コンピューターを窓から投げる
3)他人に八つ当たり

コンピューターで身を立てる夫にまたしても降りかかった災難。ウィルス駆除を発端にシステムをリインストールしなければならなくなってしまいました。「こうなってあーなって、だからこーで、あーで」と説明してくれるものの、私はただ相槌を打つだけ。夫の場合、私と違って、自分が何を話してるか、何をコンピューターにしているかきちんとわかってる人なのです。なので、たまに自分でハードドライブを開けて(私なら怖くて絶対にできない!)、スプレーでエアを送って埃を取り除いたりしてるし、私の古いノートブックの電源がいきなり切れた時にも、ネットですぐに調べて問題を突き止めてくれたりと、コンピューターで身を立てる人も意外と人の役に立つんだなと見直す時があります。

今回も2日くらいかけながら自分でリインストールしようとしていた夫。それが、焦ったところまったくなし。ウィルススキャンをしながらのんびり本を読んだり、ふだんと変わらない表情。私だったら焦りまくって、慌てふためいて悪態ついていたところです。

こういう時はかの人の気の長さに感心。あー、でもこういう人だから私との結婚生活も保つのでしょうか。

Saturday, June 26, 2010

ロケンロー!!

やっと夏らしくなってきたバンクーバー。今日も外は20度を少し越したくらいで、暑さとしてはちょうどいい感じ。夏時間で日暮れが遅いせいか、午後3時頃に暑さはピークに。午後5時まではなかなか暑い感じ。

でも、あたしの夏はまだ始まらないわけでっさ。課題を終わらせないことには。。。(涙と冷や汗)

今回の持ち帰り中間試験は8-10ページのペーパーを書くもの。最近は長くて6ページという甘いペーパーを書いてきた身には8ページすら少しググッときます。フライデーナイトの今日は、必死に下調べ。ペーパーに書きたいことを頑張ってリストアップしています。5 hour energyというドリンクでドーピングをしたものの、効力は2時間だった。



このペーパーを書き上げれば、残りの講義もじょじょに下り坂に。

残りは明日やるとして、ちょっと景気づけるために、このあたしがカオスさんみたいに一発言ってみます。

ロケンロー!!!!!

Thursday, June 24, 2010

また課題

それにしても、、、、、イタリアとフランスが去って、日本が進んだ。日本のサッカーファンにはごめんだが、どーなってんだ?

日本がポロッとブラジルに勝ったアトランタオリンピックを思い出しちゃったりしてます。唖然としたのはブラジル人だけじゃなくて、このMacSaitoもその一人。

波乱がつきものだから面白いのがワールドカップ。フランスのムッシュ・ジダンも今は何をしているのか。


聞いた話では、フランスでは男が泣いていい場面が二つあるそう。一度は親が死んだ時。もうひとつはサッカーで負けた時。今頃、フレンチ様方はむせび泣いてるのでしょうか。それとも、きれまくっているのか。これがカナダで起きていたなら、今頃暴動です。国民性によってとる行動が様々なのもいとをかし。カナダ人は勝ったところで間違っても川に飛び込んだりしないわ~。なんでや?寒いから?

で、MacSaitoはこの1ヶ月ほど課題に追われていました。ゆうべ、4つ目の課題を出し終えて少し深呼吸。で、今日から、1週間後が提出期限の持ち帰り中間試験に取り組みますだ。来週は子供たちの学校が夏休み前最後の週。毎日のように行事があって、MacSaitoは油を売る暇もありません。なんだかMacSaitoの暮らしは「風雲たけし城」そのもの、険しいでやんな~。

中間試験提出期限は7月1日午後12時。7月1日はカナダ・デー。カナダの建国記念日で、あちこちで盛大なセレブレーションが行われています。教授曰く「カナダ・デーの日の午後12時が提出期限だから、残り半日はカナダ・デーを楽しめる仕組みになってるのよ!」と、まるで情けをかけたかのように。どうせなら、あと2日提出期限を伸ばして土曜日提出にしてくれたら、私は教授を仏のように崇拝しますだ~。

そんなこんなで、8月のロッキーへのキャンプ旅行の準備はまったく進んでいません。6人用のテントはカッコいいんだけど。



さてと、しばらく課題に取り組みます。

Wednesday, June 23, 2010

うちの庭で

トモキの土好きは小さな時から。土をいじると、なぜか口の周りが土だらけに。。。1歳の時から球根を掘るのが好きだった子供。「そこ掘れ、ワンワン」の乳児偏。なんでも口に入れる時期だったから、私の知らないところでへんな物を口に入れてたんだろうなぁ。


どうやら手で触れる感触が好きらしい。粘土、砂遊びが大好き。放っておいたら何時間でもこねている。私がクッキーの生地をこねていると、「ボクもやりた~い!」と腕まくり。なんか勘違いしている。

3人兄弟の真ん中。だから少し理解しがたい。ケンとノアがピカチューのスプーンで美味しそうにご飯を食べている時に、一人で軽量スプーンを使ってご飯を食べていたり。晴れてる日でも外出は長靴。

昨日は珍しくノアとケンがダディと一緒に出かけたので、めったにない私とトモキのクオリティタイム。天気が良かったので、そうだ、トモキに手伝ってもらおうと思って庭仕事。古い植木鉢の中の固まった土を手で柔らかくほぐして、また植木鉢に戻す作業。トンちゃん、水を得た魚のように両手を汚して一生懸命土をほぐす。顔はすごく満足そう。いつのまにか顔が土で汚れている。

手伝ってくれたお駄賃はチョコレートクッキー。真ん中っ子で我慢することが多いので、少し特別感を味わわせなければ。

植木鉢で細々育てている野菜も順調。さやえんどうは私の大好物。トモキもおやつ代わりにポキッともいでポリポリ食べている。我が家で私と嗜好がすごく似てるのがトンちゃん。


バンクーバーでは中国産のさやえんどうが安く出回っている。だけど私は中国産はボイコット。

こんなところで栽培されている野菜が信用できるわけがない。いくら安くても買わない。できるだけ体に毒は入れたくないので。

これはトモキが「ボクのトマト」と呼んでる、小さくて可愛いトマト。


ビートも大きく甘くなれ。ビートはビネガーで甘酸っぱくすると、ビート本来の甘みと重なってデリシャス。


そして、シソ。これは夏の我が家になくてはならない物。お店には売ってないので自分で栽培するしかない。必要な時にちょっと葉っぱを取れるので便利。


そして子供たちが大好きなイチゴ。


そういえば父親もよく家庭菜園の写真を撮っていたっけ。自分で育てた花や藤棚の写真もあった。あの頃は理解できなかったけれど、今、よくわかる。

本当はもっと野菜を育てたい。自家製野菜は甘くてみずみずしくてとても美味しい。それに安全なのが一番。だけど小さな子供たちの面倒を毎日見ていると、そこまで手が回らない。そうこうするうちに、子供たちはどんどん食べ盛りに。男の子3人。もう少し子育てに余裕ができたら、水田でも引いて、家の庭で牛と鶏でも飼おうかな~。

Monday, June 21, 2010

サトちゃんに遭遇

日本では新学期が始まったのはわりと最近のことだと思うし、梅雨だって始まったばかりでしたよね。

こっちじゃ、今月が学年末で忙しいったらありゃしない。ケツカッチン状態が続いています。しかも、相変わらず咳の発作は止まらず。あれだけマズイ薬もたいした効き目はなかったのです。カナダってどうしてなんでもこういい加減なのでしょう。

今月は毎日のように何か予定が入っていて、子供達の修了式がいくつかあり、学年末のフィールドトリップや、ピアノの発表会、習い事が最後の月だったりと、カーチャン駆けまくっています。ていうか、自転車操業のこの生活、こぎまくってる!寝不足で肌の老化は進むばかり。トホホ。今日もやぶからぼうの野暮用で、家に帰ったら午後10時半。一家団欒の夜って、この家にはない!

そんなこんなで、そろそろドーピングでもしようかなと思っていたところに、タイムリーな物をもらいました。

場所は昨日のドラゴンボート・フェスティバルで。観客も含めて数千人規模のこのイベントでは、いろんな企業が試供品提供のテントを出しています。例年人気なのはアルミ箔フォイル。行きかう人々がアルミ箔を手にして歩いてる姿はなんだかおかしいです。

で、昨日はなんだか見覚えのあるほのぼのした黄色い象さんが愛嬌を振りまいてると思ったら、佐藤製薬のサトちゃんだった。往来する子供達がサトちゃんに寄って行っては写真をとったり、握手したりと大人気。もちろん、うちの子供たちもサトちゃんにべったり。で、ケンが「この人、ニホンゴできるんだよ!この中にはヒトがはいってるんだよ!」と私に言ってきた。もちろん、サトちゃんの横のテントではユンケルが試供品で配られていました。

さすが、ユンケルの会社のキャラだけあり、ニホンゴもできるか~とカーチャン、感心。

「アンタ、ニホンゴできるんだって?」と言うと、けな気に頭を縦に振るサトちゃん。

「本当にニホンゴできるのかいな?ちょっと右手上げてみなさいよ」と言うと、本当に右手を上げるじゃないですか。

こういうキャラだから自分から話はしないようになっているけれど、中に入ってるのはどう見てもニホンジンのアルバイトってところ。私達が言うことに頷いたり首を振ったり愛嬌いっぱい。ニホンゴを話すうちの3匹の子豚にはことさら愛想よく遊んでくれたサトちゃんでした。

さーて、もらったユンケルでドーピングして今月後半のもろもろの行事にのぞまなくては。

Saturday, June 19, 2010

流行

1ヶ月くらい前からケンが口ずさみだした曲。

「when I get older, i'll be stronger... just like a wavin' flag....」

昔ながらのグルグル回転するレコードのように、毎日のように歌いだした。

「just like a wavin' flag, flag, flag....」

1日、30回は聴くことに。そしたら双子にも移ってしまった。

家中あちこちから聴こえてくる。2階からもバスルームからも、庭からも。体の小さい子供達が大人の曲を一丁前に口ずさむのはかなりラブリー。

「when I get older, i'll be stronger... just like a wavin' flag....」

なんだ、この歌と思ったら、ソマリア出身のケーナンが歌ってるんだ。トロント在住。

ケンの小学校の友達も歌っている。どうやら学校の音楽の時間に習ったらしい。

違う学校に行ってる子供たちまで歌っている。

なんかこの1ヶ月でこの歌が私の人生の70%を占めるようになった。ふと一人になった静かな瞬間、頭の中でこの曲が流れてくる。なんなんだ、コレ。1年以上も前の曲なのに。

そしたら、この頃、テレビからも流れてくるように。南アフリカの国旗と共に。

なんや、コレ?

ワールドカップのテーマ曲だって~?

我が家のキッチンで細々と聴こえてきたこの歌が、今じゃ世界で何億人が聴いてるわけ?

Wednesday, June 16, 2010

親愛なるメアリー

今日、バスに乗りながら、ふと、メアリーにしばらく会いに行ってなかったことを思い出した。先月会いに行くことになっていたけれど、私達家族に何か急用ができて行けなくなり、今月行こうと思っていた。今は家族全員が風邪を引いてる状態なので、抵抗力の弱いメアリーには風邪が治ってから行った方がいいと思った。

夕方疲れて家に帰った。夫が、「パッツィから電話があったよ。メアリーが今朝亡くなったって。」と言った。

そうか、昼間メアリーのことを思い出したのは、こういうわけだったのかと思った。

メアリーは私と夫が6年間住んでいたタウンハウスの隣人だった。ブロックリン出身の生粋のニューヨーカー。黒人。ニューヨークの大学で博士号を取り、1970年代にブリティッシュコロンビア大学で看護学を教えるために、東部のニューヨークからカナダ西部のバンクーバーまで車で大陸横断してきたタフな女性だ。2000年に私達がタウンハウスに引っ越した時、彼女はすでに悠々自適のリタイア生活を楽しんでいた。とてもお洒落で、存在感ばっちりのボルボに乗っていた。人形作りが趣味で、コンテストでよく優勝していた。ワードローブは70年代のレトロから含めてシックで上品で、かと思えばファンキーな服で埋め尽くされていた。赤や青の鮮やかな原色が彼女の黒い肌によく似合った。家の中はアフリカンアートで飾られていた。

友達が多くて、よくパーティによばれていた。最後に会った時も、「明日はデートなの。相手は奥さんを亡くした男性よ。どっちの服がいいと思う?」と2着のコーディネートした服を私に見せたメアリー。私が知っている限り、彼女は生涯独身を通した。自立して、飽きない趣味があった彼女には老後の一人暮らしが寂しいなんて思わせるところが一切なかった。

我が家に子供が生まれると誰よりも喜んでくれた彼女。私達がタウンハウスから別の家に移っても、私はなぜかメアリーに会いたくて、タウンハウスの近くに行く時は彼女のドアをノックした。

「このマフラー、どう思う?」と新しく買った物を見せてくれたり、家の中のリフォームを自慢げに話したり、人形作りへの意欲を最後まで失わなかったメアリー。

パッツィの話では、3週間ほど前にメアリーの健康状態が悪化したという。1週間前に自分で入院を決断。次第に意識が薄らいでいき、今朝、友達に看取られて逝ったという。

パッツィもタウンハウスの元住人だ。彼女とメアリーは30年近くをあのタウンハウスで共にした友達だ。

無宗教だった彼女は、葬儀はいらないという遺言を残していたらしい。すでに身近な友達の間で、来月、メアリーの生涯を讃える会を開くことが予定されている。

今日初めて彼女の年を聞いて驚いた。80歳だったとは。

自立した人生を最後まで美しく生き抜いたメアリー。人生のいいお手本の人だった。

Tuesday, June 15, 2010

良薬はキモイ

双子から季節外れの風邪をうつされ、ゴホゴホと咳込むMacSaito。夫は中耳炎に。同じ風邪をうつされても、こうも症状が違う。それにしても子供の風邪はキョーレツ。子供は鼻水をベーッとたらしてても、ゴホゴホ咳をしていても平気そうなのに、慢性寝不足疲労のオトナにはこたえる。

こちらでは風邪をひいたくらいではドクターは薬を出してくれません。「ウィルス性のものは薬は効かないから、ウィルスが抜けるの待ってね~」って調子で。だから風邪ごときにドクターに診てもらうのは時間の無駄。で、前に、風邪を引いていた知人が置いていった咳止めの薬がまだ戸棚に残っていたのを思い出して飲んでみた。

それが、どーしよーもなくマズイ!

Buckleyという市販の薬。飲んだ直後に、顔がこんなになります。



なんともいえない味。この味、何かに似てると思って、いろいろ考えてみた。きっと、仁丹を2000粒くらい潰してペースト状にしたらこんな味になるのではないだろうか。それとも、湿布薬とかサロンパスってこんな味がするのではないだろうか?と。

だけど、なんか違う。においもキョーレツ。なんだっけ、このニオイ。

あれやこれやと考えて、わかった!


それは、コレ。



虫刺されときたら、キンカンに限る!のキンカン。

どう考えてもこのニオイはキンカン。一体、成分はなんなんだ?

では、BuckleyのTVコマーシャルをここに。




Sunday, June 13, 2010

レッド・ウィング



2年ぶりにレッド・ウィングがオタワから到着。スコット兄が乗るホンダのゴールド・ウィングです。

バイクが趣味のスコット兄は、10年近く前から休暇を取っては愛車のレッド・ウィングを走らせてオタワからバンクーバーまで来るようになりました。オタワ-バンクーバー間、3538キロ。ウィニペグのお姉さんのところに1週間くらい滞在して、そこからバンクーバーの我が家へ。後から引っ張るトレーラーにキャンプ用品を入れて愛車を走らせます。

数年前に定年退職してから、彼の旅はもっと自由気ままに。時間なんて考えなくていいのですから。3年前はバンクーバーまで来たついでにユーコン州まで行き、2年前はアラスカまでと、なんだかカナダ版イージーライダー(ナーンチャッテ!)。

昨年はおっかさんと一緒にイギリス旅行に行ったスコット兄は、バイク旅行をする時間が取れずに恒例のバンクーバー・ビジットは空の旅エアバス300で。

今回はオタワからまずバンクーバー島まで行き、カナダの最西端トフィーノまで飛ばしてバンクーバーへ。トフィーノまで行く曲がりくねった道が、バイク愛好家にはたまらないらしい。スコット兄は我が家に数日滞在して、またまたユーコン州へ旅立ちました。今回は夏至の頃に、北極圏に近いユーコン州の町ドーソンで白夜を体験したいとか。



バンクーバーから目的地のドーソンまで、距離にして1800キロ。その後、ロッキー山脈でオタワから新車のハーレーに乗ってすっ飛んでくるバイク友達と合流してロッキーを旅して、ウィニペグのお姉さんのところに寄り、7月5日にてオタワ帰着予定。その後は1ヶ月キャンプ、そして8月にはRV車でプリンスエドワード島までバカンスと、退職生活をとことん満喫しているスコット兄。

バイクの醍醐味など知らない私は、来る日も来る日もバイクにまたがって退屈しないのだろうかとか、一人で寂しくならないのかなどと思ってしまいますが、昔バイクに乗っていたスコット兄の弟(そう、あの人です)は、「バイクのいいところは、運転しながら外にいる感覚、枠にとらわれないところなんだよ~」と。これだけは私にはわからない感覚かもしれない。

底抜けにフレンドリーで誰とでもすぐに知り合いになるスコット兄は、バンクーバーに来る時は子供達の学校への送り迎えもしてくれるので、学校関係者も彼のことを知るようになりました。こんな生活をしているので、私が知り合いのお母さん連中に「結婚はしてるの?」と聞かれることになりますが、答えはイエス。孫もいるんだから。妻はバイク旅行はあまり好きでない人で、オタワで留守番。

行く先々で写真付きのブログを更新するスコット兄ですが、彼のブログはバイク愛好者達から人気らしいのです。誰もがバイクにまたがり大陸横断することを夢見ながらも、時間や金銭的の制約でできないことみたいですね。そしてもちろん一番の難関は、2ヶ月も気ままなバイク旅行に行かせてくれるバイク乗りの妻なんて、滅多にいないことでしょうから。

バイク旅行は男の浪漫なのでしょうね。気ままな一人旅、いいなぁ。

Friday, June 11, 2010

ナイトマーケットへ

このところ忙しくしているMacSaitoでございます。今、課題第2弾に取り組み始めました。課題第1弾は、「ボクがなんとかするから」と言ってくれたあの人のおかげで、上々のでき。恐れ多くも、クラスでトップの成績を取ってしまった気がしています。しかも教授からおほめのコメントをもらってしまい、課題第2弾へのプレッシャーが高まる~。あの人からの「ボクがなんとかするから」発言を今か今かと待っているところです。

雨続きでなかなか初夏のきざしが見えないバンクーバーですが、今日はチャイナタウンのナイトマーケットに行ってきました。



リッチモンドのナイトマーケットがここ数年にぎわっているけれど、今日は数年ぶりにチャイナタウンのナイトマーケットへ。こじんまりしてるけれど、かえって人ごみで子供達の動きがよく見えるので私としては安心。ケンは頑張って貯めた7ドルをお財布に入れて持って行きました。

早速50セントの可愛いペンを見つけて買い物に醍醐味を覚えたケン。すべてのものが50セントとか50円とかで買えたらいいよね~。そして、今晩のヤツの散財はここから始まったのです。



ポケモンカードを2ドルで買って、風車を買って、ノアに2ドルのおもちゃを買ってあげて、キーホルダーを買って、シールを買ってタッゥーのシールを買って。最後には60セントしかお財布に残っていない。だけど、どうしても欲しい小さな飾り物が1ドル。ダディに交渉して40セント出してもらって、プーさんの飾り物を手に入れて大満足のケン。物価の高いこのバンクーバーで、7ドルでこんなにたくさんの買い物ができるのは中国人がやってるナイトマーケットしかありません。次回はケンに値切り方を教えなければ。なんせ相手は商売上手の中国人。ニホンジン、ナメタラダメアルヨ~。



お財布がすっからかんになったところで、「いいよ、また歯の妖精が来てお金くれるから」と無邪気なケン。「エーッ!」と心の中で悲鳴をあげていた母。乳歯1本で1ドルはちょっと高い。歯の妖精のことは今度書きますね。


食べ物も美味しい!




カラオケもあり。3人の子供の中で一番歌がへたなノアに限って歌うのが好き。本当は歌いたかったようだけど、「ママと一緒じゃないといやだ」だって。


このレストランはかなり気になります。さびれたチャイナタウンのど真ん中にありながら、モダンでファンキー。今度行ってみなくては。


嬉し気分で家路に戻るダディと息子達。

夏はやることが多いなぁ。

Saturday, June 05, 2010

ジョシュア・ベルを使った実験 ~ 続き

先日、ワシントン・ポストがジョシュア・ベルを使った実験のことを書きました。

ジョシュア・ベルって、こんなにうっとりする美しい音色を奏でるんですね。マグニフィセント!



そして、ワシントンDC駅での実験風景はこちら。



本当に多くの人が誰も彼に見向きもしないで足早に歩き去っている。驚きの光景。だけど途中から一人の女性が立ち止まってじっと彼の演奏に聴き入ります。ベルが演奏を終えると、「素晴らしかった。あなたをアメリカ議会図書館で見たわ。こういう機会って、ワシントンDCだからできるのよね」と言います。なんだか映画の中の1シーンみたい。それにしてもアメリカ人もこんな有名人を見逃すとは、かなりの大ボケ連中。そんなことだったらいつまでたっても躍起に探しているアフガニスタンのあのオッチャンは見つからないぞ。

私の好きな言葉の一つは、「一期一会」だったりする。

Friday, June 04, 2010

スーパーヒーロー、現る。

我が家にちょっと風変わりなスーパーヒーロー誕生。


どこかハリポタ風で、それでいてスポーティ。

果敢に悪童に立ち向かうスーパーヒーロー、トミ=ワン・ケノービ。


偉大なフォースで悪童をやっつけようとするトミ=ワン。


これはすべて悪童に扮するケンの演出です。アニキにこうやってスーパーヒーローに仕立て上げられると嬉しくなっちゃう我が家のトンちゃんでした。

Thursday, June 03, 2010

バイオリンの理解

目からうろこが落ちるメールをもらったので、今日はそれを掲載。


少し考えてみたいこと。



背景:
2007年1月のある寒い朝。ワシントンDCのメトロ駅。この写真の男性は45分ほどバッハの曲を6曲演奏する。この間、通勤客など約2,000名の人々がこの駅を利用した。

演奏開始3分後:中年男性がバイオリンを弾いてる男性に気付く。彼は数秒間足を止めるも、予定に間に合わせるためその場を立ち去る。

4分後:
バイオリン奏者はやっと1ドル受け取る。ある女性が足取りを休めず、彼の帽子にお金を投げ込み、そのまま歩き去る。

6分後:
一人の青年が壁にもたれてバイオリンを聴くものの、時計に目をやりまた歩き出す。

10分後:
3歳の男の子が立ち止まるが、母親が子供を急いで引っ張って行く。男の子はバイオリンの奏者を見るためにもう一度立ち止まったものの、母親に押されて歩き去る。その間、後ろを振り向きずっとバイオリンの男性を見つめている。何人かの子供が同じことを繰り返したけれど、その都度、親に急かされて歩き去る。

45分後:
バイオリニストは絶え間なく演奏し続けた。たったの6人が足を止めて、束の間、彼の音楽に耳を傾けた。約20人がお金を渡したものの、そのまま歩き続けた。バイオリニストは全部で32ドル受け取った。

1時間後:
彼が演奏をやめると静寂が戻る。誰も彼に気づかず、誰も彼に拍手を送らなかった。誰も彼が誰なのか認識しなかった。そのバイオリニストが世界で最も偉大な音楽家の一人、ジョシュア・ベルだということに誰も気がつかなかった。彼は350万ドルもするバイオリンで、これまで書かれた中でとても難しい曲を演奏したのだった。

その2日前、ジョシュア・ベルはボストンで、1席が100ドルもするホールを満席に埋めてこの日と同じ曲を演奏した。

これは本当に起きた出来事である。ジョシュア・ベルが身分を明かさずワシントンDCのメトロ駅で演奏するのはワシントン・ポストが企画した知覚・好み・人々の優先事項に関する社会実験だった。

この実験からいくつかの質問が考察された:
●公共の場所で、不適切な時間に、人々は美を認知するだろうか?
●もし認知することができるなら、人々はそれを堪能するために立ち止まるだろうか?
●人々は想定外の環境で才能を見出すことができるだろうか?

この実験から考察された可能性のある結果は次の通り:
もし人々が立ち止まって、世界で最も偉大な音楽家の一人が奏でる最も美しい楽器の演奏に耳を傾けることができないならば。。。。。

我々は人生を生き急いでいる間に、どれだけのことを見落としているだろうか?

皆さん、ちょっと立ち止まってみてください。何も考えずに周りに目をやってみてください。そうして3分でいいので、周りで行われていることに注目してみてください。床を熟視するのもいいし、空を見上げるのでもいいし、歩く人々を見つめるのでもいい。いろんなことが見えてくるでしょう。

このメールを読んで、少し涙が出そうになりました。