Wednesday, January 23, 2008

うちのケン様


最近のケンの発言。

キッチンでザルを見つけたケン。「ボク、ザルって言いたくないな。だってぇ、おもしろいコトバだから。」

ロビン(猫)に少しだけかじられたケン。「ママ、もうロビちゃん、ボクを食べないようにしてね。」

4歳にもなると頭の発達も目覚しい我が家の長男、毎日私たちを和ませてくれています。双子が喋るようになったら、面白さも2倍かと思うと、今からその時が待ちきれないの。

Tuesday, January 22, 2008

午後12時34分

ここのところ雨も上がって快晴のバンクーバーです。少し春らしくなってきた感じ。庭のクロッカスと水仙も小さな芽を出してきた!今日は久しぶりに車を洗いに行きました。天気が良くなっただけあって、洗車場では泥で汚れた車が洗車順を待って行列ができておりました。

なんだか少しだけアップビートな気持ちになりながら家に帰る途中、Angusドライブを南に走っていると、前方にJALのジャンボ機がバンクーバー空港に着陸するために高度を下げているのが目に入りました。その機体が大きく見えてキョーレツなインパクトを受けました!時間を見ると、12時34分。そうか、東京便はこの頃に着くんだよな、なんて思いながら帰宅。

その頃、ニューヨークは午後3時半。マンハッタンのアパートでヒース・レジャーが死亡して発見されていた時間とシンクロしておりました。ブロークバック・マウンテンでいい演技を見せてこれからが楽しみだっただけにショック。冥福を祈って。。。

Sunday, January 20, 2008

ショッピング・トリップ、、、越境編

なんと外国に行ってまいりました。なーんちゃって。だけど、一応外国でございます。ひょんなことから、日曜日を利用してスージーとケンと、お隣のワシントン州(アメリカ)のアウトレットへショッピングに行ってまいりました。

双子が生まれてからは私たちもすっかり出不精になり(ていうか、家族全員が乗れるファミリーカーがいまだないだけの話なのですが。ファミリーカーには程遠いセリカでどれだけ頑張れるか。。。)、ボーダー(国境)を超えるのは2年近くぶりのこと。今回はロバートなしでケンをアメリカに連れて行くので、とりあえずロバートに私がケンを連れ出すことを了承しているという内容の手紙を書いてもらい、アメリカの移民局に提示できるように持参しました。バンクーバーから車で南下すること45分ほどでワシントン州との国境に到着。最近はカナダドルがアメリカドルに負けないくらい強くなったので、ワシントンにショッピングに行くカナダ人が増えました。日常品を買うためとか、車にガソリンを入れるために行く人も多いのです。BC州で買い物をすると、2種類の税金で13%課税されます。ワシントン州は6%とこちらの半分くらいで、今はカナダドルが高いので、アメリカで買い物してもかえって安いくらい。で、ボーダー超えるために並ぶ車列は今日は軽いほうで、1キロ弱というところだったでしょうか。それほど待ち時間もなく、私たちの番が来て車をゆっくり進行させてアメリカ側の移民局オフィサーのブースへ。高速道路でお金を払うような感じです。ただ、私が日本国籍を持っているので、厄介なのは車を降りて移民局のオフィスに出頭して3ヶ月間有効の入国ビザを取らなければならないのです。移民局での手続きって、いつでも少しナーバスものです。私にはもちろん前科もないし、やましいところはないのですが、それでもドキドキします。オフィサーの腰元に差してあるピストルを見ると、少しびびってしまうし。カナダではもちろんピストルとは程遠い暮らしをしてるからですね。それに、オフィサーの中にもいろんな性格の人がいるので、権威をかさに着た言動をする人もいるし。というわけで、オフィスに出頭して静かに列に並びました。その時、オフィサーの一人が出てきて私のJAPANと書かれたパスポートを見るや、「日本はどこ?」と白人のおっさんに日本語で話しかけられました。そのオフィサーは前回同じ手続きでオフィスに出頭した際にも話した人で、かつて米軍の三沢ベースに勤務したという人。たしか、妻は日本人と言っていた。で、また同じ人だったのです。彼は丁寧に私に日本語で、待つ間これに記入しててねとビザ記入書を手渡してくれて、ホッカイドウはマイナス24度くらいになったね、寒いね、なんてニコニコ顔で話しかけてくれて、前回と同様とてもいい人という印象。そんな彼も私と話し終えてから、他の国からの男性には英語でけっこうつっけんどんに話してるのを見て、ちょっと得したかな!と嬉しくなった私。さて、今後3ヶ月間有効の入国ビザをもらい、ケンを連れてたことには何も触れられず私たちは無事アメリカ入国。国境からさらに1時間くらい南のバーリントンまでI-5というハイウェイを走りました。アメリカに入国すると、スピード表示がキロからマイルに変わるので、それにあわせて車のスピードも調節しなければなりません。

バーリントンにはGAPやCOACH、子供服のCarter、靴屋などいろんなアウトレットがあります。12時頃到着し、ランチをはさんで5時半まで、スージーと私はケンを連れて店から店まで渡り歩きました。このショッピング旅行もひょんなことから、数日前ダレンと話をしてた時に決まったのでした。ダレン曰く「スージーは日曜日に買い物に行きたいって言ってるけど、僕は行きたくないんだよね」と。そこで私が、「じゃ、あたしがスージーと行くから、あなた、ロバートと子守しててよ」で、すんなり決まった話だったのです。私にしてみれば、Win-win situationってやつ。考えてみればここ数年ゆっくり買い物に行く時間がなかったのね。興味がなくなったというのもあるけれど、小さな子供がいると、本当におちおち自分の買い物なんかできないのです。子供を持つ同業者さんならわかりますよね?ここ数年は10年前にイギリスで買ったジーンズ2本と、3年前にモントリオールで買ったコーデュロイパンツをとっかえひっかえ着用しておりました(別に体型が変わってないことを誇示してるわけじゃないって!ただ、旅行中でないとなかなかショッピングをする時間もないってわけで)。今日の成果は、GAPのカプリパンツ4ドル。パンツ3本とスカートで100ドルもしない。別のお店でジャケットとジーンズ。これまた100ドル以下。ケンには消防車の絵模様の黄色い長靴。

一応、カナダでは24時間未満、国を離れて帰国する際、持って帰れる物品は50ドルまでとなっております。今日私は200ドル弱の買い物。スージーも100ドルちょっと。満足して買い物を終えて、帰途に着きボーダーに到着しました。今度はカナダ側に入国手続きのために、カナダの移民オフィサーに出頭。質問されることはお決まりで、最初の質問は「カナダ人以外の人はいますか?」。そこでドライバーの私が「ジャパニーズでーす」と返答。「カナダに住んでるビザは?」「パーマネント・レジデント(永住者)」と続き、いくら分の物品を持ち帰るかと聞かれた際には私もスージーも本当のことを言いました。「タバコ、アルコールは?」と聞かれ、「ないです」というと、そのまま通されて、スムーズにカナダへ帰国。驚いたことに、オフィサーは私のパスポートすら見なかったし、持ち帰れる以上の物品を持っていたことも何も言われなかった。

というわけで、楽しかったワシントンへのディ・トリップです。いつものことながらボーダーを越えてカナダに戻ると、なぜだかホッとします。ワシントンもなだらかな丘に囲まれたのんびりしたいいところなのだけど、やっぱりアメリカにいるっていうだけで、どこか緊張する。カナダはとても平和だわ~。

また明日からいつもの生活が待っています。

Friday, January 18, 2008

子供たち近況

フルーから復帰しました。私のフルーから始まり、この2週間で家族みんながなんらかの風邪の症状にかかり5人目のノアまで一巡したところで、今みんな回復に向かっております。めでたし、めでたし。

さて、今日は子供たちの近況を少し。。。

長男のケンは毎日元気に幼稚園に通っています。9月から年中のひまわり組になり、頭と心が一回り成長した感じ。今年は年長のさくら組の子供が少なく、実質的にはひまわり組の子供たちが下の子を引っ張っていってるようなところがある感じです。ケンはひまわりさんの中では唯一の12月生まれで最年少で体も小さいけれど、同じひまわりの子供たちや、下のクラスのすみれ組の子供たちと楽しそうに遊んでいます。12月のクリスマスコンサートでは、欲目と親ばかの偏った見方しかできない私に言わせれば、ケンが(ちょっと小声で)一番リズム感があった気がしております!トーマスからは少しずつ遠ざかりつつあり、今はプラレールの新幹線に夢中。大きな目と愛嬌ある顔のトーマスより、よりリアルな新幹線系に移行してる途中。幼稚園の男の子が言うのを真似して、「ケイヒントーホクセンが到着しま~す。閉まりますからご注意くださ~い!」なんて言いながら、プラレールを走らせています。「日本に行きた~い」とせがまれるこの頃。私が体のどこかをぶつけて痛がってる時など寄ってきて「痛いの痛いの飛んで行け!」と言ってくれたり、トモキやノアが何かやってるのを見て「上手にしてるね」など、優しい男の子に育ってくれています。本が大好きで、表情豊かな子供。英語と日本語のバイリンガル。私が今でも苦労してるRやVの発音をいとも簡単に言うことができます。ジョークのセンスもグー!この冬休みでトイレでうんちもしっかりできるようになり(バンザイ、今度こそ本物!)ました。
 これからの成長がますますたのもしいケンも9月からカナダの教育制度の幼稚園に入園です。今月が手続きの月で、先週、近くの幼稚園に申し込みを済ませてきました。カナダの場合、幼稚園は小学校に併設しています。幼稚園はだいたい1年保育で、そのまま併設の小学校の1年生に進級です。こちらにはカナダならではの特徴で、幼稚園からフレンチ・イマージョンという制度があります。それはフランス語で教育が行われるのです。カナダ全土にフレンチ・イマージョンの公立校がありますが、数が少ないため申込者は抽選で選ばれます。今回、ケンは近くの英語の幼稚園と、フレンチ・イマージョンの幼稚園に申し込みをしてきました。フレンチの場合は抽選で、結果がわかるのは2月中。入れたらラッキーだし、入れなくても英語の幼稚園に通うことができます。それに、この先ケンがフレンチを覚えたければ、late French immersionといって、7年生から始めることも可能です。

少し前には「悪ガキ」の烙印を押された双子、トモキとノアも最近は少し物事がわかるようになってきたようで、母、ホッとするにはまだ少し早い、、、か。トモキに関しては、ロバートと私は常々「小さな子供がみんなトモキみたいないい子だったらいいのに」と言うくらい、素直で物分りがよく、思いやりのある子供です(今のところは!)。ケンやノアが泣いているといち早く飛んで行き頭を撫でてくれます。食事が終わってもっと欲しい時は「ノット(もっとのこと)!」と言います。外に行く時も、ケンなんていまだに私に抱っこしてもらいたいというのに、トモキは私と手をつないで歩きます。トモキは、ノアのことを「ノアキ」と呼び、私のことを「ママキ」と呼びます。3人の子供の中で一番シャイなのがトモキ。大勢の人が我が家に集まるとダイニングテーブルの下に隠れます。そこからお客さんたちを眺めながらモグモグおやつを食べたり。トモキはまだボキャブラリーが少ないけれど、よく物事を見ていることに度々驚かされます。私が子供の靴下や靴を探していると持ってきてくれたり、自分がズボンをはいていない時には、どこかからかズボンを持ってきたり、物事をよく知ってることにドキッとすることがあります。この頃は自我が芽生えてきた双子、おもちゃの取り合いが増えてきましたが、トモキはいつも手を放しノアにおもちゃを譲ります。最近のヤケドでの病院通いも、泣きもせず包帯のチェンジがいつもスムーズにできました。手がかからない子のトモキです。

トモキより14分遅れて生まれてきたノアは、我が家で一番ドラマチックな子供です。人見知りしないで一番爛漫としてると言えるのかもしれないけれど、喜怒哀楽がはっきりしているのもノアでしょう。先日ロバートは「一番泣くのはノアだけど、一番笑うのもノアだね」と言いました。その通り。そして、とにかくよく食べる。我が家の冗談でこういうのがあります。「ノアって、一日一食しか食べないよね。だって、一日中ずっと食べ続けてるから」。気がついたらノアはキッチンをうろうろしています。ダイニングチェアーを押してカウンターに持って行き、りんごやバナナを取るのもいつもノア。りんごのことを「アナナ」と呼びます。最近熱を出した日にはベビーシッターの梨恵さん曰く「あのノア君ががつがつ食べることもなく、やっぱり具合が悪いんですねぇ」と。「がつがつ食べる」とは、まだ2歳にならないノアにまさにふさわしい言葉です。3兄弟一緒に食事をしながらノアがわけもなく「アマイ!」と言えば、ケンが「甘くない!」と言い返し、甘いの意味がわかってないノアはただただ「アマ~イ」と繰り返し、それにぶち切れるケンは「甘くない!」と怒鳴りとてもにぎやかな食卓の我が家。トモキが私のティポットをひっくり返してヤケドをした時も、「ノアじゃなくて、トモキだったの?」と驚いた友達が数人いました。ノアがやらかしてくれた一番最近のハプニングは、我が家のアラームのスイッチを押して、家中にアラームの音が鳴り響いたこと。ロバートがノアを抱いている時に、運悪く、ノアの高さが壁に取り付けられているアラームの操作盤に手が届くところになってしまい、カバーを開けてチョンチョンとボタンを押してみたところアラームが解除に!我が家は騒然となり、30分近くあのヒステリックなけたたましいアラーム音が鳴り響きました。私はあの音で吐き気がしそうになりました。ノアらしいハプニングです。

小さな子供が3人いるので、なかなか思うようにひとりひとりに愛情と時間が費やせないのが心の痛むところですが、子供たちは3人それぞれ個性を身につけ、雑草のようにたくましく育ってくれてる気がして嬉しい日々です。

Friday, January 11, 2008

バウンスバック中です

この1週間フルーで(英語ではインフルエンザをフルーというのです)ほとんど寝ておりました。小さな子供3人がいるにもかかわらず、今回はとにかく立っていると気持ちが悪くなるので、遠慮なく休ませてもらいました。子供がいる時になりたくないもの。。。病気です。とにかく辛い。りえさん、ロバートに大きなサンキューです。今週から大学が始まりましたが、初めて休みました。ポジティブに生きているつもりの私ですが、かなり精神的にも落ち込み、今、ゆっくりとバウンスバックしています。結局、焦っても仕方がないというところに行き着くのです。

知人から、年頭にあたりダライ・ラマからのお言葉をメールで受け取りました。心が温かくなったのでこちらにも載せます。

Respect ourselves. 私たち自身を敬うこと

Respect others. 他人を敬うこと

Take Responsibility for our actions. 自分で行う行為に責任を持つこと

では、元気になったらまた復帰しま~す。皆さん、この冬はお身体を大切に!



Saturday, January 05, 2008

イマジン

明けましておめでとうございます。

カナダではクリスマスが終わるとみんながフツーの生活に戻ってしまい、謹賀新年とか日本のお正月のフェスティブなムードがかけらもないのです。会社勤めをしてる人は1月2日から仕事に戻るし。何年住んでても、カナダのお正月はdepressingです。

大晦日の夜のニューイヤーズイブのパーティは、今年はショナシーに豪邸を構えた友人の家に行きました。大晦日も私としては家でのんびりと家族と過ごしたいところなのですが、カナダ人は「yeah, let's party, man!」のノリです。パーティをホストした友人はインド系カナダ人で、実はこの豪邸、2年前に購入して、いまだに改築が終わってないという家。そんな状態なので、実は、友人はまだこの家に引越しさえしてないのです。が、あちこちの友人からせっつかれて、ヴィック(友人)は改築中のこの家でニューイヤーズイブパーティをホストすることにしました。豪邸街で知られるショナシーのキング・エドワード・アヴェニューに面したヴィックの家に初めて行ってみた私たち。玄関を入ると大きな吹き抜けになっていて、裾広がりの階段が2階へと伸びます。まるで、タイタニックに出てきた階段のよう。家は地下1階、地上3階建てで、部屋数は、、、たくさんありすぎて覚えていません。なんせ10,000平方フィートの家(929平方メートル)、階段を上り下りするだけで息切れするほどに。あと2ヶ月で引越しができる状態のお屋敷はサウナもあるし、各部屋にプラズマテレビとホームシアターセットが取り付けられるようになっていて、キッチンがレストランの厨房かと思うくらいのステンレスの素晴らしい設備で、キッチンの隣にもうひとつ小さなキッチンが。そこはヴィックがインドのスパイスを調合するキッチンとのこと。よだれがドロ~リ。ヴィック夫婦のベッドルームはバスケットボールができそうな広さで、カーペットはフカフカ。巨大なバスタブにスチームシャワー。インド人の家族なので、大きな家を購入した理由は大家族が住むから。ヴィック夫婦と二人の子供、ヴィックのお父さん、ヴィックの弟2人(一人は結婚してるのでお嫁さんも一緒に)、妹。大家族ではあっても、あれだけ大きな家では家族が在宅かどうかもわからないかもしれない。

そんな家でのニューイヤーイブのパーティは私も最初は気乗りしなかったものの、お酒、オードブル満載でそれはそれは楽しかったのです。子供たちも我が家とは違ったおもちゃをとっかえひっかえ楽しく遊んだし。ヴィック家族のインド系の友達もたくさん来ていて、マハラジャというか、ボリウッドの世界です。やっぱりインド系の人たちは日本人とも似たところがあるのか、そういうパーティには一応こざっぱりした格好で来るのです。サリーを着てる人はいなかったけれど、みんなセミカジュアルで、香水をつけてお洒落でした。私もニットのワンピースを着ていったけど、カナダ人はジーンズにTシャツの、普段と変わりない格好。最初はチーズ、ハム、果物、クラッカーのオードブルで、カウントダウンの少し前にはホット・ミールが登場!待ってました。サモサ、チャパティ、パニール、タンドーリチキンなど。これが美味しいのなんのって!こんなインド料理なら毎日でも食べたいと思ったくらい。そしてカウントダウンが始まり、あっけなく2008年が始まって私たち家族は家路についたわけです。

1月1日はトモキのヤケドのチェックで病院へ。眠い目をこすり、UBCまで車を走らせました。元日の朝に通院したことなんかなかった私は、またここで落ち込みそうに。ところが、車のラジオからはジョン・レノンの「イマジン」が~。あー、新年の幕開けになんてタイムリーな曲でしょう!私の好きなところは、you may say that I'm a dreamer, but I'm not the only one, I hope someday you'll join us, and the world will be as one というところ。

落ち込み気味だった私も、病院でこの前の親切なナースのおばちゃんが、またまた9人飛びでとん太郎を処置室に入れてくれて手厚いもてなしをしてくれたことにすごく感謝。ヤケドも見る見るうちに治っていきます。新年に誰かに感謝を感じる!あー、なんて素晴らしいなんて思って、いい気持ちで家に戻ったのでした。

そして、冬休み最後の土曜の今日はまたもや風邪で寝て過ごしました。トホホ。

では、最後に「イマジン」の歌詞を添えて。ジョン・レノンが没してから27年が過ぎました。私たちが住む世界は、レノンが願っていた方向に向かっているでしょうか。。。

"Imagine"

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say that I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one