Thursday, September 27, 2007

モウロウとしたこの頃

先週金曜から風邪をひき、この1週間はモウロウとしていた。朝起きた時の喉の痛み。ムッ、これはまずい、とピンときた。昨日まで寝たり起きたりの繰り返し。これが、がっつり寝て治すことができれば時間もそれほどかからなかったのであろうけれど、3人の子供を育てながらではそうはいかない。ロバートがシドニーに行っていた先週、家事はけっこう手抜きにして、ほとんど毎日友達が来てくれて、シングルマザーも思ったより悪くはないな、なんて思っていた矢先の風邪。ロバートは今週月曜に帰ってきたので、先週末はとてもしんどかった。子供がいる身で何が一番怖いかと言うと病気になること。子ども達に病気になられても困るけど、面倒を見る自分が倒れてしまうと、小さな子ども達の面倒を見てくれる人がいなくなるのだ。ロバートがいれば話は別だけど。今回は、いきなり気温が下がって秋になってしまい、体もそれについていけなかった気がする。ちょっとの油断でひいてしまった風邪。風邪とはいっても、喉の痛みと鼻づまりは困る。味覚、嗅覚を失うと生活がヒジョーにつまらなくなるのである。風邪とはいってもあなどれない。子ども達もみんな風邪。だけど、子ども達は食欲旺盛なので助かる。この1週間で、私とトモキでティッシュペーパーの箱を3箱空にした。鼻水ズルズル。

そのうちオリンピック種目になるだろうと言われているドラゴンボートの世界大会に挑んだロバートは月曜日に帰国。世界大会でカナダ男子は5位と7位に終わったものの、晴れ晴れとしたいい顔で帰ってきた。フィリピン、中国などアジア勢がトップを占めたと聞いて驚き。体の小さいアジアのアスリート達はものすごいレートでボートを漕いだらしい。体の大きな欧米のチームはボートのレートはそれほど速くなく(レートを速くするとボートが空回りするだけなので)、腕の長さを利用して大きなリーチで水をかく。ドラゴンボートといっても、テクニックは体型によって異なるのだ。ドラゴンボート(龍船)発祥のアジアが意地を見せた結果に終わったらしい。とはいっても、カナダ男女ミックスチームは金メダルと銀メダルを獲得。カナダといえばホッケーだけじゃなく、知る人ぞ知るのドラゴンボートもあるということを知らしめたのではないだろうか。オリンピックではカナダチームのユニフォームが毎回人気の的になるけれど、シドニーでもそうだったらしい!赤地に白の袖のドライフィットのシャツで、ロバートとチームメートのロビーの長袖ユニフォームが盗まれたというのだ。二人ともバックパックの中にシャツを入れて、自分達のチームテントに置いておいたら、お財布やカードは盗まれなかったのにシャツだけ盗まれたというのだ。心無い人たちもいるものなのですな。多分、こういうチームスポーツではレース後に他国の選手とシャツの交換をするのが通常なのだけど、ロバートは自分のバンクーバーのチームシャツを開催国オーストラリアのシャツと交換してきました。なんと日本チームも参加していて(あいにく成績は下のほうだったそう)、ロバートはシャツをもらってきました。ロバートの話では、日本チームはそれほど強くなかったし、シャツもかっこよくなかったので誰もトレードしたくなく、レース会場を行きかう人々に配っていたそう。トホホでございます。もちろんロバートは、自分の妻は日本人で~なんて宣伝してきたらしい。日本チームは香港帰りのビジネスマン達がお台場あたりで練習しているとか。今後の活躍を願います。

なんだかんだと9月はモウロウと終わってしまった感じ。そして、ストライキはまだまだ続く。

Tuesday, September 18, 2007

Go Canada Go!


先週からシングルマザーをしている。ロバートは、オーストラリアはシドニーへ旅立った。ケンの幼稚園のお母さん達から「仕事で行ったの?」と聞かれるたびに、「いえ、ドラゴンボートで。。。」と答える私の肩身は狭い。小さな3人の子供を私一人に押し付けて行ってしまったロバートも相当な度胸をしています。とは言っても、たかがドラゴンボート、されどドラゴンボートの世界で生きる私たちなのよね。トホホ。

チーム復帰が遅いながらも、シドニーの世界大会でカナダを代表するチーム・カナダのメンバーに選ばれたロバートでござんす。5月末に復帰してから、火・木・日がドラゴンボートの練習、月曜はジム、水・土はアウトリガーのボートの自主トレ、金曜はジムかアウトリガーに励んだロバート、怪我もなくなんとかシドニーへ飛びました。出発に際して、メープルリーフのロゴ入りの長袖、半袖のユニフォーム、ショーツ、ジャケット、スウェットシャツが支給された。これまでのように、ロバートのチーム名の「False Creek Racing Canoe Club」という名前は入っておらず、それに代わって「Team Canada」のロゴ。私たちは、なるほど、国を代表するのはこういうことなのかと思ってしまった。

シドニーはとても気候が良く、レース会場は2000年のシドニーオリンピックの競技場なので、とても良い設備が整っているとのこと。日本からもチームが参加。強豪は、ロシア、スロバキア、マカオあたりらしい。木曜から始まるレースでチーム・カナダはどこまでやってくれるでしょう。

Saturday, September 08, 2007

ある事実が起きてしまった。

そのことによってこの数日、体の力が抜けた気がして虚しさを感じている。

何年も喋っていなかった日本の友達数人に電話をかけた。一人の友達は家にいて、1時間ちょっと話した。これまで話していなかった数年間、そして、出会ってからの20数年を少し埋めることができたような気がしてホッとした。

親友が死んだ。気高くて、物事に執着のない彼女だった。元気になったら、自分のように病気で苦しんでいる人たちを助けたいという夢を持っていた。

今、私は、悲しみが過ぎるのを待っている。

Sunday, September 02, 2007

ついにグレッグが…




グレッグが、ついに結婚したのである!

あのグレッグががががが!グレッグ C(苗字のイニシャル)。43歳。元弁護士の肩書きを持ち、現在、世界的規模で繰り広げる某銀行のストック・ブローカー(株式仲買とでも言うのかな?)。こー書いてしまうと、とてもエリートに聞こえるけれど、そうじゃないんだってば!友人の間では、グレッグのオナラは悪名高く、恒例のスキー旅行ではグレッグと同じ部屋になるのだけは勘弁してくれと誰もが言い、待ち合わせの時間には1時間は平気で遅れるので「グレッグ・タイム」と呼ばれ、歴史書を読むのが趣味で、ミリタリー系の話をすると延々と続き(うちの息子達の歴史教育はグレッグに任せようか?)、グローバル・ウォーミングを信じていなく、政治思想は右寄り、金融界で働いてるくせに人の名前と顔を覚えるのがまるっきり下手ときて、メールを書く時はスペルミスだらけ、潔癖、超マイペース、リストはまだ続き。。。グレッグとロバートと私は、毎週のように飲みに行ったり、映画を見たり、週末の旅行に出かけたりと遊んでいた。ケンが生まれる前までは。ケンが生まれてから私達は外出の回数も減り、グレッグはガールフレンド探しにスパートをかけるようになる。女の子と初めてのデートの後で、我が家にその子を連れてきて、自分にはまともな友達がいるということを誇示したり(ていうか、我が家からのアメージングなバンクーバーの眺めを見せたかっただけって話もあるけれど)、その子とうまくいかなければ、自分のパーソナリティーの不備をかえりみず、彼女は「男嫌い」か「サイコ」として片付けていた。そういう女の子が何人いたことでしょう。グレッグの笑い話は尽きない。一緒に映画を見に行った時、映画が始まる前にポップコーンを買いに行ったグレッグ。映画が始まってからも戻ってこないので心配した私が後ろを振り向くと、数列後ろでグレッグが見知らぬカップルとニコニコ話しながら映画を見ていた。グレッグに手を振った私。なんと、グレッグはそのカップルと私達を勘違いして座っていたのだ。それに、自分の年をさばよんでガールフレンドに言っていたことでも、私達友人からいつもブーイング。数年前のスキー旅行の週末に40歳になったグレッグ。その時に付き合っていた女の子を旅行に連れて来た。ウェンディが気を利かせて、グレッグの40歳の誕生日にとサプライズのケーキとカードを用意する。そして、その場でグレッグが36歳でなかったことを知った彼女は、帰りの車の中でさんざんグレッグを攻撃したらしい。自業自得だぜ、と周りから同情も何もなかったけれど。このことがあってから、さすがのグレッグも年齢詐称は懲りたに違いないとふんだ私は、昨日結婚したアニーとグレッグが初めて付き合い出した時、「ねっ、グレッグの年、知ってるの?IDをちゃんと見た?」と、シャレのつもりで言っただけなのに。。。うっ、まずいことに。。。グレッグはその後、しばらく私と口をきいてくれなかった。ロバートは、私がしたことに対して、後々でグレッグにふりかかることになった災難を止めたのが私だと賞賛してくれたのだけど。。。そう、昨日めでたくゴールイン。あー、運命ってなんて面白いの!

グレッグはとても幸せそうで、私は久々に楽しい結婚式に参加して、何年か会っていなかったグレッグの友達と久々に会って盛り上がる。グレッグもあれだけ不備のあるやつなのに、周りの友達は私達をはじめマーベラスな仲間ばかり。なんなんだろう。介添え人となった二人の弟達とひな壇に座るグレッグを見て、我が家の三兄弟も大きくなったらこうなるのかしら、なんて少し楽しい気持ちになった。早くに夫を亡くし、女手一つで三人の息子を育てたグレッグ・ママ曰く、「三人の男の子は、厳しく育てるのコツよ」と言っていた。

Well done, Greg!