Saturday, June 30, 2007

グラウス・グラインド




今日は2年ぶりにグラインドに挑む。

バンクーバー北部にはシーモア、グラウス、サイプレスの3つの山が東から西へ並んで連なっていて、グラウスはその真ん中の山。3つの山すべて冬にはスキー場になる。グラウスは夏はゴンドラが頂上へと出ていて、観光客のスポット。そして、ローカルはグラウス・グラインドというハイキングをやるのだ。この”グラインド”が、とにかく心臓破り。距離にして1キロくらいだと思うけれど、ひどい急斜で、一度歩き出してしまったら、ずーっと登ってばかりのステアマスター。かかる時間は、だいたい10キロをランニングするのと同じくらいと言われている。バンクーバーはウエストコーストだけあって、Vancouverites(バンクーバー人のこと)は健康志向がカナダ一なのだ。ウエストコーストはいいよー。ゲイが多くて、すし屋も旨い。日本も近い。と、話が脱線してしまいましたが。

ケンが生まれる前は私とロバートも、夏はドラゴンボートの練習のない日はグラインドに挑んでいた。仕事帰りにグラウスに直行し、友達と山の麓で待ち合わせて、6時くらいからグラインドを始める。ロバートは速いので40分ちょっとで頂上に着き、私は自分のペースで60分ちょっとで着いて、みんなが落ち合う。グラインドを終えて飲むビールはとにかく旨い。頂上のレストランでビールとディナーをして家に帰るというのが、私たちDINKSの楽しみだった。ケンがまだ赤ちゃんだった時は、ロバートが背中にケンを背負ってグラインドをした。最初のうちはロバートもいいトレーニングになってよかった。が、ケンが7ヶ月くらいの時は体重が重くなっていて、3/4過ぎでバテテしまったロバート。幸い、一緒に登っていたブライアンがバトンタッチしてくれてケンを連れて行ってくれて無事に頂上到着。私が最後にグラインドをしたのは、2回目の妊娠がわかった少し後のこと。まだ双子だということは知らず、グラインドを始めたけれど、とにかく体が重くて思うように動かない。お腹はそれほど出てなかったけれど、やっぱり妊娠してるとこんなにしんどいものなのかと思いながら、1時間20分のタイムにがっかりしたのを覚えている。あとで双子とわかった時には、なーるほど、あの散散だったタイムはこのためだったのか!と納得。

今日はウェンディとグラインド。彼女は両踵に水ぶくれができながら、水ぶくれ用の絆創膏を貼ってのグラインド。とにかくウェンディはガッツにあふれている。求める男性は頭脳明晰、顔と体はランス・アームストロングという、彼女自身バリバリの公認会計士なので、マッチメーキング好きな私も彼女には手を焼いている。あっ、そして自分より少し年下でなければならないって譲らないんだから、彼女、どーしようもない。そんな人、今時いないって。

で、今日のグラインドは、前回の双子妊娠中のリターンマッチのつもりで挑んだ私。1/4過ぎで時計を見る。まずまずのタイム。半分を過ぎたところで、あー、なんでこんな過酷なことをしたのだろうと後悔。いつものことだ。ここまで来てしまったからには、にっちもさっちもいかない。下に歩いて下りるのも面倒くさいから、とにかく登り続けるしかない。汗がだらだら流れる。人目も気にせずハァハァ喘ぎ、握り締めていた水のボトルで、ところどころで水分補給。日本人留学生のグループを通り越す。日本人はジーンズにスニーカー、おまけに重そうなバックパックまで背負って場違いないでたちでいるので、喋っていなくてもすぐにわかる。中国語、スペイン語、東ヨーロッパ系の言葉を話す人たちも多い。子連れの親もいる。8歳の男の子が父親とお姉ちゃんと一緒に登っていた。「ねぇ、この急な坂、死ぬ人が出ると思う?ここで自殺する人なんかいるのかな?」と無邪気に話しながら登っている。うちもあと5年もすれば、ケンができるかなと思ったりする。土曜の午後なので、ハイキングの間はひっきりなしに人が続く。3/4のサインを見たところでモーティベーションが少し上がる。もうちょっとだ、頑張らなければ!そして今日は61分のまずまずのタイムで、私の自尊心もめでたし、めでたし。ジム通いが功を奏したか。帰りはゴンドラでバンクーバーの街並みと太平洋を見渡しながらのんびりと。心拍数もかなり落ち着く。グラウス山では往復をゴンドラ利用の場合は20数ドル。グラインドをする人たちを考慮してか、片道だけ利用する場合はたったの5ドル。年間利用のできるパスを購入することもできる。一度やると、もう二度とやるものかと思うか、病みつきになるかの両極端なのがグラインドだ。

家に戻ると、大小さまざまな靴がバックヤードに散乱。キッチンにも靴が散らかっている。うちって、なんでこんなに靴が多いのだろう。ロバートが一人で3人の子守をすると、とにかく物が散らかる。子供たちが食べたランチのご飯粒も、テーブルの上と下にぼろぼろこぼれている。不器用ながらも子供たちと過ごす時間を楽しんだロバート。

3連休の1日を消化。あー、今日はよく眠れそう。

写真は、グラインドのゴールと、グラウスから見渡すバンクーバー、そしてゴンドラ。

Friday, June 29, 2007

もう、怒っている!

今日で3週連続で金曜日のジムの「ステップ2」のクラスに出てみる。午前中のクラスであるにもかかわらず、このクラスにはレギュラー陣がそろっている。暇な人たちが多いねぇ~。だから、3週間前に初めて参入した私はもうしどろもどろ、ステップについていけな~いのだ。残念なことに、私が行くジムでは「ステップ1」のビギナークラスが行われていない。なので、ステップを取りたければ、少し高度な「2」を取らなければならない。ステップにも色々な名前があって、簡単なステップタッチから、around the worldとか、高度な技になってゆく。私の場合、まだすべてのステップを覚えていないのと、リズム感のなさが悲し~い、、、、。このクラスは相当なレギュラー陣と見えて、おばちゃん1は、インストラクターが到着する前に彼女のステップ台を準備したり、ミラーが汚れていたりするとペーパータオルで拭いたりと、献身的。カンフー並みの切れのあるキックをするアジア人のお姉さんは、リズムに合わせて「yeah!」とか掛け声をかけて一人でノリノリ。彼女は、2年くらい前からステップのクラスを取っているのをよく見かけた。

今日からカナダ・デーの3連休が始まるので、クラスも閑散としていた。教室の隅に立っていた私に、おばちゃん1は「そんなところにいないで、真ん中に来なさいよ!」と声をかけてくれて、今日はインストラクターの前で、彼女の動きがよく見えるところを陣取った私。これでステップもいくつか覚えられそうと内心ほくそ笑む。クラスが始まり、なんとなく、今日は足も動くし、おしりも軽くなったかな、なんて思っているところへ、いきなり遅れて来たおばちゃん2が、私の前に割り込んでステップ台を置く!おばちゃん2の他人を考えない行動で、私はインストラクターの足の動きがまったく見えなくなってしまったのだ!モーッ!と猛然とした私。だけど、おばちゃん2に「そこどいてよ!」と言うガッツがなく、しぼんでしまった私。

その後、家に帰る途中の店で、ラズベリー1箱、バナナ一房とコピーを4枚。8ドル40セントと言われて、何も考えずにお金を払う。家に着いて、「エッ?たったあれだけの買い物で8ドル?」と頭に疑念が。そういえば、レシートもくれなかったから、値段を確かめることもできない。ぼったくられた!きっと、相手の兄ちゃんも適当に計算して、よく考えないで値段を言ったに違いない。

なんか、こういうことで私の金曜日にミソをつけられた感じと、怒っている私。

でも、今晩食べた味彩の寿司は旨かった!41stアベニューにある、日本人が経営しているスシ屋だ。久しぶりに美味しい寿司を食べたことで少し満足。

Tuesday, June 26, 2007

いろんな出会い

今日はバスでブロードウェーのファミリードクターまでケンと出かける。私の生活は、本当にすべてブロードウェーで成り立ってしまうのだ。ドクターとU-Brewの店があったら、他に何が必要だというのでしょう!歯医者もそうだし、ケンの幼稚園もブロードウェーから1本入った通りにある。ジムも。ブロードウェーは素晴らしい。

バンクーバーの行く先々で子供たちと日本語を話していると、思いもしないところで人との出会いがある。今日はバスに乗って早々、ドライバーに片言で、「ゆっくりどうぞ」と言われた。もちろん、彼は白人のドライバー。彼は数年前に日本人専門の観光バスのドライバーをしたことがあるという。奥さんはケベック出身のフレンチ・カナディアンだという。「僕は英語しか話せないから、二ヶ国語を話す人が羨ましいんだ」と。「じゃあ、子供ができたらフランス語を教えたらいいね」、と私。カナダのバスに乗っていると、ドライバーと乗客がフレンドリーに会話する光景が少なくない。マイクを使ってジョークを飛ばすドライバーもいるし、バスから降りて近くのガソリンスタンドまでコーヒーを買いに行くドライバーもいる。なんて、いい加減な国に住んでいる私!やぶからぼうに彼は、「ヨンジュー・イチ!」と言った。「えっ、41歳なの?」と聞いたら、「いや、今41stアベニューを過ぎたところなので。僕は44歳なんだ」と、こんな会話の中から彼の年まで知ってしまった私。私とドライバーの会話が弾むかたわら、ケンが隣に座っていたアジア系のおばあちゃんに「おいくつですか?」と日本語で聞かれている。3歳のケンは、知らない人に話しかけられるとまだシャイになる年頃だ。ドライバーと会話が弾んだついでに今日は社交的になろうと決心した私はおばあちゃんに「日本でお生まれですか?」と聞いてみた。「台湾なの」と、おばあちゃんから思ってもいなかった返事が来る。その瞬間、なぜこの人がこれだけ流暢な日本語を話すかを覚った私は、一瞬、ヤバーと心の中で思う。今さら歴史を持ち出さないでくれー!占領下の責任なんて、私一人でこの場で取れない。。。と構えてしまった。ところが、おばあちゃんは続ける。日本の教育は素晴らしかったと。あの時代は良かったと。戦争が終わって中国が入ってきてからは知識階級が次々と殺され、それはそれはひどい国になってしまった、なので、自分は娘の家族とカナダに移住できてラッキーだったと。思ってもみなかったおばあちゃんの話に、私も頷きながら耳を傾けた。そういえば、もう10数年前、台北で、台湾人男性と結婚した友達と会った時、台湾男性の兵役の話になった。「中国からの侵攻に備えて、誰がこの国を守るって言うんだい?そのために僕達が兵役に就くんだよ」と熱く語った彼。のほほんと平和な国で育った私には、なかなか理解に難いサブジェクトだったけれど、あれから10数年、私も年を取ったせいか、それとも他民族でポリティクス豊富なカナダに住んでいるせいか、そういったことが少しは身近なこととして感じることができるようになった。これまで、アフガニスタンで戦死したカナダ兵は数十名に上る。ピースキーピングというソフトな言葉でお茶を濁そうとしている今の保守党政権。私の見方は、あれは無意味な戦争だ。なんて、この場を借りて政治の話にならないようにしましょう。

今日はメープルグローブ・パークで、日本人母2人と出会う。二人とも我が家の双子より少し月齢のいった男の子を持つお母さん。あの公園で日本人と出会ったのは初めてのこと。このへん、日本人のママさん達はけっこういるみたい。ケンが生まれるまでは仕事を持っていた私、あえて日本人だからという理由で誰かと親しくなることはなかったけれど、子供ができてからは子育てのことなど共通の話題ができて、何人かの友達もできてきた。私の場合は、狭く深くのお付き合いがコンフォタブル。

Monday, June 25, 2007

週末のこと






またもやイベント続きの週末。先週末のドラゴンボート・フェスティバルはいまだに書けずじまい。今週末は、土曜日がケンの幼稚園の運動会で、日曜日はサイダーをボトルに移し変え。

ケン、頑張ったー。12月のクリスマスコンサートから飛躍的な進歩を遂げたケン。今回は「お魚ロック」のダンスに障害物競走、綱引き、玉入れ、一生懸命動いて楽しんだ様子。なんせ、12月のクリスマスコンサートでは、ステージの上でただ突っ立ってたケン。そんなわけで、オペレッタの「かさ地蔵」では、笠をつけた地蔵役がはまり役になっていたケン。お地蔵さんって、動かなくていいでしょう。なんで、今回の運動会もきっと一人してさめてるんだろうなと予想していたら、ところがどっこい、誰よりもリズム感、瞬発力よく駆け回っていたわが息子。あっ、親の欲目ってやつ?!今回は幼稚園のイベントに初めてトモキとノアも参加。ノアは小さい弟・妹の徒競走(羊の放牧みたいに、親が子供の手を引いてたと言ったほうがわかりやすいかも)に出ておもちゃをもらったし、ロバートも親が参加する綱引きで日ごろの筋トレの成果を発揮!そうそう、親子で参加できる種目もたくさんあって、みーんな楽しんだ様子だった。残念ながら、ケンの白組(ドラゴン)は青チーム(シャーク)に僅差で負けてしまったものの、子供たちはチームワークというものを少し学んだのかもしれない。誰が速いのかを競うのでなく、本当に日本的な参加することに意義があるって感じで、この年齢ではこれもまた良かったかも。

そして日曜は、手作りサイダーを瓶に移し変える作業。バンクーバーにはU-Brewのお店があちこちにある。ホームブルーと違って、U-Brewの場合、店で作りたいビール、ワイン、サイダーを選んでお金を払えば、あとは店の人が材料を樽に仕込んでくれる。そして、そこで寝かせて、数週間後に樽から瓶に移し変える作業に行って、家に持ち帰る、というのがU-Brewの仕組み。ホームブルーより少し割高だけど、面倒くさい作業は店の人がやってくれるのですごくラク。昨日、瓶に入れたのはアップル、ラズベリー、梨のサイダー。4人の友人でシェア。何人か友達を集めて作ると、いろんな味が楽しめてグー。あとは1週間ばかり家で寝かせると、美味しい手作りサイダーの出来上がり。一つの樽で60Lのサイダーができ、かかる費用は70ドル。このところバンクーバーでは5%アルコールのサイダーが買えず、出回ってるのはほとんどが7%なので、手作りサイダーは私たちの好きな5%前後なのが嬉しい。これから夏なので、バックヤードに座って飲むサイダーはとても美味しくなりそう。U-Brewの店では、瓶に移し変えた日に新しいサイダー、ビール、ワインを注文すると10ドル引きというサービスをしているので、それにつられてブラックチェリーとワイルドベリーを注文してきた私たち。この夏は炭酸いっぱい、シュワシュワしそうな予感。

写真は、運動会で「お魚ロック」を踊るケン、サイダーを瓶に流すシェリー、消毒したサイダーの瓶(クリスマスツリーみたい!)の山、U-Brewの店が面するブロードウェーで行われていたGreek Dayで風船をもらったケン、家に持って帰ったサイダーの瓶(もちろんプラスチック!)をぜーんぶ箱から出したお騒がせの双子。

そして今日は月曜。ウィンブルドンが始まっていた!

いちごが旬で、ラズベリーが出回り始めたこの頃。今日はこれから、いちごとラズベリーとブルーベリーのパイを作ることに。

Tuesday, June 19, 2007

ノアとお出かけ




私はこれまで一度たりとも、3人の子供と私だけで出かけたことがない。それを考えただけで、ちょっとびびる。今、智樹とノアは1歳ちょっとで、向こう見ずに歩くことしか知らない。一人はあっちへ、そしてもう一人は別方向へひたすら歩いて(時には小走りで)行ってしまうのだ。ケンが1歳半だった時、日曜日のサイエンスワールドの人ごみで、4秒くらい目を放した隙にいなくなられてしまった。20分後に、はぐれた場所の上の階で一人で無邪気に遊ぶケンを見つけるまでには、心臓が止まりそうな思いをした。そんな経験もあって、3歳半になってきちんと歩くようになってくれたケンと、無鉄砲な1歳過ぎの双子の男の子を連れて私だけで出かける状況はいまだに避けているのである。
 ナニーさんが来てくれる火曜日の今日は、珍しくノアだけを連れてダウンタウンに出かけることにした。ノアのパスポート用の写真を撮らなければならないこと、ノアと智樹の靴が必要なことなど用事がいくつか重なった。智樹のパスポート用の写真も撮らなければならないのだけれど、今日はなんとなくノアを連れて行こうと思った。ノア一人を連れて行けば、智樹の靴のサイズは同じことだし。というわけで、火曜日は私は車に乗らない日と決めているので(私のささやかなる環境保護への貢献)、バスに乗っていざ出発。ケンと違って、我が家の双子はかなりシェルターに囲まれた生活をしている。ケンは小さな時から私とジムに行ったりなんだかんだと頻繁にバスに乗っていたけれど、双子の場合はそうもいかず。ナニーさんが来てくれる日には、彼女に双子を頼んで、ケンだけを連れて出かける生活をしてきた。
 バスに乗ると、ノアは神妙な顔で周りをうかがっている。まだ自分がどこにいるのかよくわかってないという表情だ。いつものノアのスマイルがちっとも出てこない。突然、真面目な人になってしまったノア。ロブソン・ストリートでバスを降りて、ハウ・ストリートの写真屋へ。ここはケンが赤ちゃんだった時にパスポート用の写真を撮ったところだ。子供のパスポート写真は、じっとして座っていてくれないとかぐずるとかの理由で、なかなか撮ってくれる写真屋が少ない。今日は5時過ぎには家に戻りたかったので、用事の順番をしっかりと紙に書いて、所要時間も計算しておいた。久しぶりのダウンタウンはけっこう変わっていてビックリ。新しいビルも出現している。そして、あの写真屋の前に着いてガクッ。店じまいをしていたのだ!今日の一番の目的はノアのパスポート用の写真を撮ることだったのに!気を取り直して、靴を買おうと思っていたシアーズに行く。シアーズにはフォトスタジオが入っていることを思い出した。シアーズの中も変わっていた。都合のいいことに、フォトスタジオは子供服売り場の3階に動いていた。予約もしてないのに待ち時間もなく、ノアの写真を撮る番に。その頃には硬い表情も取れたノア。初めてのダウンタウンで見るもの聞くものを楽しんでいた様子。ところが、丸い椅子にノアを座らせ、私がノアの胴を支えて写真を撮ろうとすると、動いたり瞬きしたり、なかなかいい写真が撮れない。ケンはいつも1回でオッケーだったのに。。。なんて思いでが頭をよぎる。やっといい写真が取れたかと思うと、ポラロイドが現像されると、あごによだれがついていて、その部分だけテカーッと光っているので撮り直し。あまりに動くので、今度は私がノアを抱いて座り、私が写真に写らないよう、不自然な体制でノアから体を離してなんとか1枚目をつぶってないショットが撮れる。ただ、ノアの目はかなり上目遣いで(カメラの上のぬいぐるみを見ていたので)、しかも目つきがギラーッとこわばり、口はギュっとへの字に結ばれている。いつもの愛らしいノアらしさが全然ないのだ!まっ、仕方ない。たった3年間のことなので、このパスポートで我慢してもらうことにしよう。

それから、男の子らしいスニーカーを、智樹の分も一緒に2足購入。足元がこれまでの冬用のブーツからスニーカーに変わっただけで、一段と男の子らしさが増したノア。

帰りのバスの中では私の真似をして舌を出したり、ダーダー言ったり愛嬌いっぱい。いつも智樹とノアの双子は一緒くたに扱われて、なかなか私と1対1の時間が取れないけれど、今日は私もノアだけを見ることができて、お互いの絆を少し深めることができた感じ。

写真は、バス停でバスを待つノア。バンクーバー・アートギャラリーの建物前と後ろで1枚ずつ。

初めてのノアとのお出かけはとても楽しいアドベンチャーだった。今度は智樹のパスポート写真を撮りに。

Friday, June 15, 2007

ケン、トーマスに乗る!






"Day out with Thomas"というイベントが、夏の間、北米のあちこちで開催されていて、 トーマスが来るっていうんで、先週末、我が家も、トーマスに会いに一家総出で行ってきました。場所は、バンクーバーとウィスラーの中間地のスコーミッシュ。あいにくの雨の中をハイウェー99に乗って行ってきました。ウィスラーへつながるハイウェー99はくねくねしたカーブが多い一車線の道で、私にしてみれば少しおっかないハイウェーだったのだけれど、さすが、2010年の冬季オリンピックに向けて、ハイウェーのあちこちが拡張工事中。なんで、工事系が大好きなケンはハイウェーを走りながら、ショベルカーやダンプトラックが走馬灯のように過ぎてゆくのを喜んで見ることしきり。

前の晩から私たちはケンに、翌日トーマスに乗りに行くことを説明していると、「トーマスじゃなくて、ゴードンに乗りたい!」と言って泣き出したケン。私はちょっとヤバーと思ってしまったのですが。。。

そしてスコーミッシュに着いて、トーマスがいた!雨の中、煙突から白い煙を吐くトーマスを目の前にした時には、私も少し感動してしまった。鮮やかな水色のトーマス!普段遊ぶおもちゃの木製のトーマスやビデオでしかトーマスを見たことがなかったケンは、あまりにも大きなトーマスを見て少したじろいでしまった感じ。ケンとロバートと、一緒に来たウェンディは実際にトーマスに乗って走ってきました。約20分の汽車乗りは一人20ドル。年齢制限なしで、大人も子供も同額。やっぱり、トーマスファンは子供なので、子供からもお金をもらわないと元が取れないからなのでしょうか。家族5人の我が家が一家で乗ったとすると100ドル!なので、私と双子は外で待っていました。汽車の中にはピエロがいて、子供たちの鼻に赤い丸を描いたりして楽しませてくれたそう。我が家の場合、ケンはそういうところに行くと強ばってしまうタイプなので、汽車から降りてきた時、ケンではなくロバートの鼻がトナカイになっていた。そして、汽車の外にはトップハムハット卿もいるではないですか!しかも、ビデオから出てきたかのような本当のハット卿。あまりのリアルさに、ケンどころか私もたじろいでしまった。ハット卿って、ハンプティ・ダンプティのような小さくて丸いおじさんをイメージしていたら、ロバートと同じ背丈なんだもん。180センチってことですよ。。。

次回のDay Out with Thomasは、ハイウェー拡張工事中のため、2009年になるそう。その頃にはケンはトーマスを卒業していて、今度は双子がトーマスに乗ってはしゃいでいることでしょう。

Wednesday, June 13, 2007

マモグラム体験

先々週はとても暑い日が続き、夏が来たかと思わせたバンクーバー。でも先週は雨が続き、気温も下がってしまう。今週は気温はそれほど上がらないものの、一応子供たちを公園に連れて行ける日が多い。我が家も、何もなかったかのように、みんなそれぞれのことをやっている。そう、何もなかったかのように。。。月曜日、フォルスクリークの家を売ったお金が我が家の口座に入った。そう、まとまったお金がドーンと。昨年からロバートが事業を起こす準備をしていて、収入がない我が家。なので、このまとまったお金はとても助かるのである。早くソフトを仕上げてよね!と思いながら、頑張って昼も夜も働いているので、私は黙って見ているのだ。

さて、私も今年で節目となる年を迎え、体の健康をあらためて考えていかなければならない年になってしまった。そこで、今日は人生初の乳がん検診のマモグラムを受診。マモグラムはレントゲンのようなもの、という知識しかなかった私。検査技師の女性に「知ってると思うけど、マモグラムはみんなが思うほど悪いものじゃないわよ。胸を押さえつけるのだって、胸じゃなくて、首やあばら骨の皮を伸ばすので怖く感じるけれど、体の力を抜いてリラックスしたらなんでもないから」と言われて、私はそこで初めて、「シマッタ!ただのレントゲンじゃないのぉー?!」とビビッてしまった。時すでに遅しで、「やっぱり、出直してきます」なんて言える場合でなくなっていた。そこで上半身裸になり、胸をレントゲンの機械の冷たい板にのせる。上からプラスチックの板で押さえつけられ(!)、「ハーイ、息を止めて」の合図で左右の胸の写真を垂直に1枚ずつ。次は、機械が横転して胸を斜めに押さえつけてまた1枚ずつ。本当に、思ったほど痛くもなく、不快でもなく、すぐに終わった。検査結果は2週間くらいで我が家に送られ、私のファミリードクターにも同じものが送られるそう。多分、何もないとは思うけど、これからは自分の体も大事にしていかなければ。3人の子供たちの育児にあたっては、まずは自分の体が健康でなければにっちもさっちもいかない。とにかく、体が資本。今の生活では、家族の誰か一人でも健康を害すると、とても大変になるのだ。バランスが良く健康的な食生活を続け、運動もしていこうと心がけるこの頃。幸い、我が家のファミリードクターもいろんなことを丁寧に診察してくれて、私の疑問にもしっかりと応えてくれる女性なので心強い。女性のドクターなのが行きやすい要因でもある。とは言いながらも、これからはアーユルベーダなんかも取れいれてみたい、なんて思うことも。西洋医学だけに頼るのではなくて、これからはホリスティックなアプローチが必要なのではないかと感じるのだ。

ケンも、昨日で3日続けて自分ひとりでトイレに行ってうんちをする!いいぞ、いいぞ。今度は本物って感じ。トモキもノアもますます元気に育ってくれる。今日は、私が買ってきたリンゴの袋を見つけて、一人ずつリンゴを手にして、皮ごとムシャムシャ。小さな手でリンゴを握って、一生懸命に噛んで食べて。家中のあちこちにリンゴの皮が落ちているけれど、今日のビタミンの補給なのだから、あとで床を掃除すればいいだけ。ロバートは、今週末がAlcan Dragon Boat Festival。まだチームに合流して1ヶ月もたっていないけれど、筋肉の記憶が戻ってきているのは確からしい。今年のこのレースは気軽にいって、レース後のチーム選考のタイムトライアルにフィジカルとメンタルな面で備えるに違いない。あー、私もドラゴンボートの妻が板についた!

Sunday, June 10, 2007

グッドバイ・フォルスクリーク:ファイナル編





昨日、正午をもって、フォルスクリークの家が、新しいオーナーに渡った。私たちはハウス・オーナーでなくなったのだ。あれだけ愛着のある家だったけど、私たちは思ったよりあっさりとしていた。まっ、予想外のいい値で売れたので、けっこうホクホクしちゃったっていうのもあるかもしれないけれど。子供たちは今の家でとても楽しく幸せそうにしてるので、やはりあの家を売るのはいい決断だったわけだ。それに、バンクーバーのバブルは今にもはじけそうだし。あとはじっくりと次のいい家にめぐり合うのを待つのみってところ。

今日は、9月にバンクーバーに来るクラウディド・ハウスのチケットを購入。

写真は順々につなげると、元我が家からのパノラマビュー。

Monday, June 04, 2007

降ってわいたような話:ロバート、フォルスクリークにカムバック



先週、ロバートがドラゴンボートに復帰したのである。フォルスクリークに復帰。あのユニフォームをもう一度着ることにしたのだ!

昨年のクラブ・クルーカップという世界大会で、金メダルをほとんど獲ってしまった西カナダ代表のフォルスクリーク・チームの一員だったロバート。クラブ・クルーの直前に行われた今年の世界大会のカナダ代表を決めるレースでトロント(オリンピックのカヤック代表アスリートたちが7名くらいいる強豪)に惜敗してシドニー行きの切符はゲットできなかったフォルスクリークではあるけれど、現在ドラゴンボートで世界ランキング1、2位のトロントに善戦して負けたので悔いはないとさばさばしていた。それは昨年の8月のこと。私もこれでドラゴンボート・ウィドーから解放される!夫が家に戻ってくる!と内心喜び、それから先週にいたるまで、土日は子供たちを公園に連れて行ったり、家族みんなで散歩に出かけたり、パーティもたくさんやったり、フツーの生活を楽しんでいたのである。

ここ数年で、ドラゴンボートは北米でかなり人気のチームスポーツに発展。昨年の世界大会にはカナダ、アメリカ、イギリス、ドイツ、香港などから強豪チームが集まる。毎年バンクーバーでは6月に大きなドラゴンボート・フェスティバルが行われ、参加数はローカルなチームからアメリカ、ドイツ、オーストラリアなど各地から180チームくらい。1ボートは20名の漕ぎ手とドラマー、舵を取るスティアの22名が乗る。一般的なレースは500mを競うもの。世界大会のレベルでは、250m、500m、2000m、男子部門、女子部門、混合部門、そして年齢によっても分けて(ジュニア、オープン、マスターなど)レースが行われる。昨年、フォルスクリークは2年に一度開かれるクラブ・クルーで、6種目中4つの金メダル、1つの銀メダルを獲得。2000mでは惜しくも失格になってしまった。

昨年はクラブ・クルーと、世界大会の予選に向けて、ロバートは1月からトレーニングを開始。週に4回ボートの練習、3回はジムで筋力トレーニングの毎日。双子が生まれた時は2週間トレーニングをオフにしてくれて、それからまたトレーニングスケジュールに戻り、ストイックな日々が8月まで続いた。20名が乗るボートと言えばかなりの大人数に聞こえるけれど、そのシートを目指してあちこちのチームからフォルスクリークに加入するパドラーが増え、20名のパドラーを決めるにあたってのタイムトライアルを何度かこなし、ロバートはボートの中でも重要な1番前のシートで、メトロノームのような役割をしてボートのスピード、タイミングを設定する「ストローク」というポジションをしていたのだ。チームのコーチは、シドニーとアテネオリンピックでカナダのカヤックチーム代表だったコモニ・ジェインという女性。テストステロン隆々のチームから、一目も二目も置かれた素晴らしいコーチだ。オリンピックスポーツになっても不思議ではない、近年ではハンパじゃないスポーツ、それがドラゴンボートなのだ。たかがドラゴンボート、されどドラゴンボートというやつだ。

今年はロバートのソフトウェアの仕事が忙しく、家を売る準備や、目が離せなくなった双子の子育てなどで、ドラゴンボートから休業宣言をしたロバート。私の中でも、多分ロバートは昨年がレース人生のピークに達したのではないだろうかと感じていた。

ところが、、、だ。チームメートで仲の良いロビーが、我が家に知らせを持ってきたのは2週間前。9月にシドニーの世界大会に行くことになっていたトロントチームのスポンサーが降りてしまい、何千ドルも自腹を切ってシドニーに行けなくなってしまったアスリートが出てしまいピンチに陥ったトロント。そこで、トロントから10名、フォルスクリークから選り抜きの10名がチームを作りシドニーへ行くことにしたというのだ。我が家の事情を知っているロビーは、ロバートにチームに戻るようには言わなかったけれど、ロビーが我が家にじきじきに現れてこのニュースを伝えるということ自体、何が言いたいかははっきりしていた。もしかしたら、私の前でチームに戻るよう説得すると私に刺されると思ったかもしれない(笑)。私たちはキッチンで立ち話をしていた。ナイフが目の前のカウンターにあったので、ロビーもビビッタのかもしれない。だけど、ドラゴンボートへの思いは、私もありありだ。ここ数年の私はアウトリガー・カヌーを練習しているけれど、ケンが生まれるまでは私もロバートと一緒にドラゴンボートをしていた。家を売ってお金も入ったわけだし、シドニーへ行く旅費なんて軽い軽い。というわけで、ロバートは先週フォルスクリークの男に復帰したのだ。

とは言っても、昨年の8月以来トレーニングをしていなかった体には、いきなりチームに合流しての練習は辛いものがあるらしい。この1週間は背中と体全体が痛いそう。年もあるわよね、と私は思ったりしているのだけれど。やるからには、ベストを尽くして欲しいのが私の願い。これからしばらく家庭を犠牲にすることになると思うけれど、私も昨年の経験があるので、どうやって育児をしていけばいいか見当もつくようになったし。10人の中の一人に選ばれてほしいと願い、早くも私のほうが少しドキドキしていたりして。

今日はケンが「Do, Do, Do, De, Da, Da, Da」を歌って私たちを楽しませる。

Sunday, June 03, 2007

サンデーピクニック



夏日が続くバンクーバー。ケンの熱もすっかり下がり、いつも通りの元気なケンに戻る。今日、日曜日は、先月で退職したケンの幼稚園の真理先生を囲んで父母会がピクニックを企画した。場所はジェリコビーチ。真理先生は昨年の9月からケンを大事にしてくれ、ケンも真理先生のことをいつも家で話していた。この前の遠足は熱で行けなかったので、せめて今日は1ヶ月ぶりに会う真理先生と少しでも会えたらと思い、ケンも私も日焼け止めクリームをしっかり塗ってビーチに参上。カナダ式で、ポトラックという持ち寄りピクニックだ。我が家は、子供たちにも食べやすいフィンガーサンドイッチを持参。幼稚園の子供たちとその家族が集まるポトラックはいつも楽しみだ。ケンの幼稚園にはバンクーバーで人気の高い日本食レストランを経営する親御さんが3人いる。その人たちが持ってくるものはお寿司だったり、チキンのから揚げだったり、毎回美味しいものなのだ!今日は、手作りのあん餅を三段の重箱にぎっしり詰め込んできてくれたお母さんもいた。もちろん、お餅はまたたくまになくなった。ケンはランチの後で友達とバトミントンに挑戦したり、ボールを投げたり元気ハツラツ。日差しは強かったけれど、海からの心地よい風でかなり涼しく過ごせた。

さて、ポリスのコンサート以来、私は車の中でポリスのCDを聴いている。いつものケンは「迷子の仔猫ちゃんがいい」とかリクエストしてくるのだけれど、なかなかポリスの曲を気に入って「もっと大きくして」なんて言ったりしていた。そして、なんと今晩は私とロバートの前で「孤独のメッセージ」を口ずさんで、恥ずかしそうに走って逃げて行った!

次回こそは、ロバートの話題で。