Monday, January 25, 2010

副業の話を。。。

クラス発表の日がどんどん近づいてきています。一応あたしもカナダに来てから100戦練磨で来ましたが、プレゼンテーションだけはいつまでたってもだめ。ブー。先日、クラスメートと打ち合わせをしてた時、思わずこぼしてしまったあたしの本音。

「だってねぇ、社会学のクラスって、だいたいみんな英語がネイティブの学生ばかりなんだよね。そんな中でアクセントのある自分が発表するのって、すっごくプレッシャーになっちゃうの。今回は珍しく日本人のクラスメートがいるけども。。。」

そこで思いやりのあるクラスメート2名。「他にもアクセントがある人、いるでしょう?!」

「エッ、他に誰がいる?」と私。

「ホセよ!」
「あっ、そうか、ホセはスペイン人だった」と言いながらも、英語とスペイン語は似ているし、ヨーロッパの人達は「話したい!」っていう意欲が、「ノーと言えないニホンジン」と根本的に違ってるんです。ニホンジンが海外に出て損するところって、そういうところだよね。でしょ、オレンジさん?

「それに、もう一人アクセントある人いるでしょ?!」とクラスメート。
「いたっけ?そんな人?」と私。

「教授よ。彼女、アクセントあるじゃない!」

ホホー、なるほど。。。すっかり忘れていた。先生はトルコ人だった。アクセント、かなりあります。だけど、とにかく講義が面白いの。北海道弁なら「なまら面白い!」んですわ。

クラス発表で私たちのグループが割り当てられたテーマは、ズバリ、「グローバライゼーション」。なんだかんだと私は、3学期続けてグローバライゼーションのコースを取っています。このテーマは世界の将来を考えるにつれて暗くなりがちだけど、奥が深すぎてどんどん追求したくなります。皆さん、グローバライゼーションという言葉を聞くと、どんな思いがよぎるでしょうか?

先週のクラスでのディスカッションでは地震後のハイチ情勢に少し触れました。アタソイ先生がまた謎めいた質問を投げかけました。「ねっ、なんでこういう被災地に世界各地から軍隊を送り込むわけ?だって、本当に必要なのは医者や薬品や食べ物でしょ?」と。

たしかに、救出作業には軍隊も必要ですが、だからといって何千人も必要でしょうか?先週のニュースではカナダではこれまでハイチに千人派兵し、今週にはもう千人くらい送るとか。カナダだけで2千人の派兵です。ハイチの空港は軍隊機が停まっていて、救援用の物資を積んだ飛行機が着陸できないとか。これまでこういった天災などで被害をこうむった地域には海外資本がここぞとばかりに入り込んで大開発しています。こういった現象は一部の社会学者から「天災を利用した金儲け」と呼ばれ、典型的なナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」です。こういう状況を見逃さない大国がえーっと、G7だっけ?アハハ。ちょっとここで口にチャックしたほうがいいですね。

周りを見回すとグローバライゼーションだらけです。例えば、スーパーで売られている野菜や食品。メキシコやペルー産の野菜や、コーヒーはほとんどブラジルやコロンビア。消費者としては輸入物は安いので買いやすい。もちろん家族を養わなければならない人々には生活コストは安ければ安いほうがいい。

コーヒーがいい例です。1杯3ドルくらいで飲めるコーヒー豆はコロンビアやブラジルから輸入されます。そのため、あっちの国ではこれまで自給自足をしていた人々の土地が大企業に買い取られ、低賃金でコーヒー豆栽培に従事させられます。低賃金では家族を養うことができなくなり、自給自足の道が絶たれ食べるすべを失うことに。なんせコーヒー豆は世界第二の貿易品です。大企業は熱帯雨林などを伐採してどんどんコーヒー豆栽培を拡張し、農薬を使った豆栽培で環境破壊と汚染が進みます。もちろん、労働者も農薬などで体を悪くする場合も。そんなコーヒー豆が北半球の国に輸入され人々がスターバックスでコーヒーを注文する時、こういった南半球の人々が払う諸々のコストと犠牲を考えるでしょうか?ていうか、多くの消費者はこういうことを知らされてないだけです。それから、野菜を例にとっても、カナダではメキシコ産のアスパラガスやピーマン、中国産のごぼうやさやえんどうなど輸入物が多いのですが、輸入に頼る分、地元の農家が潰れていきます。恐いのは、海外で大量生産される野菜にはどんな農薬が使われているか知るすべもありません。なので食料はできるだけ身近で作られたものを食べるのがいいし、海外産の物を買うなら「フェア・トレード(公正な貿易)」品がお薦めです。

こうして考えてみると、大手のスポーツメーカーやブランド服も同じことです。タグを見てみると「メイド・イン・チャイナ」ばかりでしょ。中国の労働条件の整わない工場で多くの若者が汗水たらして大量生産した物が経済豊かな国に送られて、バカみたいな値段で売られるわけです。しかもコマーシャルで使われるセレブには法外な広告料が払われ。そしてこれまで経済豊かだった国の人々はそういった自国で生産していた工場が途上国に移され仕事を失い、家族を養えなくなる。こうしてグローバライゼーションは進み、人々の人権や暮らしのクオリティはどんどんむしばまれるばかり。。。ため息。

今日はカーチャン、ちと熱くなった(身休さん風に)。皆さん、これに懲りずにまたブログを読んでください。

Saturday, January 23, 2010

スコットランドのプライド

皆さん、どうも。まだしばらく抗生剤を飲んでる私は、今バンクーバーで一番細菌に強い体だと自負しています。

2本連続の課題。1つ目の課題は、来週のクラスでのグループ発表。グループは3人。一人の持ち時間10分というところ。なんとなく話したいことがひらめいたから、来週の水曜日はなんとかなるかな。こうしていつもひらめきに頼っている私は、いつか穴を掘りそう。。。

今朝は珍しく私がケンをサッカーのゲームに連れて行きました。ゆうべ夜更かしをしたダディは暴睡中。ここバンクーバーでは冬のサッカーが盛んで、ケンのシーズンは9月から2月まで。火曜日が練習で土曜日朝がゲームとなっています。

ケンのチームのマッケンジーのダディはスコットランド人。この人がカッコいい。カナディアンのダディ連中はフィールドの横から大声で子供たちへの声援を飛ばします。「グッド・ジョブ・ガイズ!」とか、シュートが外れても「グッド・トライ!!」とか。なんせ、ここはポジティブな子育て、子供を伸ばす子育ての国ですから。だけど、いちいちそんなことばかり言ってたら、ちょっとうるさい気もしますですねん。もうちょっと静かに見れない?おっちゃん達、これ子供のゲームですよ。と心の中でブツブツ念じるニホンジン・カーチャン。その点、スコットランド人は威厳ありますで~。フィールドの横で腕組して立ち、ただじっと子供たちのプレーを見守る。サッカーが本場のスコットランド。体躯はしっかりしてるし、髪も角刈り、昔スコットランドでフーリガンしてたんだろうな。。。この人、見るからに貫禄あります。この人、怒らせたらおっかなそー。たまにすごくいいプレーが出ると、静かに声援を送っています。私はとってつけたような声援ではなく、こういうマナーが好きだわ。

いやー、すがすがしい土曜の朝にこういうスコットランドの渋い人を見るのもいいですね。ミルクを入れた濃い紅茶が飲みたくなってしまいました。そういえば、スコットランド人に「どこの国から来たの?」と聞くと、「スコットランド」と答えますね。UKとかグレート・ブリテンじゃなく、スコットランドなんです。並々ならぬ愛国心とプライド。そうだ、私もこれから出身はどこかと聞かれたら「ドサンコです」と言ってみようかな。

実は私は10数年前に日本を出た時、本当はスコットランドに行きたかった。だけど、ある事情があってカナダに来てしまった。

そしてそこで出会ったのが、スコットランドのはしくれの夫というわけです。

Wednesday, January 20, 2010

復活!

みなさ~ん、ご心配おかけしました。とりあえず元気になったMacSaitoです。薬はまだ飲んでるんですが。

先日の手のぐるぐる巻き写真、あれでまたまた読者の人々に???と思わせたMacSaitoでござんす。手はまったくもって問題なかったのですが、なんせ、自由がきかなくて不自由でした。

先週はおかしな週で、週初めからなんだか抵抗力が落ちている気がしておりました。ほら、風邪をひく直前のあのなんともいえないけだるさ。そして一番おかしいと思ったのは、毎日午後5時過ぎになると私の場合、「あーっ、今日も頑張ったからワインでも飲まないとならないな~」と思うその気持ちがわかない。私はどこかおかしいに違いない!そう思ったのです。それが月曜日のこと。月曜日は雨の中、あちこちで小さな用事があって、双子をプリスクールにおろした後、双子をお迎えに行くまでの2時間の限られた時間、あちこちに走りました。少しゆっくり座ってお茶でも飲めば良かったのにちまちま走り回ったのも良くなかった。

その頃、調子が悪いせいか、左頬に小さな吹き出物ができました。

なんだか調子が出ないなと思いながら過ごしていると、木曜日の朝、顔の左半分が腫れていた!鏡で見ると左右の顔の大きさが違う!これはおかしいと思って、ドクターへ。ドクターは「皮膚炎」の診断をして、抗生剤を出してくれました。そのまま家に戻ると、なんだか体が本当につらい。熱も上がってきた。午後の子供達のお迎えも行けそうもないので夫に頼んで私はそのままベッドへ。熱はどんどん上がる一方、左頬は熱いし痛い。

金曜日も腫れは引かず、なんだか木曜日より悪くなった感じ。それでもどうしても長男を連れて行かないといけないところがあったり、どうしても金曜日中にダウンタウンですませなければならない野暮用で、腫れた顔をマフラーで隠して出かけたのです。帰りにスーパーに寄った時にはサングラスをして腫れた目をカモフラージュ。でも、レジのお姉さんは私の顔を見て口には出さないけど「ワッ!!」という表情に。きっと、私はDVの被害者かあやしげな逃亡者に見えたに違いない。

ちなみに、ママ友が前に教えてくれたんだけど、彼女の長男が小学校に入った頃、その子の蒙古斑が担任の先生に見えたことがあり、ママ友は翌日校長室に呼ばれたそう。そこには校長先生とソーシャルワーカーが待っていて、アジア人の子供に特有の蒙古斑を知らないカナダの人には子供が虐待されてるのではと思い、彼女は色々質問攻めにあったとか。だから、いい年したオバサンの顔が腫れてると、周りの人はDVを想像しちゃう国です。

私の顔の腫れはまさに、見た人は「ウワッ!」と驚くか、「見なければよかった~」とその人の顔まで青ざめてしまうか、あるいは「かわいそう、あの人。でも、これが自分の身に降りかかったことじゃなくてよかった~」と胸を撫で下ろすかって感じの状態だったことでしょう。

さて、薬の効き目はまったくなく、土曜日になる頃にはもっと「顔が腫れて力が出ない~」のアンパンマン状態。なのでまたドクターへ。

ドクターは私の顔を見るや、「これはUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学病院)で抗生剤の点滴しなきゃならないわね」と。

そこで夫に運転してもらいUBCへ。車の中では悪い思いが色々頭をよぎります。もしかして皮膚炎じゃなくて、リンパ腺か何かの病気だったらどうしようとか。

夫が私に言いました。「君の腫れならまだいいほうだよ。ネットで皮膚炎の写真を見たけど、ある人は指にばい菌が入って、指が木のようにごつごつにいびつになった写真とかあったよ」と。落ち込んでいた私の心はそこでまたグサーッ。彼は私を励まそうと思って言ったのかもしれないけど、そこで私が思ったのは、私の顔もそこまで腫れてごてごてになったらどうしよう。。。と。どうしてこの人はもう少しましなことが言えないの?こういう人が日本ではKYって呼ばれてるんじゃなかった?

UBCに着くとトントン拍子にドクターの診察。3日ほど通院して抗生剤の点滴が必要ということで、3日間通いました。そしてあの手の写真はその時のもの。なんとその都度その都度、点滴針を血管に刺すのではなく、一度針が入ったらそのままにして包帯でぐるぐる巻いてそのまま3日通院。手に針がずっと刺さってるということが、感覚的・肉体的にコワーッの小心者の私。間違って針が刺さったところが何かに触れたり、子供がタッチした時に針が血管内で動くあの疼き。泣きたくなったことが何度あったか。。。

点滴注射の効果とは素晴らしい!1回目の点滴でかなり腫れが引き、2回目、3回目で見違えるほどに。治療の甲斐あり、腫れはもうほとんど引きました。

さて、今日、双子のプリスクールの先生より温かいお言葉。「あまり無理しないでくださいね。体が大変な時はご主人に任せて休んでくださいね」と。

そこで私も言わなければいいものの、咄嗟に口から出た言葉が。。。「いやー、なんだか今回のこの経験でまた思ったんですけど、もしかして我が家の大黒柱って私じゃないかと思っちゃったんですよ」。だって、私が手が不自由な間、汚れた食器を片手でディッシュウォッシャーに出し入れしていたのは私です。ディッシュウォッシャーに入れない木製の食器は私の手が不自由な間、一体いつになったら夫は洗うのだろうと思っていましたが、ずっとキッチンのシンクに放置されたまま。結局、包帯が取れた私が洗うまでそのまま放置。

すると先生まで「私もですよ!自分が大黒柱なんじゃないかって思うこの頃なんです」と。横で話を聞いていたお母さんも、「私も自分のことそう思ってるんです~」と。思わぬところでアラアラ。。。

何はともあれ、復活したMacSaitoであります。ご心配有難うございました。皆さん、何はともあれ健康第一。元気がないと感じたら睡眠と栄養を補いましょう。

が、これからの2週間、大学の課題に集中するのでまたしばらくブログは休みま~す。これがまたしんどくなりそう。。。

では、アンパンマン体操で冬を元気に乗り切りましょう。


Saturday, January 16, 2010

開店休業

しばらく調子悪くしてたのですが、これで致命的に。パソコンの両手打ちがしばらくできなくなるので、ブログはお休みしま~す。

この写真、痛々しいでしょう。何したかって?話すと長いので、両手が使えるようになったら。手はあまり問題ないんです。点滴用の針が刺さってるだけで。あのスーパーヒーローのアンパンマンは「顔が濡れて力が出ない~」という名台詞があるけど、スーパーカーチャンのアタシも似たようなもんです。

では、しばしのサラバ!みんな元気でね。

Wednesday, January 13, 2010

オリンピック前の一コマ

今日は夕方バスに乗り大学へ。バスに乗るとドライバーの「さぁ、乗ってくれ。後ろにはアニマルがいるから気をつけてな」の意味深な一言。犬でもいるのか、それとも鳥だろうかと思いながら後ろの座席に歩いていくと、アニマルなんか乗っていません。見渡す限り乗客だけ。このドライバー、おもろい!

が、大きな交差点の手前でバスがしばらく立ち往生。どうやら夕方の外の暗さに加えて雨とラッシュアワーでミニバンと乗用車が衝突した模様。乗用車のボンネットはがっつりなくなっていました。自分も気をつけなきゃと感じた一瞬。

事故現場を片づけるまで交通はシャットアウトで、私が乗っていたバスもしばらく停まっていました。バスが動き出すとドライバーのアナウンスが。

「今、あの交差点で事故があったので、このバスはかなり遅れちまったんだよ。これから飛ばすからね~」と、彼はバス停をどんどんとばして気持ちいいくらい快速でバスを走らせます。

「この遅れを取り戻さなければならないので、ヘイスティングスを過ぎたらしばらく停まんないよ。とにかく遅れてるんだ。まっ、オリンピックの期間中もこんな感じだろうけどな!」そこで乗客から笑い声。

オリンピック期間中、バンクーバーは一体どんな街になるのでしょう。

今日は11度。イングリッシュベイ近くでは梅が咲いていました。こういう冬に限って春が早そう。

Tuesday, January 12, 2010

バンクーバー・オリンピック



バンクーバー・オリンピック開幕まであと1ヶ月となりました。バンクーバーは日に日に活気づいてる感じ。我が家にチケットも届いたので、ムード盛り上がってきました。ホッケーの予選のチケットだけど、オリンピックには変わりない。こりゃおもろくなりますな。今日のバンクーバーは11度。庭には水仙が5センチくらい芽を出していました。なんだか春の匂いもしたような。スノボーなどの競技場になるサイプレスマウンテンは雪が少なくて困っているようです。ウィスラーはまずまずなんじゃないかな。ホッケーは競技場が屋内なのでばっちりです!ブリティッシュ・コロンビア大学もこの前行ったけど、女子ホッケー会場のサンダーバードアリーナはフェンスに囲まれて、なんだか厳かな雰囲気に。晴美さん、待ってますよ!

私のオリンピックの仕事の方はあちこちから聞かれるようになりましたが、まだ何も詳細が決まっていません。まっ、待ってれば連絡があるでしょう。それまで私は体を鍛えておきます。

それに、今月はクラスで発表が2本、ペーパーも1作という課題があり、今日から月末までちょっと気合入れていきます。

誰かぁ、女子準決勝のチケットとスピードスケートのチケットをトレードしてくれないかな~。

Monday, January 11, 2010

うちの双子A、トンちゃん

双子のやりとりは日増しに面白くなります。

ケンの宝物のハイパーレスキューが入っていた箱を、こともあろうに双子Aが真っ二つに破ってしまいました。

「ママ、トモキ、ケンちゃんのはこ、こわした!」とちくるノア。
「ぼく、やってないよ!」としらばっくれる双子A。

「ママ、トモキ、ただウソゆいたいだけなの」とノア。
「ウソ君っていう人がウソいってる!」と主張する双子A。

ホシの双子Aはポーカーフェイスでばっくれたところで、カーチャンにはちゃんとわかっている。ホシは犯行現場に戻ると言うじゃありませんか。双子Aは犯行現場から離れすらしなかった。しかも、壊れた箱はホシのまん前に無残に転がっている。。。

そこへケン登場。壊された箱を見て、「あ~、誰が破ったのぉ?!」と。悲しい気持ち、よくわかります。まずノアが「トモキ!」と言い、双子Aは「ノア!」と言い張ります。カーチャンはそこで知らないふり。

「ごめんねって言ってくれたらボク、怒んないのに。。。」とアニキ。あっ、なんか珍しく調子いい。いつもなら怒り出すのに。もう6歳だから、ちょっとアニキらしくなってきたぞと、カーチャン嬉しい。でも、6歳でも大事なものを壊されるのは悲しいよね。

あとでトモキと二人っきりになったすきを見て、「ケンちゃんに謝った方がいいよ。ママと一緒に謝ろう」と諭したものの、「いやだ」と謝る意思なし。

なかなかごめんねが上手に言えないトモキだけど、見るところはしっかり見ている双子の兄ちゃん。私が声を上げて怒った後で、「ボク、ママが大きい声出すのキライ」ときました。そういう時はチャンスでトモキと膝をわって話します。

「トモ君がママのお話聞いてくれるならママも大きい声出さないけど、ママのお話聞けないなら大きい声出すよ。わかった?」
「うん、わかった」とトモキ。

この前ダイソーでケンに虫眼鏡を買った後で、「ママ、ボクとノアには何買った?」と言われました。3歳なのに本当によくわかっています。

すでにこうやって理でくるトンちゃんは、将来は弁護士にでもなってがっぽり稼いで、カーチャンにらくさせてもらえないものだろーかと思ったりしています。

Sunday, January 10, 2010

全身スキャナーのブログが元で、同じく何年も飛行機に乗っていないあの方とさっき電話で話したところ。あの方は、春にロンドンへ行くらしい。ロンドンなら、私は機会があるならいつでも行きたい!って思うのに、あの方は何だか気乗りしていません。代わりに行ってあげたいな~。そしてあの方には、我が家の愛らしい天使のような3人の子供達の面倒を見てもらって。。。なんか、こう考えてみると、このトレード悪くなかったりして!私はイギリス大好き。あの方はうちの子供たちが大好きだと思うので。

さて、私が最後にホリディと言える旅をしたのは、ケンがまだお腹にいた時。子供ができるとしばらく旅もできなくなるな~と思い、年貢の納め時にいつもと少し違う、チャレンジングな旅をしたいと思いました。でも、妊婦なのでそれほどアドベンチャーはできない。バックパックは体の負担になるからスーツケースで。万が一のために、医療システムのしっかりした国。となると、私が行ってみたいアジアのあちこちの国はバツになりました。インド、ベトナム、カンボジア、ミャンマーあたり。残念。時期は夏が終わりかけの8月下旬。南半球のオセアニアは季節が反対なのでこれもバツ。ブラジルやアルゼンチンにも行ってみたいと思い、その頃、地球の歩き方のブラジル編を買いました。となると行き先はブラジルか。。。夫はあまり気にかけてないようで、私にすべてを任せていました。「君が行きたいところならどこでもいいよ~」と。旅は私以上にしている人です。アドベンチャーなホリディができないのが少し残念そうだったけど、私は夜な夜などこへ行こうかとネットなどで調べました。やっぱり、ブラジルかな。。。あのなんとかって滝も見たいし。デニーロ出演の「ミッション」でロケ地になったところ。

そして、色々考えた挙句に行き先決定。子供ができたらあまり行けそうもなくて、でも、一度は行っておきたい国。ある程度チャレンジングなところ。私は旅に行く時、英語も日本語も話されていない国に行くのが好きです。なので、その二ヶ国語が話されていない国。

夫に「決めたよ!」と言いました。もちろん彼はどこへ行くか興味津々。。。

「。。。ロシア。モスクワとサンクトペテルブルグに行こうよ」と私は言いました。「ブラジルじゃないの?」と少し驚いた彼。もちろん、ブラジルではありません。私は時たま人をかく乱させるのが好きなだけです。せっかくロシアまで行くので、隣接したエストニアとラトビアにも足を伸ばし(ベラルーシは断念)、帰りはデンマークで数日過ごしてカナダに帰国の予定で飛行機のチケットを取りました。

共産体制の崩壊したロシアと一口に言っても、チケットを取った後で、個人旅行はまだまだ難しいことを知ったものの後の祭り。マイレージでゲットしたチケットはキャンセルするわけにはいきません。ロシアに行く人はたいていがパッケージ旅行で行っているのです。まず出発までが難関続き。ロシアに行くには、入国と出国ビザが必要です。ビザと言っても、ロシア大使館に申請すれば誰でももらえるものでなく、まず、ロシアのスポンサーから招待状をもらい、それを元にビザ申請できる仕組み。私達はロシアのホテルを予約して、そこから招待状をもらうことにしました。モスクワとサンクトペテルブルグで滞在するホテルを決めました。が、これがまたファクスでのやりとり。手続きを始めたのが5月。西側諸国の一員として暮らしている私は、普通、ホテル予約なら時差があっても1晩、かかっても2、3日でできるものだと思っていました。が、最初のファクスから1ヶ月経過。何も連絡なし。ど、ど、どうなってるんだ~と不安になり始め、どれほど待つ時間が長かったことか。やっとこなんとか招待状が届き、ホテル予約もすみました。招待状を取るのにこれほど時間がかかったのだから、ビザ申請もロシア大使館からはね返されるのでは、、、と不安になり、自分達でビザ申請はしないでビザ代行の会社に申請をお願いしてそれから2週間くらい。めでたくロシア出入国ビザ到着!ビザには何月何日に入国して、何月何日に出国すると日付がしっかり記載されています。万が一この日をずらすことになると、またまた面倒になることは目に見えていたので、旅先で突然のアクシデントや病気になったりすることがないようにと祈った、祈った。エストニアとラトビアもビザが必要。でもロシアほど難しくはありません。面白かったのはエストニアでは日本人の私が入国ビザがいらなく、カナダ人の夫がビザが必要で、ラトビアはその反対。なんか、いまとなっては定かでないけどそんな感じ。デンマークはビザなし。エストニア、ラトビア、デンマークともにネットで各国観光局のサイトを見つけ、そこから値段のそこそこのベッド&ブレックファストをメールで予約。ロシアと違って、すごくスムーズ。

ロシアに行く前にガイドブックなどで読んだのはロシアの悪名高い悪徳警官のこと。わけもなく外国人旅行客を道端で止めては、入国書類を見せろと脅し、書類にミスがなくてもなんだかんだといちゃもんをつけて米ドルの賄賂を巻き上げるというもの。それを読んで私は、モスクワとサンクトペテルブルグの日本大使館とカナダ大使館の連絡先をメモりバッグに入れました。パスポートもコピーを取って。万が一のために、高価なものも持っていかない。婚約指輪と結婚指輪も外し、当時使っていたデジカメも家に置き、少し古めのミノルタを持って行くことに。

やっと出発にこぎつけた私達。フランクフルト経由でモスクワ到着。古くてみすぼらしいモスクワ空港の入国審査は、思ってはいたものの長い行列で、ダラダラと時間がかかりました。空港からホテルまでタクシーに乗ろうと、最初に値段の交渉。相手は私たちが外国からの旅行客なのでふっかけてきます。

「US200ダラーズ!」
ジョーダンじゃない!私達は次の運転手に移動。最初は150ドルくらいでふっかけられ、なんとか100ドルくらいで決着。法外な値段はわかってたので、せめて100ドルで長旅の後でホテルに着けるのならいいかということに。心の中では「ニホンジン、舐めんじゃねーよ!」と叫んでいた私。

この旅行でもまた偶然が。。。フランクフルトからモスクワまでのフライトで、通路を挟んで向こう側に座っていた女性がいました。モスクワ到着翌日、私達は市街中心より少し離れたホテルを出て歩いていたところ、向こうからこの女性が歩いてくるではないですか。モスクワと言ってもとても広い都市です。またもや、こんなことが起きたと浮かれた妊婦。

ところで、この旅行で私がスーツケースに詰めるのを忘れたものは、、、靴下。まだ暑かったせいもありすっかり忘れちまった!だけど、モスクワは曇り空続きで、妊婦には禁物の足冷えに。だけど、どういうわけか、いろんな店に入っても靴下が売ってない。モスクワには昔から有名な老舗デパートが一店あったのですが、そこは品揃えが恐ろしく悪く、そのくせ値段は高い。でもって、靴下が売られていない。おまけにロシア人、英語を話さない。話すのはホテルの窓口で、本当に限られた2人くらい。それもあまり上手とは言えない。「靴下」という言葉すらロシア語でわからない私達はどこに行っても靴下が見つからない。なので、ロシアを出国するまで夫の靴下をはいていた私です。ロシアに来てルーズソックスをはくことになるなんて夢にも思っていなかった私。。。

こんな感じでロシアに入国し、後は楽しい旅が待っていました。

続きはまた気が向いた時。

Friday, January 08, 2010

全身スキャナー導入というニュース。

自慢じゃありませんが、4年近く飛行機に乗っていないので、旅にかかわる知識と経験がすっかり疎くなりました。昔(といっても10年ほど前のこと)、成田への出発30分前にシアトル・タコマ空港に到着した時は、チェックインを終了してしまったカウンターで頼み込んだら飛行機に乗せてもらえたし、3年前、トロントで最後に飛行機に乗った時は、授乳用ミルクをチャプチャプさせながら手荷物にした時も平気でした。あの時、手荷物検査で我が家族の前に並んでいたのはあきらかに中東系の家族。我が家と同じ境遇でありながら、向こうさんはすべての手荷物を調べられていました。

中東系カナダ人のクラスメートも言っていました。ラスベガスにバチェラー・パーティで行った時、一緒に行ったヤローはみんな中東系。といっても、カナダ育ちで自分達のアイデンティティはと聞かれたら「カナディアン」という人達。が、ラスベガス空港に着いた時、一緒に行ったヤローの預けたスーツケースはすべて一つ残らず空港関係者によって開けられていたと。「僕達はどこにいて何をしていても、当局は必ず僕達のことをすべて知りつくしている。どこに住んで、どこで仕事して、子供は何人でとか。こんな社会で、僕らの子供の将来が心配なんだよ」と彼は言っていました。

平和とは一体、なんなのでしょう?今の世界情勢では、「平和」という言葉がイルージョンのように思えることがあります。平和を提唱するあの大国。平和を盾に世界のあちこちの国に行っては「平和活動」とか「民主化」という言葉で、無防備な市民がいったいどこまで犠牲にならなければならないのでしょう。

2009年はジョン・レノンとオノ・ヨーコの「平和を我らに」ベッドインから40年でした。インタビューでジョンが言っています。「平和を我らのものにするためには暴力に立ち向かわなければならない。そのためにはずっとベッドにいて、髪を伸ばし続けろ。Give peace a chance(平和を作るためにチャンスを与えろ)」と。

モントリオールでベッドインの部屋に招待されたタールトン氏が言っています。

「ボクが部屋に入った時、レノンと奥さんはベッドにいて、僕が思い浮かべていたレノンとは違ったんだ。彼は歌ってなかったんだ。だけどその代わりに、二人は次から次へと行われるインタビューでずっと同じメッセージを語っていたんだ。”僕達はこの世界のあらゆる命を殺し続けている。それを止めることが我々一人ひとりの責任だ。何もしないということは僕達に残された道じゃない”と」

ジョンとヨーコが平和を訴えかけたベッドインから40年がたちましたが、一体、今日の世界では何が変わったでしょう。

平和は、世界レベルで達成されるものだけではなく、毎日の暮らしの中にも散りばめられています。

ここでダライ・ラマの「人生の指南書」の続きを。

●ルールを学ぶと、そのルールをどのようにうまく破るといいかわかるだろう

●些細な口論で偉大な友情をだいなしにしてはならない

●間違いをおかしたとわかった時、すぐに修正するよう努めること

●毎日、自分ひとりの時間を作ること

●静けさが時には一番の答えだということを忘れてはならない


Wednesday, January 06, 2010

今日から待ちに待ったアタソイ先生の新しい講義が始まりました。愛しのクラスメートのホセ君とルイスとヒロシマ・ベイビーも一緒です。今回のコース名は英語で「Sex, Work, and International Capital」です。

アタソイ先生はこの長ったらしいコースを「セックス・クラス」(笑)と呼びます。「でもね、これは売春とか性労働とか、人身売買のコースじゃないから、それだけは最初から言っとくわよ。これはジェンダーのクラスなのよ」と。何人かの学生から残念がるため息がもれました。さて、来週何人の学生がこのクラスからドロップアウトしてるでしょう。

アタソイ先生、「私のこと呼ぶ時、ドクターでもいいし、プロフェッサーでもいいし、ファーストネームだけでもいいけど、Mrs.とMs.だけは使わないで。いいわね?」と。それは、19世紀のビクトリア朝で使われていた言葉だからだそうです。うーん、やっぱりこの先生いいな。たしかにドクターの称号を持つ人に、だんなさんへの付属物かのような「ミセス」は失礼。Ms. MacSaitoもここらで、時代遅れな名前を変更しなきゃならないでしょうか。

クラスの自己紹介でホセ君の番が来て。。。
「ボクは今学期でやっと卒業です。長い長い間、大学に通いました」と。
先生が何年通ってるか聞きました。「15年」とホセ君。ウワッ、上には上がいる!私の10年が短く聞こえる。ホセ君の知らなかった一面も知りました。マラソンが趣味で、この5年で18マラソン走ったと。足への負担を考えるとマラソンは年に1度のペースがいいそうです。だけどマラソンが病みつきになったホセ君、走らないわけにはいかないんだとか。「32キロでオレはなんでこんなことやってるんや!と憤り、ゴールした時にはまた走りたい~」と思うそうです。皆さん、これをいい教訓にマラソン中毒にはならないように。と言いながら、私はいつかハーフマラソンを走ってみたいと思っています。そして完走したら、次はマラソンを。

だけど、私の大学生活自体、終わりのないマラソンのようなものです。

では、これからしばらく学生生活に雲隠れするMs. MacSaitoです。

Tuesday, January 05, 2010

マイケル vs ジョージ

ブラピもいいし、クルーニーもモチロンのこと、だけど、実はもう何年もマイケルに恋しています。

REMのボーカルのマイケル・スタイプは私のカリスマです。




以前はクルーニーと言えば、「ウエーッ、濃い!!」と見れなかった私ですが、年をとったねぇ、中年の大人の魅力にもひかれてきちゃった。今日見た映画は「Up in the Air」。見た後で感想がなかなか思いつかなかったけど。。。

クルーニー、やっぱりカッコいい!!

Monday, January 04, 2010

こちらもLife Goes Onなんだよ

今日から子供達の学校が再開。

ケンは小学校へ、双子はプリスクールへ戻りました。この2週間のクリスマス休暇で、我が家はみんながだれてしまいました。今朝、7時半に頑張って起きると外はまだ暗く、やっと意識と頭がつながったのは、少し明るくなった9時頃。ケンの学校の廊下では、6年生くらいの大きな子供達がヨガをやっていました。所在投げに呼吸をする生徒に向かってインストラクターが、「聞こえないわよ!ほら、もっと大きく息を吐いて」と。身にしみる一言。

バンクーバーは元日以来雨が続いています。あまりに外が暗いので、なんか、北欧みたいやな~と思いながら、8時半にケンを小学校まで送りました。そうだ、自分は北欧にいると想像してこれから生活していこうっと。そうすると気分も少し変わるかも!

やっぱりメリハリがある暮らしは大切。新年が始まり、今日、1月4日になってなんとなく今年のフレッシュなスタートを切った感じ。気分的には、新しいお茶の袋の封を切った感じです。ケンは元気に登校したし、双子もオリンピックに備えてプリスクールのロケーションが変わりました。双子が今まで行っていたダウンタウンのコミュニティセンターのプリスクールは、建物自体が冬季オリンピックで利用されるため1月から3月まで閉鎖。そのため、その期間のプリスクールはダウンタウンのウエストエンドに移されました。ウエストエンド・コミュニティセンターはイングリッシュ・ベイのロケーションが素晴らしいし、建物があるデンマン・ストリートは各国料理のレストラン、スーパー、雑貨屋のオンパレード。コミュニティ・センターにはジムも図書館もあるので、立地条件としてはファンタスティック。これから双子がプリスクールに行っている間、私の時間つぶしも楽しくなるでしょう。何事も「変化」はいいことですね。

さて、今日からもう一つ新しいこと。ケンが今日からピアノを始めました。初めてのレッスンはどんなことになるのかと思っていたら、とても楽しそうに鍵盤の端から端まで手を走らせ、先生は若くてきれいなお姉さんだし、教本もカラフルで絵がたくさんときたから、こちらもいい出だし。

カーチャンは珍しくハプニングのない1日に驚いています。

今日、ケンのピアノのレッスン室で見た壁掛け。ダライ・ラマによる「人生の指南書」。とても心に残ったので、これから少しずつここに書いていきます。

●偉大な愛と物事の達成は、大きなリスクの代償がついてくる

●負けを喫したとしても、そこから学んだレッスンを自分のものにせよ

●自身を敬い、他者を敬い、自身の行動の責任をとれ

●自分が欲するものが手に入らない時、それが幸運を導くこともある


深呼吸して、よーく心の中に刻みたいお言葉です。

Saturday, January 02, 2010

2010年代が始まりました!

こちらではクリスマスが終わった途端にハッピーニューイヤー・モードで、お正月や元旦の厳かさなんて微塵もないですねんな。なもんで、我が家も大晦日の晩にニューイヤーズ・イブ・パーティをしてしまったもんで、昨日1月1日は子供はクリスマス休暇に飽きて、私は体力をリチャージしていました。しかも外は雨。外に出ても楽しくないし、かといって、店屋も閉じてるし。

そこでマダムMacSaitoは考えた。どっか、家族連れで行って楽しめるところ。ミュージアムや水族館、サイエンスワールドはお金がかかるし、きっとホリディで混んでるはず。お金がそんなにかからなくて、子供達がある程度体を動かせて。。。

そうだ!とポンと手を叩いて行ったのが、バンクーバーの隣町、リッチモンド。中国系の移民が多いリッチモンドは香港かと思えるくらい、モールもビジネスもチャイニーズ。中国人は旧正月を祝うのが常で、商魂たくましいこの人達のこと、元日だってモールは開いてるに違いないと思ったら、案の定、大繁盛です~。モールの中にはダイソーも入っています。家族5人でダイソーをうろついて、最近探偵ごっこにはまっているケンは、虫眼鏡を購入。犯人の残した痕跡を探すには、虫眼鏡が一番の武器でしたね。すっかりなんだか小人版ホームズ。日本のおばちゃん、コナンのビデオ送ってね!その後、T&Tという中国系のスーパーマーケットをのぞきました。いやー、面白いわー。豚の胃や、牛の肝臓や、ありとあらゆる臓器が並べられてるし、魚もグロいのがたくさんあった。日本食もたくさん置いてあります。子供達は1ドルで動く飛行機や汽車の乗り物に乗ってアイスクリームを食べさせたら満足するし、私は気分はニーハオで一味違ったニューイヤー。モールのあちこちには香港でよく見る乾物屋さんが店を構えています。乾燥しいたけや、乾燥海老、豆類、乾燥した海の物(なまこや、姿形そのままのすごく高価なタツノオトシゴ!)、あやしげな漢方薬などなど。あのなんとも言えない匂いがやっぱりアジア。乾燥した魚介類や漢方が混ざった匂い。慣れるのに少し時間がかかる。日本にもない匂いです。

今日、1月2日は今年最初のジムへ。ジムのワークアウトではいつも20分走りこんで心拍数を上げるところから始めます。今日は8分弱で心拍数を計ると172。OMG(オー・マイ・グッドネス)!いつもは12分過ぎで毛穴が開き汗がジワーッと出てきて、その頃で心拍数が145。8分もたってないのに172とは、私、危ないんだろうか~と一瞬焦りました。おかしいなー、気分はいいのにな~。そのまま走り続け、12分頃また計ると、心拍数は92。さらに少したってまた計ると145。なんだ、計る装置がただ壊れてるだけや!毎年、年の始めはジムがとても混んでいます。1年の計は元旦にありで、カナディアンもクリスマスの美味しいディナーでつけた体重を落とすためにこぞってジムに行くようです。が、これが2月になるとかなりの人がドロップアウトし、3月になると、だいたいいつも同じ時間帯にジムで出くわす人しかいなくなります。

さて、今年のテーマは皆さん決めたでしょうか?私はここしばらくの関心事が健康、食、環境なので、それを結びつける暮らしがテーマです。90年代に、バブルを追い風にオネーチャンをしてた頃のツケを私はこれから返していきます。生きるためには、自然環境があってこそ、食べる物に恵まれ、健康を保った暮らしができると思っています。過去30年で、世界はこの掟にかなり背いてしまいました。これからは無駄のない暮らしを心がけ、買うものは必要最小限に、自然資源を大切に利用し、リサイクルができるものはできるだけリサイクルし、作れるものは作って、余っている分は必要としている人と分け合い、謙虚に生きていけたら~と思っております。今後10年、こんな暮らしをしてみるとシアワセが見えてくるかも?