Wednesday, December 30, 2009

日本では一足先に大晦日を迎えてますね。ここバンクーバーは世界の時間帯の中でも遅い地域なので、まだ12月30日。しかも、クリスマスが終わると賀正ムード、除夜の鐘の厳かさなんてあったもんじゃない国なので、今日はアバターを見てきました~!

3Dのメガネをかけて映画を見るのは初めて。すごい効果あり。映画のシーンで何かが投げられた時、まるでスクリーンから飛び出してこっちに飛んでくるような気になって、思わず後ずさりしちゃいました。3時間近い長い長い映画。見ごたえばっちり。この映画を見る人、映画の前にトイレに行っておいてください。監督でもあるジェームス・キャメロン書き下ろしのストーリーはまずありえないという話ですが、うーん、あのサイファイとラブストーリーとCGと環境破壊と戦闘シーンを盛り込んだ大作映画は見る人達をうならせます。シガニー・ウィーバーを使ってるところは、エイリアンズを覚えているサイファイ・ファンには涙モノだったのでは。。。

今日は我が家のサイファイ先生とグレッグとアニーと一緒で、映画の後はEarl'sでいっぱい引っかけながら感想を話し合いました。久しぶりに楽しかったな~。あっ、グレッグのところは二人目の赤ちゃんが来春誕生予定。あの夫婦も結婚してから時間を有効利用しています。

なんか、こういう年の暮れも押し迫った過ごし方ものんびりしていていいなと思い始めたカナダ滞在13年。

今週はすでにクリスマスの日に公開になった「ナイン」を見て、来週はクルーニーの「Up in the Air」。クリスマス休暇は映画をガンガン見ておくのがここ数年の慣習になっております。

皆様、良いお年を!

Monday, December 28, 2009

今年も1年、我が家は成長しました。

身長でいうと、3人合わせて25センチくらいかな。この先数年、我が家のエンゲル係数はかなり高いものであることでしょう。

先日のブログで、この夏我が家から引退した物を紹介しました。明日は最後のアイテムが我が家を去ります。

それは、これ。



この夏まで我が家のファミリーカーだったセリカです。

2002年に購入したこの車、現在の走行距離59,000キロ。長男が生まれた時、車を買い替えようかという話になりましたが、後部座席にベビーカーシートが取り付けられたので、とりあえず先延ばしになりました。スポーティーな車が好きな夫。彼の前の車はホンダCR-X。車に興味のない私は、とにかく移動に困らなく、小回りのきく車ならなんでもよかったので、セリカはお互いにとって都合のいい車でした。周りの友達からは「子供がいるのにあんな車によく乗ってられる!」と。この車で私達は週末、あちこちへ足を伸ばしました。ウィスラーへ、BC州中央部へ、カーフェリーに乗ってバンクーバー島へ、国境を越えてシアトルやワシントン州のオリンピック半島へ。車に興味のない私ですが、ハイウェイを走るとセリカほど面白い走りをしてくれる車はありません。ググーーーーンと加速する時のあのスピード感。そりゃ、ドイツ車にはかなわないかもしれないけど。。。ハンドルの動きもバツグン。ハンドルを少し回そうものなら、車もしっかりググーッとついてきます。傾斜の急な坂道を上がる時もパワーがあります。車には興味がないというのに、長男を乗せて学校への送り迎えが始まったので、いつしか私のほうが夫よりこの車を運転することが多くなっていました。

4年近く前に双子が生まれた時、いよいよ車を新調しなければならなくなりました。3人の子供のカーシートを取り付けられる車は、色々試乗した結果、ミニバンが主流らしい。スポーティな車が好きな夫、車には興味がなく、コンパクトな車なら乗ってもいいかなと思っていた私。それにガソリン代がかさみ、それに比例した空気汚染を考えると、ミニバンは、ミニバンは、ミニバンは、ミニバンは、、、ミニバンだけは避けようという結果になったエコ夫婦。昨今流行のSUV。私達の友達も、子供がいる家庭もシングルライフを楽しむ人々もこぞってSUVに乗っています。周りからはSUVを買えというプレッシャー。「子供がいるんならSUVでしょう?」って。だけど、このSUVねぇ、でかいだけでかくて、ガソリン代はかさむし、空気汚染はしてるし、安全性に優れているかといえばそうじゃないし、値段も高いし、街中で運転するのに4駆は必要ないし、我々一家族の利己性の追及のために環境汚染に貢献してはならない。。。またここでエコ夫婦は薀蓄をたれました。

というわけで、エコ夫婦は自分達が乗りたいと思う車に出会うまで、セリカに乗ることにしました。もちろん、2席しかない後部座席にはカーシートが2つしか乗せられません。双子が小さかったこともあり、ケンの学校への送り迎えにはケンだけを連れて行き、双子はほとんど家でお留守番。ほら、ブランジェリーナのところの双子もパパラッチにあまりお披露目されてないので、双子は病気なのじゃないかとか憶測がたまに飛び交いますが、3歳以下の双子を外に連れて行くのはよいでないことなんです。だから家で留守番しててもらう方がずっと親としては負担が減ります。話がそれちゃったけど。スポーツカーにカーシートを二つ取り付けるのちょっと抵抗がありましたが、背に腹は変えられない。スポーツカーを狙った車上盗難が多いバンクーバーでは、かえってカッコ悪いカーシートが付いてたほうが狙わる可能性も下がるかなと思っていたら、案の定、ターゲットになったのは子供が生まれる前の一度ですみました。バンクーバーで一番狙われる車はトヨタやホンダの車です。敵はプロか、ジャンキーだからか、アラーム付いててもお構いなし、助手席の窓をバシャーンと割ります。

それ以来、家族5人での移動は市バスを利用して。バス利用のいいところは、安上がりだし、クリーンだし、駐車場を探してグルグル車を走らせる必要もないし、バスの中で出会う人達とはずむ会話が楽しい。子供達もそんなところから社会性を身につけていくんだとエコ・カーチャンは信じています。男の子を3人バスに連れて乗ると、中国系の乗客から私達家族は羨望の的です。

そんな車に興味のない暮らしを今年の春までやってみたところで、双子のプリスクールが始まりました。3人の子供を連れて学校までの送り迎えが始まったのです。双子も3歳になり、家の中にばかりもいられなくなりました。そこでいろんな車を試乗したエコ夫婦。購入したのはマツダ3。日本ではアクセラと呼ばれているようですね。コンパクトな車でありながら後部席にカーシートが3つ乗るのです。燃費もいいし走りもグー!日本車はなんといっても、すぐに故障するアメリカ車と比べると頼れるところがエクセレント!

そこでセリカは売ることにして広告を出しました。この車の良さを知って乗ることを楽しんでくれる人に買ってもらいたいと思いました。どんな人がこの車を買うのだろうと思っていたら、最初に訪れた人は、チャイニーズ系カナディアンの40代の夫婦。こんな人達がセリカに~?と思っていたら、なんと16歳の息子が乗る車を探しているとのこと。16歳の少年の車にセリカでっか~と私は思いましたが、たしかに、このあたりでは子供の高校の卒業祝いにBMWを買い与える裕福な人々が多いところなので、中古のセリカっつーのは別にどうってことないのかもしれません。私だったらうちの子供たちに初めての車を買うのなら、乗りつぶしたホンダのシビックくらいだと思うのだけど、やっぱ、文化によって感覚が違います。結局、この夫婦は車を買いませんでした。

次にきたのはメール。すごいブロークンな英語で書いてあったのは「イタリアからこのメール書く。そのうち、カナダの仕事行きま~す。車いる。すぐチェック送る。住所と連絡先知りたし」と。

私と夫は、「すごーい、車に試乗もしないで買おうとしてるよ~」とか「お金は送ってもいつ車を取りにくるんだ?」とか、「値段の交渉もしないで即刻買おうとしてるよ」と少し大騒ぎ。

が、ちょっと待て。オイシイ話には裏があるというものではないですか。

私はそこでGoogleを開き、英語でタイプしました。日本語に訳すと、「中古車売買、詐欺」。

ウフフ。やっぱり。グーグルは偉大だ!すぐ出てきた。私が読んだページは、アフリカとかあっち方面からすごくブロークンな英語でメールを送ってきて、交渉なしにすぐにチェックを送ってくるというやつ。手口は、売り手が求めた金額より500ドルくらい上乗せしてチェックを送ってくる。売り手にチェックが届く頃、買い手がメールしてきて、間違って500ドル余分に送ってしまったので、自分の代理人をそちらに行かせるので、現金で余分に送った分を戻して欲しいと。その頃には売り手の方にチェックが届いていて、安心して、お金を戻します。後になってチェックを換金しようとしたら、ところが、そのチェックが換金できない。偽造とかなんらかの理由で。なので売り手は車は売れないわ、お金は500ドル巻き上げられるわで泣き寝入り。

それを読んで夫と私はイタリアのセニョール・パスタとコンタクトを取るのはやめました。

夏以来セリカには乗っていなく、ずっと我が家のガレージでランボルギーニ(そう、うちにランボルギーニもあるんです。が、これは友達のを預かってあげているわけありのランボルギーニ!)の隣で待機していたセリカ。夫がたまたまマツダに乗って出かけた時、私も出かけなければならないので久々にセリカに乗ると。。。ワッ、なんか地面を這ってる感じ!まず車高が低い!視界も悪い!ハンドルがきつい!こんな車に子供を乗せてよく運転できたものだと感心してしまった私。

さて、3番目のお客さんは。。。

20代半ばくらいの太った白人のお姉ちゃん。ボーイフレンドと一緒に車を見に来ました。彼女はスタンダードの車は運転できないとのこと。でも、どうしてもセリカが欲しいと。彼女のボーイフレンドが試乗してみて、彼女は寡黙で、彼に夫と話をさせて、車検はやってるのか、事故車ではないのかなどなど、若いながらも色々聞いてきたカップル。それが1ヶ月ちょっと前の話。買うのか買わないのかわからなかったけど、彼女からどうしても買いたいとの連絡が入り、値段の交渉をすませ、いよいよ明日受け渡しです。私としては、スタンダードの車が運転できない人にあのセリカは、、、オイオイ、大丈夫かい?という気もしています。

今晩は夫がセリカに乗って最後のクルーズに行きました。

我が家の成長にともない、我が家から姿を消す最後の大物。アディオス!

Sunday, December 27, 2009

バンクーバーに住んでる私が書いてるこのブログ、たまにはバンクーバーらしいことを書かなければならないですな。ほな、今日はホットなトピックで。それは、バンクーバー冬季オリンピックですねん。バンクーバーでオリンピックが決まったのは2003年7月。あの頃はずいぶん先のことだと思っていたけれど、地元っ子Vancouverites(バンクーバーライツ)が呼ぶ「トウェンティ・テン(2010)」のオリンピックまであと2ヶ月に迫りましたな。IOCのロゲ会長がヨーロッパの国のどこかで2010年の開催地を読み上げた時、ここバンクーバーは朝の9時。満席になったGMプレースでは、私やロバートやブライアンやウェンディのように仕事を遅刻してまで集まり、バンクーバー開催決定の瞬間を見届けました。あーゆー瞬間、感動です。あの時の感動を再びビデオで公開!



昨日はクリスマスの翌日のボクシング・デー。ボクシング・デーは北米中のお店で大セールが行われるので、前の晩から店頭に並んでまで電化製品や洋服を買う人達がいるくらいです。買い物に無縁な我が家では、家族みなでオリンピックの選手村が建設されたフォルス・クリークまで散歩しました。



選手村の一角へは先月から通行規制が敷かれ一般人は出入りできないようになりました。昨日歩いた時も、フェンスの上にはバラ線が。おだちんぼが侵入して建物を壊すことや、オリンピック反対派など色々考えられますね~。それにしても、これまでは大きな倉庫や空き地となっていたサイエンスワールドからキャンビー・ブリッジにかけての地帯がすっかりこんなモダンな建物で開発されました。





入り江沿いの遊歩道も新しく舗道されて、散歩がいっそう楽しくなりました。遊歩道のベンチや板の床は廃材を利用して作られているとはダレン談。







ドラゴンボートも沖に上げられています。子供が生まれる前はドラゴンボートが人生だった我ら。起きてる時間はボートのことばかり話してました。周りの友達もボート仲間だったので、友達と話すこともそればかり。そして、子供が生まれてからもあの人は続けました。



今回の冬季オリンピックは初めて開会式と閉会式の両方が屋内で行われるそうで、この大きなドームが会場となるBCスタジアム。入り江にはアウトリガーをこいでる人が。あー、私もアウトリガーまたやりたい。これ、面白いんです。



オリンピック開催まで残り2ヶ月。地元バンクーバーでは賛否両論ありますが、やるからにはとことんアスリートを歓迎しましょう。バンクーバーはこの1年でまた変わるんだろうな。

企業スポンサーはぼろ儲けして、あー、選手村建設のツケで市税がまた上げられる。。。イタッ!

Saturday, December 26, 2009

我が家のメリークリスマスも無事終わりました。

朝から我が家は熱気ムンムン、3匹の子羊がサンタクロースは来たかどうかと大騒ぎ。今年も来ました、来ました。

クリスマスのターキー・ディナーは我が家のレギュラーメンバーのスージーとダレン、お友達のちぃさんをお招きして。今年は6キロのターキー。たしか、一人1キロ食べる計算で、1キロx人数分。子供達は3人で大人2人分と見積もり、6キロのターキーを注文。が、見るからにでかい!だって、ノアが生まれた時の目方2キロよ。鳥の方が生まれたばかりの息子より3倍もでかかった。今となっては18キロくらいの大物に成長したノアだけど。双子のトモキとノアを合わせた体重が5キロ弱だったから、鳥の方がどう見てもでかい。後になって気づいたのは、一人1ポンド(454g)で計算するところを私は1キロで計算してしまっていた!道理ででかい鳥なわけだ。オーブンの中で焼くこと3時間半。今年は少し奮発して、ヘルシーに、抗生剤の注射を打ってない自然に育てられたターキー。肉を食べない私が調理するのも無責任な話であるが、冷凍物ではなかったので、しっとりと美味しく焼けたよう。ディナーの後でかなり余り、ゲストがそれぞれおみやげに持って帰り、さらに残ったターキーの残骸と野菜(おじゃが、タマネギ、にんじん)を大鍋に入れてグツグツと2時間。セロリを入れるのをすっかり忘れて後悔したものの、肉が骨からこそげ落ち、美味しいターキースープの出来上がり。明日からしばらく我が家では食事の支度をしなくていいのが何より嬉しい。

子供達は来る冬季オリンピックのマスコットキャラクターのバスタオルのプレゼントに大喜び。



1日中笑ってばかりいた今日の一コマ。

可愛いマスコットの一人はSumiという名前。スミのタオルをもらったのはトモキ。

「スミは、ラストネームがもしかして”マセン”だったりして。。。そしたらフルネームが”スミマセン”だよ」と、ロバートがどーしよーもないギャグを捻出。「これって、小学1年生レベルのギャグ?」と自分でフォロー。

20代後半のちぃさん、「それって、オヤジギャクじゃないでしょうか・・・」と本音をチラリ。

今日のオマケはこれです。これは晴美さんへのお歳暮の気持ちもこめて。

先日のバンクーバー・カナックスとセントルイス戦の模様。ペナルティボックスに入った相手チームのプレーヤーをいらだたせるおかしな2人のグリーンマン。しまいにはプレーヤーもカメラにタオルをぶつけちゃった!アハハッ!

晴美さん、面白いゲームを見逃しちゃいましたね!

Thursday, December 24, 2009

今日はクリスマスイブ。明日はいよいよ。。。クリスマス。

昨日も慌しい1日。まずは1日の初めはジムから。これから年が明けるまでしばらくジムに行けそうもないので、昨日は2日続けてのジム。私が行っているキツラノのジムは託児室つきです。子供3人を預けて1時間半で10ドル。託児室にはおもちゃがたくさんあるし、行けば他の子供たちとすぐに仲良くなって遊ぶことができるので、親子にとって心身ともに健康になれる場所。このジムはバンクーバーのあちこちにあります。ダウンタウンには2ヶ所。なので、双子をダウンタウンのプリスクールに送り届けてから、ケンを日本語教室に送った後、時間つぶしはジムで。ジムがなければ私の人生はかなり暗くなっていたことでしょう。そういえば、つい最近のニュースで、このジムがスティーブ・ナッシュに買われたと言っていました。今後どんなふうに変わるのでしょう。スティーブ・ナッシュという人は知る人ぞ知る、ビクトリア出身のNBAのスーパースターだということを、私はつい最近知りました。本当に、興味のないことには疎い私です。

昨日はクリスマス・ショッピングを終えるために双子を連れてあちこちへ。子供一人ならまだしも、3歳の男の子を二人連れての買い物は疲れますよー。クリスマス前の慌しさのせいで、行った先のお店で銀行のキャッシュカードを忘れたことに後で気づき、暗くなりかけた街中をまたその店まで戻りました。こちらでは電子マネーをよく使い、私も買い物はよくキャッシュカードですませます。現金を持ち歩かなくていいのが何よりも便利。買い物の後でキャッシュカードをもらい忘れるなんて初めてのこと。レジの若いお姉ちゃんも次から次へのお客でバタバタしていたようですが。店に戻ると、店の横の路上でそのお姉ちゃんが一服していました。メルセデスという名のお姉ちゃんは私を見つけてすぐに「キャッシュカード、忘れたでしょう。サービスカウンターにあるからね!」とフレンドリー。お互い「メリークリスマス!」と言い合って、私は双子を連れて店の中へ。クリスマス前の慌しい街中でも「メリークリスマス」と声をかけあうと、なんだか心が温まります。

今年はけがも事故もなく、なんとか1年が無事に終わろうとしています。今年は誰も子供病院のERに行かなかった!昨年はノアが2度、頭をぶつけて出血して子供病院のERに行ったのですが、あの子もめったやたらと転ばぬくらいに成長しました。チビ子達が3人いる家庭で、1年を何もなく過ごせたことは感謝です。

平和に過ごしたこの1年。そんな中で、今年一番ヒヤッとしたことは。。。

5月のある日、ケンを幼稚園まで迎えに行き、その足でダウンタウンの日本語教室へ連れて行かなければならないという時に、車のエンジンがかからない!ガレージで、何度か試したけれどまったくエンジンがかからない。どうやらバッテリー。お隣のクリスおじさんが短時間でバッテリーをチャージしてくれて、だましだましエンジンがかかるようになりました。この夏まで乗っていたのはトヨタの車。

夫曰く、「トヨタに持っていかなくてはならないな。新しいバッテリーを入れて、メンテナンスもしてもらう時期だな」と。

「誰が持って行くの?」と言った私に、「さーて、そこが問題だな」と彼。

まったく「僕が行くよ」なんて思ってないところが彼らしい。

私の中では車のメンテナンスとか電球の差し替えは「男の仕事」だと思っているのですが、カチャカチャカチャカチャと四六時中コンピューターに向かっているヤツには、なかなかそういう時間がないというのが本人の言い訳です。

ということで、なんとかエンジンがかかった車でケンを幼稚園に迎えに行って、日本語教室に送り、その足でダウンタウンのトヨタのディーラーまで車を乗っていくのが私の使命に。金曜日の晴れた昼下がり。もっとましなことしたいのに・・・なんて恨めしく思いながら。

行きがけに夫が「エンジンはトヨタに着くまで切らないほうがいいよ。一度切れたらもうかからないかもしれないから」と。いつも彼が言うことは簡単に聞こえて、実際に私がやってみるとそうではないことが多い。

ケンの幼稚園に到着。グラウンドの横に車を乗りつけたものの、玄関から出てくるケンが見当たらない。周りは下校時の子供たちがたくさん歩いている。エンジンをかけたままケンを玄関先まで迎えに行くのもはばかれるので、エンジンを切ってみた。そういえば、エンジンは切るなって言ってたっけな、と思ったものの、アレレ、もう遅い。ケンをゲットして車に戻り、さぁ、ダウンタウンまで出発!といきたいところでしたが、やっぱりエンジンがかからない。

夫に電話すると「面倒なことになっちゃったね。じゃ、そこまでレッカー車に来てもらって、車持って行ってもらわないとならないなぁ」とは言うものの、具体的に彼が電話してくれるとか何も言わず、相変わらずのんきな受け答え。

電話を切ってから私は考えた。車も何とかしなければならないけど、ケンをあと20分後にダウンタウンの先生のおうちまで連れて行かなければならない。タクシーで30ドル払うのもバカらしいし・・・。なんとかしなければならなかった。そうだ、ジャンプスタートとい手がある。誰かここに子供をお迎えに来てる親の車にケーブルが入っていたら、ジャンプスタートができるかもしれない。とは考えたものの、私はジャンプスタートをしたことがなかった。そういう言葉は聞いたことがあるけれど、実際にこの目で見たことはなかった。お迎えに来てるダディ達に目を向けた。物色したって言ったほうがいいかもしれない。BMWや外車に乗ってスーツを着てる軟弱なダディはブー。きっとそういう人たちは手を汚したくないから、車にケーブルなんて入ってなさそう。そこで私が目をつけたのは、少しこわもてのダディ。。。いた!ケンの友達のオースティンのダディ。恰幅がよく、頭を剃っている。見た感じ、ちょっと怖い。白人で頭を剃った人、これがまた迫力あるんだ。

たしか名前はジェーソン。走り寄って言ってみた。
「なんだかバッテリーが死んだみたいで、ジャンプスタートしなければならないんだけど、ケーブル持ってる?」と私。
「ケーブルかぁ、いやぁ、持ってないんだよね。ごめん、ヘルプにならなくて。。。」見た感じと違い、話すとすごく優しそうな彼。某航空会社でフライトアテンダントをしている奥さんのステファニーはとても素敵な人だ。

残念。。。と思った私。するとジェーソンが「スタンダードの車だったら何とかなるかもしれないんだけど」と。私、「そう、スタンダードよ」と答えた。5人家族の我が家の車、言うのが恥ずかしいのだけど、トヨタのセリカっていうスポーツカーだったのです。あの車の後部座席にチャイルドカーシートを着けてることが最初はすごく恥ずかしかった。なんたってスポーツカーなんで。そうです、スポーツカーのスタンダード車はスポーツカーの仁義を通すというもの。

「そうか、それならケーブルなしでジャンプスタートがきでるかもしれない」と彼。
だいたいケーブルを使ったジャンプスタートすらどうやってするのか知らなかった私は、ケーブルを使わないジャンプスタートと言われてもあまりピンとこない。

「まずギアをセカンドに入れて。僕が後ろから車を押すから、動き出したらクラッチから足を外すんだ」とジェーソン。

私はケンを後部座席のカーシートに乗せて、運転席に座りました。ジェーソンが言ったとおりに、セカンドにギアを入れ準備オッケー。ジェーソンが後ろから車を押す。車がゆっくりと動き出す。思いっきり力をこめて彼が車を押してるのがわかる。その時、「Now!!クラッチの足を外せー!!」とジェーソンの怒号。一瞬、クラッチとブレーキの区別がつかなくなるものの、左足を上げてみた。

ブブブブブルルン・・・

オーッ、エンジンがかかった!車がスピードをつけて走り出す。信じられない。私は窓からピースサインをしてジェーソンに大声で「サンキュー!!」と叫んで走り去った。向かう先はダウンタウン。

ダウンタウンの日本語の先生宅までは金曜午後の車の流れ、坂あり、橋あり、また坂ありと起伏に富んでいる。一度かかったエンジンはもう消してはならないと自分に言い聞かせるとナーバスになるもので、信号や坂でギアを変えながら恐る恐る先生宅まで運転。なんとか先生のおうちの前の道路に到着。。。と思ったところで、エンスト!てなわけで、人生も起伏に富んでおります。

「Oh no!!!!」とケンの前で絶叫した私。先生に電話をして、とりあえず道路まで出てきてもらってケンを連れて行ってもらうことに。後のことはそこから考えればいい。先生が出てくる。「大丈夫ですか?」とか心配されて、車に乗らない先生なので、あまり話してもにっちもさっちもいかない。今度こそここまでレッカーに来てもらうしかないかと思った。路上で止まってしまって動かない車。持ち主の私は焦る。

そんな時、名案がひらめいた!ひらめきってスゴイ。たまたま車が立ち往生している道路は坂道。しかも。。。下り坂だ。ということは、車が自然に坂を下っていけば、さっきジェーソンが教えてくれたジャンプスタートを自分ですればいい。オー、私ってブリリアント、なんて思いながら、先生と手をつないで道路脇で私を見ているケンに見守られながらやってみる。車に乗らない先生にしてみれば、私がやろうとしていることはパッパラパーという表情で見ていました。

エンジンのかかっていない車がゴロゴロとゆっくり坂を下り始めて、私は頭の中で考える。えーと、えーと、たしかクラッチを上げるはずだと。だけど、間違ってブレーキを踏んだり、アクセルを踏んでしまうこと2、3度。そしてやっと、違う、クラッチはこれだと気づいてポンと左足を上げる。

ブブブブブルルン・・・

かかった!またしてもジャンプスタート成功。またもや先生とケンにピースサインで走り去る私。そのままトヨタのガレージへ直行。無事、到着。エンジンを切らずに車から出て、近くにいたつなぎを着たメカの兄ちゃんに「あのー、うちの車、一度エンジン切ったらかかんなくなっちゃうのよ。なので、エンジンは切らなかったんだけど・・・」と言うと、クスッと笑われた。「エンジン切っていいよ、大丈夫だから。ここでちゃんとバッテリー見てあげるから」と。そうか、ここはトヨタのメンテナンスの所だった。トホ。

てな感じで、あの時は焦って冷や冷やものだった出来事も今となっては笑い話。あの経験から学んだこと。それはケーブルを使わないジャンプスタート。夫ですら知らなかったことを私は学んだのです!

こうしてDo It Yourselfの国に住み、忙しさがキャッチフレーズのカナダ人夫と暮らす日本人女は強くなっていくような気がします。

この1年無事に過ごせたことに感謝し、それもこれも「愛」だとこじつけている私です。

どちらさまも、メリークリスマス!

この歌、いつ聴いてもいいよね。そうだ、今思い出しました。昨年のクリスマスに夫からもらったプレゼントは、丁度あの頃発売になったビートルズのCD「LOVE」。

愛がものを言う時代です。

Monday, December 21, 2009

今週からバンクーバーの各学校はクリスマス休暇に。

今日から3人の子供が、2週間毎日家にいます。シッターさんが来ない限り、私にべったり。悪ガキを卒業したかに見えた双子と1年生の長男が、今日からしばらく悪ガキに戻りそうな気配。これからしばらく私は午後5時にはワイングラスを一人で傾けていそうです。そうでもして気持ちをリラックスしなければ、3人の悪ガキと24/7の日々はキョーレツです。あれっ、ところで、日本語でも24/7という表現しますか?「24時間、7日間」つまり、四六時中という意味です。大げさに言ってるわけではないのです。夜中も気づいてみると私の横で小さな頭をヒョコッと出して寝ている誰か。たまには二人寝ていることもあります。そうなると寝返りが打てなくなり、無理な姿勢で寝るため翌日は首が回らない状態に。

では、昨日の話の続きに。

この手のエピソードはまだまだあります。私たちの友達のジョンとキャシーは毎年恒例のクリスマスパーティを行っています。ジョンとキャシーがそれぞれの友達に声をかけ、いつしかキャシーの友達の私が参加するようになり、そしていつしか私とロバートの友達グループもこぞって参加するようになりました。毎年、クリスマスチックなパーティ料理(ナッツやチーズやスパイスの効いた温かな赤ワインやチョコレート)と雰囲気のいい音楽とで、大人数がクリスマスの温かな雰囲気を分け合うチアフルなパーティです。

毎年このパーティでは新しい人と知り合います。とにかくいろんな人が出入りするパーティ。12月なのでパーティのはしごで立ち寄る人たちもたくさんです。ある年、そのパーティで、私たちはアンドリューというメガネをかけて痩せた背の高い男の人と知り合いました。一度会うとあまり忘れない容貌の彼。翌年もアンドリューはそのパーティに来ていました。私は人の顔は一度会ったら覚えているタイプです。ロバートときたら、いつもパーティの前に私に、「ねぇ、OOOの彼氏の名前はなんだっけ?」とか、「どこどこで出会ったあの人は、名前なんだっけ?」と聞いてきます。時にはどこかのパーティで会った人と道でばったり出くわして覚えてないということもよくあります。こんな人がセールスの仕事をしてなくてよかったと時々思います。

翌年もアンドリューとはジョンのパーティで出会い、ロバートはアンドリューとまるで初対面かのように挨拶をして握手を交わしました。私は「昨年もこのパーティで会ったわよね」と外交的に。この夫にしてこの妻ありだと自分で思います。

しばらくすると、ロバートがつかつかとアンドリューに歩み寄っていきました。

「君って、もしかしてアンドリュー・ウェッブスじゃないかな?」というロバートに「そうだけど」と答えるアンドリュー。

「僕は、ロバート・マック」ロバートが続けました。

ここで二人は20年ぶりのご対面。なんと二人はオタワの幼馴染で、小・中・高と同級生で、トロントの大学でも1年次を寮で同室だったというのです。「昨年のパーティにもいたのに、気づかなかったの?」と言った私に、「わからなかったねぇ。だけど、横顔を見て思い出したんだ」とのんきなロバート。あっ、天然という話もありますが。後日私はアンドリューから、「彼のお母さんは僕のピアノの先生だったんだ」と聞きました。アンドリューも天然というか何なのか。また私の中で、これだからエンジニアという人格こそいい加減な人種はいないと確信しました。

それから私がカナダ・プレースの中のオフィスで仕事をしていた時、お茶を飲みに行くキッチンで出会うジェントルマンがいました。挨拶はするけれど、お互いいつも仕事の合間の休憩時だったのでゆっくり話すことはありません。クリスマス前のある時、彼と初めて立ち止まり会話らしいものをしました。「クリスマスはどんな予定?」で始まり、私は「ロバートの家族のいるオタワへ」と言うと、彼も「僕もオタワ、オタワのどこ?」という話に。「ビーコンヒル」とい地名を挙げた彼に私は「エッ!」と言いました。

「ロビー・マック!」と叫んだ彼。「僕たち、同じ高校に行ったんだよ。ほら、弟がいたよね。彼は今どこ?」と。

ここまでくると、カナダにはまるでバンクーバーとオタワの2都市しかないように聞こえてくるかもしれません。いえいえ、この国、とてつもなく広いです。世界で2番目に広大な領土を持つ国。東から西まで飛行機で8時間くらい。時差にして5時間ほど。その広大な国のあちこちに町があるのです。

そしてここからが私のパンチラインです。

数年前のある時、婦人科系のことでドクターに行かなければならなくなりました。ファミリードクターに電話すると、今後2週間は予約がいっぱいなので、急ぎならばウォークインのクリニック(予約なしで行けるクリニック)に行くよう言われました。万が一のためにドクターには早く行ったほうがいいと思ったけれど、たまに行くダウンタウンのウォークインのドクターは若くてちょっとカッコいい。そんな彼に婦人科系の相談をして触診をしてもらうのも・・・と考えた私は、週末に、ダウンタウンから橋を渡ったキツラノ側の週末でも開いているクリニックにこっそり(こっそりする必要もないのに!)行きました。例えそこで男のドクターだったとしても、会うのは一度きり、手早く触診をすませてもらえばいいと思ったのです。しばらくロビーで待ち、名前を呼ばれて診察室に入り待つこと数分。ドアが開いて入ってきたドクターは・・・・・・。

なんと、あのダウンタウンのクリニックのカッコいいドクター!そこでドドーッと力が抜けた私。彼はそんな私の心の中をわかっていないので「あれ、久しぶりだね」みたいにフレンドリーで、私だけ勝手にナーバスになりながら診察してもらったのです。結局、私はこのドクターから逃げられない運命だったのでしょうか。もちろん、診察結果は大事に至らなかったけど。

こういう出会いが、生まれ育った国から海を隔てて遠く離れた国でもしょっちゅう起こると、よくよく考えさせられます。いったい、これはどんな繋がりなのだろうって。

「この世で起こるすべてのことには意味がある。すべては必然として起こっていて、かつては偶然として片づけていた出来事も本当は起こるべくして起きていた。必然とは何であろうか。それは人間が自由意思によって行動し、あたかも偶然としかいえない人、物、様々な出会いをきっかけにして自分をつくっていくこと、そしてそれを上から大きく見守ってくれる何か・・・・・・・」


数年前にアメリカの心理学者ブライアン・ワイス博士の「魂の伴侶」という本を読んでから、なーんだ、人と人はこういう風に繋がってるんだと納得した私。この本を読んでから心が落ち着き、生きることへの意欲がわき、人生が楽しくなり、あるがままを受け入れようという気持ちになり、そして、自分もいつか死ぬということすらそれほど怖くなくなりました。

今、私がここにこうして生をうけて生きていることも、ロバートと出会ったことも、3人の悪ガキを授かったことも、きっと何かの意味があるのです。そう考えてみると、本当に人生は面白い。

2010年の来年はいったい、どんな出会いや遭遇が待っているのでしょうか。ウフフフ。

今日のオマケはこれ。バンクーバー出身のスター、マイケル・ブブレーです。こんなコンサート、楽しそうだね。

Sunday, December 20, 2009

師走も、階段を転げ落ちるように走りすぎていきますね。

この時期、みんなカリカリしてきますねぇ。車を運転しててわけもなくクラクションをヒステリックに鳴らす人、モールの中や夜のパーティ帰りにケンカしてるカップル。昨日、トイザラスでおもちゃを選んでいたカップル。かなり雰囲気悪かったな。二人してケンカ腰でのおもちゃ選び。オー、コワ。たかがクリスマスプレゼントなのにね。いかんいかん。物質に暮らしを振り回されるようになったら、心の中から想像力と創造力がすっぽりなくなるのじゃないでしょうか。そうなると人生が辛くなる。どうして物を買い続けてるのに自分はハッピーじゃないんだ?って、どんどん心と体が空回り。痛いよそれ。物質は生活のための手段であって、物は人生を幸せにしてはくれません。

昨日はトイザラスの喧騒の後でバスで家に帰ると私もドッと疲れました。家の掃除やなんだかんだといつもやらなければならないことが山積みだけど、トモキとノアと一緒にソファに座って、二人が見ていたクリスマスの番組をうとうとしながら何気なく一緒に見てみました。私の両側にトモキとノアがブランケットを持って座り、体を寄り添ってきた二人。久しぶりにまったりとのんびりできました。子供たちも忙しくしてる母親より、そうやって体と体を寄り添える母親がいいんだよね。たまに罪悪感を感じます。あの二人、とくにないがしろにされて育ったんで。ごめんね、カ-チャン、体が一つしかないんだよぉ。

年末だからなんとなく書いてみたいと思うことがあります。15年くらい前に何かで読んで書きとめておいたこと。時々ふと考えること。

この世で起こるすべてのことには意味がある。すべては必然として起こっていて、かつては偶然として片づけていた出来事も本当は起こるべくして起きていた。必然とは何であろうか。それは人間が自由意思によって行動し、あたかも偶然としかいえない人、物、様々な出会いをきっかけにして自分をつくっていくこと、そしてそれを上から大きく見守ってくれる何か・・・・・・・

ここしばらく経験してないのですが、10年ちょっと前、しばらく会ってない人のことをふと考えてると、その人とばったり道を歩いてて出くわしたりということが1度や2度じゃないくらい続きました。

ロバートとまだ婚約もしてない頃、ある夏、彼の地元のオタワの家族に初めて会いに行くことになりました。「一緒に行ってみる?」と言われて、私は何も考えずに「行こうかな」と言ってしまったような気がします。

カナダの首都のオタワは何度も行ったことがあるけれど好きな街です。国会議事堂や国立博物館など見所もたくさん。ダウンタウンからほど近い橋を渡ると、そこはもうフランス語圏のケベック州。オタワの人達も英語とフランス語を自在に使い分けます。バンクーバーとはまったく雰囲気の違う街。一国の政治が集中しているはずなのに、淡々と日々が過ぎる街。

「オタワかぁ、昔のツレが住んでますねん。きっと会うに違いないますねんな」と言った私。何か感じるものがありました。

「オタワっていっても広いから、それはないんじゃないの?」と一笑にふすヤツ。

オタワへはバンクーバーから飛行機で5時間。たしか3泊4日くらいの旅になったと記憶している。私にしてみれば数年ぶりのオタワだったのに、行った所はロバートの親の家、兄弟の家だけ。買い物も観光もまったくなし。大家族の彼は、その時たまたまウィニペグのお姉さんやコネチカットに住んでいた弟も帰ってきていて、7人兄弟中6人が集合。珍しく家族が集まると昔話に花が咲きました。私はといえば、初めて会った人達の前で少し緊張しながら、ロバートのお母さんには当たり障りのないよう遠慮しながらロバートの横に座ってニコニコしていました。初めて会ったボーイフレンドの家族。それが一人や二人じゃない。姪っ子や甥っ子を入れると、何人いただろう。。。すごいところに来てしまったと少し後悔した私。

家族が大勢集まり、亡くなったお父さんの話に。第二次世界大戦に若くして出征し、終戦後、キングストンの大学で音楽を専攻していたお母さんと出会い恋愛結婚した二人です。男兄弟のほとんどがエンジニアの道を選んだのはお父さんの血筋のようです。

何か過去の家族の話題になり、お母さんが「そのことは、アール・ドレイクが覚えているはずよ」と言いました。その時、咄嗟に心の中で「アール・ドレイク…。バンクーバーで同姓同名の人を知ってる」と思った私。当時のダウンタウンの私のオフィスの横のオフィスで仕事をしていた初老の男性です。スーツは着ていてもネクタイは留めていなく、くだけた雰囲気のオッサン。私たちはお互いのことをよく知りもしないのに、フレンドリーに私にいつも「ハイ」と言ってくれました。私にしてみれば少し不思議なオッサンでした。先日ブログに登場したイーディス姐さんがある時、「アールはね、以前、駐中国カナダ大使をしていたすごい人なのよ」と言って以来、私はアールを見る目が変わってしまいました。

「アールって人物、誰?」と誰かが言いました。

「アールはね、あなた達のお父さんの従兄弟だった人。今はバンクーバーに住んでるわ。お父さんのお葬式以来会ってないけど。以前は外交官だったけど、もう退職したはずよ」とお母さん。

その時ハッとして、私は思わず「あっ、アール、私、知ってます。オフィスがすぐ近くなんです」と口にしていました。

お母さんは口をぽかんと開けて、「あなた、アール知ってるの?」と。相当驚かせてしまいました。

私は事情を話し、その2年後、お母さんとアールはバンクーバーで数十年ぶりの再会を果たしました。まさか、私とアールという赤の他人をつなぐものがあったとは夢にも思っていなかったオタワへの短い旅行。

本当に短い期間のオタワ滞在で、私は車での移動以外、ロバートの家族の家にしか行きませんでした。私にしてみればボーイフレンドの家族に会うというちょっとお堅い口実を消化し、バンクーバーへ帰るフライトに乗るため、オタワ空港に到着。自動ドアが開いて空港に足を踏み入れた途端、私が目にしたものは…。

やっぱり。。。こうなってるって何だかわかってたのよね、と思った私。

「ほら、アレが私の前のツレ」とロバートに、向こうのカウンターに立っている長身の男の人に目を向けました。

ロバートもロバートで動揺することもなく、一緒にいたお母さんとお兄さんに「ほら、あれが彼女のExなんだって」と大したことではないように言います。私とは初対面のお母さんは開いた口がふさがらなくなってしまいました。

ちょっと長くなってしまったので、身休さん風に今日はここまで。

次回をご期待ください!

Friday, December 18, 2009

いやはや、師走ですな。

今日は朝から夕方5時までずっと出てばかり。家から出てる時間が長いと、うちの場合、家の中が散らかるんです。子供が3人いると家の中はおもちゃ屋かと思うくらいの物であふれています。おもちゃ屋なら物は整然と並べられているけど、我が家の場合、パズルのピースや干からびたバナナの皮やレゴや、本やぬいぐるみや、ぴょんぴょんちゃんや、くしゃくしゃに丸まったおりがみや、ミニカーやりんごの食べ残しや、線路や汽車や壊れたおもちゃの部品があっちゃこっちゃにころがっている状態。間違っておもちゃを踏んづけたものならズズーッとすってんころりんか、角ばったレゴを踏むと足の裏に激痛が走ります。

あまりに忙しない今日は気も焦り、行った先にお財布の入ったバッグを置き忘れ。幸い、後で行ったらまだあったので事なきを得ました。だめだね。もっとゆったりしなくちゃ。

今日は3車線の道路で私の横を走っていたランボルギーニ。勝っちゃったもんね!イタリアの車も評判ほどじゃないんだなって、愛車のマツダのアクセルを踏みながら思いました。車はやっぱりメイド・イン・ジャパンに限ります。ゴー・ゴー・マツダ!こんなことで今日の疲れも吹っ飛んだ私は幸せ者です。

この時期、時節柄パーティが多いです。今日は日本人ママのモモコさん宅でオープンハウス。オープンハウスとはパーティのことですが、オープンハウスという名前のパーティは何時に行ってもよく、いろんな人が出たり入ったりする、みんなが座って夕食を一緒に食べるディナーパーティよりずっと気楽なパーティ。ニューヨークからご主人と4歳のお嬢ちゃんと一緒に最近バンクーバーに引っ越してきたモモコさんとは、つい最近我が家ご用達のコミュニティセンターで知り合いました。私が子供に日本語で話しかけていたら、「あら、日本の方ですか?」と会話が始まりました。とは言っても、我が家は双子のスイミングのレッスン、モモコさんはお嬢ちゃんのピアノレッスンで、週に1度コミュニティセンターで会ってはいたものの、なかなかゆっくり話す機会がなかったのです。モモコさんは2年前に特異な病気で車椅子の生活を余儀なくされ、彼女が住んでるコンドミニアムからはいつもバスでコミュニティセンターまで通っています。雨の日も車椅子にレインシートをかぶせて、お嬢ちゃんを膝の上に乗せて、笑顔の絶えない人です。

数週間前に長男のガールフレンドのなゆママより、彼女もモモコさんとひょんなことで出会ったという話が。それはお互いの娘さんのピアノの発表会で。同じ先生のもとでレッスンをしていたそうです。

モモコさんからオープンハウスの招待状が届き、なゆファミリーも行くというので我が家も行ってみました。ニューヨークに住んでいた人はどんなところに住んでいるのかしらと思っていたら、ダウンタウンに程近い高級コンドミニアムに住むモモコさん。たまたまコンドのロビーで会った中国系のモデル並みの美しさの女性。同じパーティに行くということがわかりました。エレベーターに乗ったはいいものの、このコンドの居住者でなければエレベーターの階数を押してもエレベーターが動きません。特別なキーが必要なのです。モモコさんに電話をして、ご主人がおりてくるのを待つ間、素敵な中国系のお姉さんに聞いてみました。

「モモコさんとはどういう知り合い?」と私。
「私、エリカのピアノの先生なのよ」と彼女。

「もしかして、あなたジョディ?」と言った私にビックリする彼女。

実は長男をなゆちゃんと同じピアノの先生のところに1月から行かせるために、先週申し込みをしたところだったのです。そのことを話して、「What a small world!」と感嘆しあった私たち。私がなゆママより聞いていたピアノの先生のイメージは少し中年のオバチャン先生だったので、モデル並みに美しい彼女に少し戸惑った私です。なゆママから聞いていたのは、子供の扱いにうまく、教え方もしっかりしていると。そう聞いた私はすっかり、中年の子育て経験ありのオバチャンだと思い込んでいたのでした。ジョディは心理学も大学で専攻したので、ピアノを教えながら子供の変化を観察するのも面白いと。この先生なら、長男もすぐ好きになることでしょう。

パーティに到着すると、すでに子供たちが大声で走り回っています。クリスマスのために可愛いドレスを着て走り回る女の子が数人。なゆちゃん家族を見つけて大騒ぎする我が家のボーイズ。人見知りなんてまったくなし。日本人ママが何人かいて、子育ての難しさ、フランス語教育の情報交換など。モモコさんと、彼女の知的なご主人ともゆっくり話すことができました。なゆパパとはクリスマスプレゼントの秘密交換です。うちでは、日本から最近到着した友達にハイパーレスキュー3号を持ってきてもらったこと、なゆパパは日本に帰国した友達にゲームを買うのを頼んでお金を渡したけど、その人が病気になってしまいクリスマス前に帰ってくるかどうかわからないなど。お兄ちゃんの方はサンタクロースがいないことがわかりかけてきたとか。あーだこーだと。短時間だったけど、久しぶりにほのぼのした気持ちになるパーティでした。他の日本人母と出会うと話題は共通。子供の日本語教育や、日本と違う学校生活、習いごと、子育てでわからないことや日本のニュース。なんで日本は極悪犯罪が多いんだーとか。今の日本のモンスターペアレンツって、私たちが育った頃には考えられないことだったよねとか。日本から遠く離れた身内のいない国で子育てをしていると、お互い頑張ってるんだねと癒されます。

明日から学校は2週間のクリスマス休暇がスタート。まだまだやることはたくさんあるけれど、なんだかクリスマス前のカウントダウンがやっと始まった感じ。

さて、明日の持ち寄りパーティには何を作ろうか。

Wednesday, December 16, 2009

友達が今学期の大学3年次の統計学ですごく頑張ってた様子をブログで読んで、ついつい私も書きたくなっちゃいました。彼女は今回C以下の成績が出たらもう一度このコースを取り直さなければならないところでした。頑張り屋の彼女のこと、最後にはなんとかなるのがわかっているのに、やってる本人はストレスと闘い続けた今学期。ベイビー、パスしておめでとう!

我がサイモンフレーザー大学の社会学部では統計学が必須授業の一つです。統計は社会学の調査になくてはならないものです。日本だったら代表的なものは国勢調査。あれは数字が物をいうもので、そこから様々な事柄とそれに起因する原因が社会学者によって考察されます。例を挙げるなら、喫煙と死亡率(これは明らかな例)とか黒人と犯罪率(これは、単に統計を信用してはいけない)など。

私が大学1年次の統計学を取ったのは数年前。「今さら数学ぅぅぅぅ?」と伸ばし伸ばしにしていたコースを、ある時、潔く取ることにしました。ていうか、それを取らなきゃ卒業できなくて、学部のアドバイザーからせっつかれたんですが。。。

たまたま私が取った統計学のコースは大学に行かずにオンラインで取れるコース。我がサイモンフレーザーでは、忙しい社会人も多く勉強しているためオンライン教育が盛んです。

教科書が届き、WebCTという大学独自のオンライン・システムにログインすると、自分のコースにアクセスすることができます。そこでクラスメートと会話したり、課題を先生に送ったりと色々なことができる仕組みです。この統計学は教科書の1章ごとにオンラインで詳しい説明つき。コンピューターの前に座り私の格闘の13週間が始まりました。

けっこう思ったより面白い内容で、Excelを使ったグラフの作り方、調査結果の集計の仕方などを学びました。それから確率も。だけど、脳みそがそっち向きにできていない私には自慢じゃないけど限界があります。教科書が進むにつれて、少しずつ見えなくなっていった。

そこで、我が家のもう一つのブレインに登場してもらいました。電子工学部出身のあの人です。ここから先生と呼ぶことにします。先生には私がやっていた大学1年次の統計学は赤子の手をひねるようなもの。フンフンフンと鼻歌まじりに解説を読み、例題を解くのを説明してもらうと、あっという間に私の課題は終わります。説明が理解できなければ別の言葉や例を使って説明してくれて、なんだか私まで先生のブレインを分けてもらった気分。お礼にはちょっと美味しいものを作ってあげれば喜ばれて。課題はオンラインで提出。そんなことが何度あったのかな。

今考えると、これがまずかった。。。

ある時、課題が戻ってきて、また満点。添え書きに「僕はこれまでたくさんの学生の採点をしてきたけど、君みたいに満点を取った学生は初めて見たよ」と。このコースでハイスコアの学生は多いものと思っていた私はそこでドキッ。コースがオンラインで取れても、稀に中間試験と期末試験は大学まで行ってテストを受けなければならない時があります。統計学がまさにそれ。もちろんその時は私一人で、うちの先生を連れて行くなんてわけにはいかない!ドドドドドド、、、、、どないしよう!もしいい点数が取れなければ、私がこれまで先生に手伝ってもらって課題をしていたことがバレてしまう。そこから私は中間試験に向けて猛勉強。

その甲斐あり、かろうじて中間試験はまずまずの点数をゲット。意外と問題も教科書の例題や課題に少し手を加えただけだったりして。

その後も私はオンラインで提出する課題では高得点を記録。すべて先生のおかげです。取れる時にいい点数を取って、少しでもGPAを上げないとならないもんで。

そして最後の期末試験。この時には心臓がドキドキ。ここでも一応頑張って勉強。こんなに焦るのなら、課題はほどほどにしておけばよかった、なんて恨めしく思いながら。そしてここでしくじったら、これまでの努力は猫に真珠。

最終的に戻ってきた試験結果はドキドキした甲斐あり、これまたまずまずの点数で、社会学専攻の私が初めて大学でもらったAはこの統計学になったわけです。この経験が教えてくれたこと。努力は人の助けを借りてでもしておいたらいい!うーん、辻褄あってないかな。

なので、今学期で大学3年次の統計学で寝ないで頑張ったベイビーの努力が私には痛いほどわかるので、よくやったぜ。私も卒業するためには3年次の統計学を来年には取らなければなりませぬ。ベイビーのアドバイスを聞いて、彼女が取った先生からは取りませぬ。カナダの大学は甘く見たら泣きを見ます。学期内に色々な課題やテストがあり、その累積点で評価が決まります。一つの課題がだめだったとしても、最後のほうの配点の大きい課題で挽回することも可能だし、それができない時もあります。以前私が取ったコースでは、最後の大きなペーパーで自分ではきちんと書いたつもりだったのに、採点されて戻ってきたのを見て唖然。コメントには教授が出したペーパーの指示に従っていなかったと。指示の書き方も少し曖昧だったのにーと思っても後の祭りで、そのコースは結局、屈辱のCだったはず。

ベイビーは広島出身の22歳。こんなオバサンの私とクラスで一緒に座ってくれ、意見を色々交わし、私はどれだけ心の支えとなってもらっていることでしょうか。1月からのアタソイ先生の講義でまた一緒になれるのが楽しみでございます。

Tuesday, December 15, 2009

野菜嫌いのケンに関して、ついに我が家の気長な家長が「このままではいかん!」と言い出しました。最近それでもかなり良くなって、ハンバーグやカレーの野菜は食べるようになったんですが、家長は「長男が食卓で野菜を食べないでそのまま見逃されていると、今に2人の弟もそういうことになりかねない」との理屈。たしかに、弟二人はお兄ちゃんを羨望のまなざしで見つめ、お兄ちゃんがやることはなんでもカッコいいと思う年頃。トモキは気持ちがいいくらい何でも食べてくれるけど、ノアは「嫌いなもの」と選り好みが出てきました。

今週になってからケンには、「一口でいいから食べるように」と言うようにし、食べなければ食後のデザートはなしという強硬手段に出た両親。敵はかなり頑固です。甘い物欲しさにグリーンピース1個すら口に入れません。今日はかろうじて納豆に混ぜたほうれん草を食べました。明日の夕食は野菜たっぷりのチキンシチュー。野菜は、タマネギ、ほうれん草、ブロッコリー、にんじん、サツマイモを炒めてから煮て、それをフードプロセッサーでトロトロにして、鍋に戻してチキンと一緒にシチューの素で味付け。ケンはカーチャンを怒らせると特典つきの美味しい食事が出ることにまだ気づいていません。これでしばらくケンのお肌はスベスベしてることでしょう。

私は野菜が大好きで、いつも野菜を使った料理を考えています。寒くなったこの季節はなんといっても野菜をたくさん入れたスープ。乾燥した豆を前の晩に水に浸して戻し、翌日、その豆とにんにく、タマネギ、しょうが、にんじん、そこにトマトやトマトペースト、ハーブを入れてぐつぐつと煮込んで野菜をトロリとさせるだけ。スパイシーな仕上がりにしたければクミンやコリアンダー、カイエンで煮込むとホクホクスープが出来上がり。栄養満点、体も芯から温まります。チキンがあったら、タマネギ、ジャガイモ、にんじん、にんにくでチキンスープ。そこに残りもののご飯を入れるとさらにグー。野菜の切り株や古くなったものはコンポストへ。翌年、庭の土に混ぜると土が元気になります。野菜は無駄にしないのが信条。

こちらの小・中学校では給食がありません。日本人ママとこのことについてよく愚痴をこぼします。給食--あんなにいい物はないわよね~。栄養を考えた献立に、野菜もしっかり。野菜嫌いの子供は一緒に食べる子を見習い嫌いな野菜も食べれるようになります。カナダにはそんな給食がないのが、野菜嫌いな子供を持つ親にはちょっと痛い。稀にいくつかの学校で給食を出しているところもありますが、カフェテリア形式で、子供たちは自分の好きなものを選んで食べれるようになっているので、親が見ていないところで何を食べているかわかりません。

給食がないので子供たちは毎日家からランチを持っていきます。日本語のプリスクールに行っていた時はケンも日本式にトーマスのお弁当箱にランチを持っていっていました。ケンのお弁当は毎回お決まり定食。ごはんとふりかけ、またはおにぎり。卵焼き、ウインナー、チーズくらい。餃子やシューマイすら食べないケン。根っからの食わず嫌い。「ボク、これ食べたことないから嫌いなの」と。彩りに緑や赤のきれいな野菜を入れても絶対口にしません。他の子供たちは五目御飯やキノコのソテーなど、少し手の込んだ物を美味しそうに食べている中、ケンはいつも決まった定食でした。

9月から小学校に入り、ランチはさらに手抜きに。早く食べ終わって友達と遊びたいので、サンドイッチやおにぎりでいいそう。お弁当箱に入っているランチは時間のロスになるので不評に。私としては手抜きができて助かるのですが、栄養も考えないとなりません。サンドイッチにはできるだけ種類の違うハムを入れて、パンも全粒粉やライ麦など。ベーグルやラップといって、丸くて薄いクレープみたいものにスクランブルエッグとクリームチーズを塗って巻くこともあります。おにぎりの時はソーセージを添えて、走り回ってエネルギーを使う体にたんぱく質の補給を。細巻きもよく作ります。こうしてランチの時に野菜を食べることがまったくない長男。誰に似たんだ?

小学校へはおやつも持参。カナダではナッツ類のアレルギーの子供が多いので、ナッツ製品持込は一切禁止です。おやつはそのへんを考慮して、できるだけヘルシーなもの。りんごや、クラッカーとチーズ、レーズンなど。クラッカーも野菜入りというのを選んだりして気休めでも野菜を摂らせようと必死な母。

日本の給食、あれは本当に素晴らしい。そこに一村一品の食材なんか使われてたりして。

ところで、八百屋をやっている同級生がブログで、農家の深刻さを書いていた。お金持ちもお金を使わない時代になったらしい。こだわって美味しいものを作っても、流通段階で値がつかないと書いていた。

コペンハーゲンで環境会議が開かれていることもあり、次回はちょっと食べ物にまつわる含蓄を書いてみます。

ちなみに今晩の献立はローストチキン(抗生物質の注射をされていないチキン)、ローストポテト、にんじんとブロッコリーを蒸してバターをからめたもの、ローストズッキーニ&マッシュルームでした。子供たちと私はポテトの代わりに十六穀米ご飯(すごく美味しい!)。チキンはオリーブ油、ローズマリー、オレガノ、タイム、塩、ペッパーを調合したものを全体に塗って数時間置いてからオーブンへ。オレンジさん、肉を焼く時は… 温度計です!

Monday, December 14, 2009

コペンハーゲンで開かれている世界環境会議で、カナダがCO2排出量を1990年より40%削減するというプレスリリースをしたというニュースで始まった今朝のカナダ。

ナ、ナ、ナ、、、そんなことありえない!と思っていたら、やっぱりガセネタのお騒がせニュースでした。いくらなんでも40%は無理だよね。それができたらそんな明るいニュースはないけれど。

年末ですが、この時期、少し神がかり的なことってないですか?ちょっと大げさかな。でも、フツーにしてたら起きないことが起きてしまうのが私の年末だったりします。

昨日はスイスの友達のミヒャエルと10年ぶりのコミュニケーション。実に10年ぶり。10年前の夏、バンクーバーに語学研修に来ていたミヒャエルと私は友達になり、その夏を時たま一緒に過ごしました。散歩に行ったり、週末のブレックファストを一緒にしたり、健全な友情を楽しんだ私たち。身長がすらりと高く、金髪くりんくりんのカーリーヘアに丸めがねをしていたミヒャエル。年は私よりかなり下。北米人と違ってマッチョ的な男らしさを強調しないところが魅力のさわやかな好青年。そしてスイス人。ホームステイ先のウエストバンクーバーから自転車で、山を下って、長い橋を渡り、ダウンタウンを通り抜け、さらに橋を渡って、当時私が住んでいたキツラノまで来たりしていました。さすがアルプスの山で鍛えてる人はスケールも違いました。バスだったら1時間ちょっとかかる距離です。

その秋ミヒャエルはスイスに帰国して、私はたまたまその年のクリスマスをイギリスで過ごすことにしていたので、ロンドンに着いてすぐに飛行機を乗り換えチューリッヒまで。ミヒャエルの案内で丁度10年前、クリスマス前でにぎわうチューリッヒの街を案内してもらい、彼の友達に会い、楽しい休暇を過ごしました。そうそう、当時ミヒャエルはカナダ人の女の子にゾッコンで、彼の恋の話を聞いたりしながら。

そんな楽しい思い出のあるミヒャエルでしたが、この10年間でお互い忙しくなりなんとなく音信不通となり、メールアドレスもなくしてしまい、だけど、たまにふと思い出し、あー今頃どうしているんだろうと思ったり。そういう人っているでしょう?

この夏、ミヒャエルとあのFacebookで再会。彼は一児のパパとなり、くりんくりんだった髪も短く切って、チューリッヒに在住。とても元気そう。私たちはそれ以来またステイ・イン・タッチをすることができるようになりました。昨日はミヒャエルとチャットです。短い間でしたが、なんだかこれまでの10年が縮んだ感じ。

今日はバンクーバーに住んでいるイーディスと4年ぶりにランチで再会。同じバンクーバーにいても4年も会うことがなかったなんて、おかしいでしょう?ひょんなことから、4年も会ってなかったというのに、年末の今日になってランチを一緒にすることにしたのです。イーディスは’98年に私がバンクーバーに来て、あるカナダ人ボスの特命のもと(ちょっと響きがかっこよくなりすぎちゃったぜ)ハーバーセンターでオフィスを構えた時に、デスクと本棚しかなかった私の部屋を一つのオフィスにすることを手伝ってくれた私の「香港の姐御」です。

場所はダウンタウンのJoe Fortes。日本人観光客もよく行く、ちょっと洒落たレストラン。私たちは生牡蠣と本日のランチを食べながら近況交換。もちろん、イーディスは私の3人の子供たちのことに興味津々。そして彼女の2人の息子はというと、私がオフィスにいた頃はまだ10代の僕ちゃんだった二人が、今では長男が大学を卒業して、来年から公認会計士事務所へ就職が内定していて、次男も大学で生物学を専攻しているとのこと。ウワーッ、時の流れは早い。あの頃同じオフィスにいたアリソンの同じく10代だった一人娘も大学を卒業して法科大学院に進んだことなど、まるで私は浦島太郎になった気がしました。それにしてもイーディスは成人した二人の息子がいるなんて思えないほど若く見える。彼女は、自分の年は絶対に教えてくれません。

前述の通り、イーディスは私の「香港の姐御」です。会話中、私の大学で勉強している話をした時も

「卒業したら何をしたいの?」とカナダらしい質問。カナダの人って、みんなこういう聞き方するのです。

「。。。まだ決めてはいないけど。。。もう少し若かったら、大学院に行ってみたいって思ったけど、この年じゃちょっと遅いかな」と私。

すると彼女は「何、言ってるのよ!やりたいことがあるならしなければならないじゃない!」と。

「いい、今は定年の年齢がなくなった時代なのよ。もしも65で定年するとして、あなたにはまだ20年以上あるじゃない。大学院で6年かかったとしても、その後定年まで15年以上もあるってことよ!社会への奉仕はそれからでも十分できるわよ」と彼女。

ハァー、おみそれしました。。。と言いたくなった私。そういえば10年近く前、私と彼女が話をしてた時、老後は静かなところでのんびり暮らしたいと言った私に、「老後だから、ダウンタウンみたいな便利なところで若い人に囲まれて元気に生きなきゃならないのよ!」と言ったイーディス。

さすが、香港女の迫力と威厳と含蓄ほとばしる姐御です。そんなイーディスに子育てのことを聞いてみました。

「もし私がまた子育てできるなら、別の育て方をしてたと思うわ」と彼女。

「どんな?」と私。

「もっと、厳しく育ててたと思う。」凛として言う彼女。

さすが~と思いました。子供たちにお小遣いをどう与えていたか聞いてみました。お小遣いは一切与えなかったそう。「だって、何に使うって言うの?子供がお金を持つ必要はないじゃない。欲しいものはその都度一緒に買いに行けばいいんだから」。「でも、他の子達はもらってるみたいだし、ほら、よそからのプレッシャーが~」と言うと、「子供にはね、それぞれの家庭が違うんだって言わなければならないのよ!」と。長男がポケモンカードを集めていることを言うと、「そんなのは1,2枚もあれば十分」とピシャリと言い放った彼女。最後には「親としてのいい子育てが大切なのよ」と、またまた意味深なことを言ったイーディス。イーディスはこうして、香港女の含蓄ある言葉でいつも私を励ましてくれる女性です。

そんなことを話しながら1時間ちょっとのランチがあっという間に終わってしまいました。ここ数年、古い友達とかなり疎遠になっていた私。かなりどころか、不精もいいところ。先月はこれまた20年来音信不通となっていた友達と再会。これはまた次回に。来年はずっと会ってなかった友達に少しずつ連絡を取っていくのもいいなと思っているこの頃。

なんせ、人生も折り返し地点を過ぎたんで、ここらでちょっとあの頃にタイムボカンもいいかな、と。あー、また古ネタ。どうもすいません。。。あっ、これは三平師匠風に!

Sunday, December 13, 2009

初雪が降った今朝のバンクーバー。正確には先週の金曜日に粉雪が舞っていましたが。子供たちはこういう日は大はしゃぎです。「雪だるまつくりた~い!」とは言うものの、そこまでの降雪ではありません。

雪が降ると街が機能しなくなるバンクーバー。今年はこのあとどれほど降るでしょうか。昨年も丁度今頃雪が降りました。また降ったら夜には解けてるだろうと思われた雪も、しんしんしんしん降り続け、クリスマスは真っ白のホワイトクリスマス、元日も一面銀世界。結局雪がすべて解けてなくなったのは1月末くらいだったでしょうか。昨年はあちこちの路上で車が乗り捨てられてました。グランビル・ストリートと16th Aveの坂の下あたりが一番すごいことになっていた。サマータイヤで車が坂を上れないので、路上に乗り捨てて帰ってしまったんでしょうね。傾斜の急な坂は進入禁止の看板がたてられます。市バスでさえあちこちに無理な形で乗り捨てられていました。電柱に衝突したようになってたり。路上から飛び出してたり。雪かきシャベルは店頭で売り切れ、子供用のブーツも売り切れ。雪に慣れていない都市に珍しく雪が降るとこういう事態になるんだというのがよくわかりました。北海道育ちの私も、オタワ育ちの夫も、バンクーバー市の雪に対するインフラができていないので、雪が降るとおとなしくしています。

昨日はスージーとダレンのホームパーティに行ってきました。珍しく私とロバート別行動。この時期パーティは重なるもので、ロバートは別の友達のおうちでのターキー・パーティへ。私は親友のスージーとダレンの素敵なコンドミニアム(日本語で言うとマンションです)へ。

招待客は我らがグッド・フレンドで新婚さんのブライアンとジュリア。そして同じくグッド・フレンドのアル。ダレンの仕事友達のカップル。子供がいるのは私とアルだけ。楽しいパーティの最中、子供がいないと、こういう暮らしなんだ~と思うことが多々ありました。まず、素敵なコンドミニアムには大人の調度品しかない。リビングルームを占めるお洒落なカウチ、安楽椅子。うちだったら、こういう家具はジュースやお菓子がついてあちこちべたべた、色も変色してるはず。壁には二人の趣味の絵画やアンティック写真が飾られています。うちの額縁は、子供たちがぶつかったりおもちゃが飛んだりするので、たえず斜めに曲がったりしています。フラットパネルの大きなスクリーンのテレビ。うちの子達ならこれにぶつかるか、おもちゃが命中してテレビは無残に床に倒れてしまうことでしょう。我が家では日本に帰国する家族から安く譲ってもらった、大きなブラウン管のテレビを見ています。ブラウン管のいいところは、奥行きがあるので安定してること。ちょっとぶつかったり、おもちゃが命中したくらいで倒れはしません!リビングには素敵な陶器の飾り器もいくつか置かれている。陶器が好きだった私はそういう飾りが好きですが、今の我が家にはこういう物はもっての外!そして大きなガラスドアのサイドボードには繊細な作りのワイングラスやクリスタルグラス、コーヒーカップ、アンティック物のお皿がぎっしり並べられています。我が家にこういう物があったなら、、、と考えただけで冷や汗が出そうになった私。音楽の趣味のいいダレンが選んだクリスマスのCDで、ムードはすっかり大人のパーティです。ブライアンとジュリアはハワイのホリディから帰ってきたばかり、ダレンの友達カップルもメキシコにホリディに行ったり、子供のいない暮らしってこういうもんなんだ~と、6年前までそんな暮らしをしていた私は妙に感心してしまいました。ロバートが行ってるパーティのホストカップルはもうすぐ恒例のラスベガス旅行に出かけるし。そういえばあの二人は1年に2回くらいベガスに行ってるはず。

私たちの周りでは、自分たちの暮らしのレベルを変えたくないので子供を持たないことにしたカップルが何組かいます。大きなテレビも欲しいし、レストランも行きたいし、旅行も行きたいし。。。との理由らしい。

「子供がいなかった時の暮らしって覚えてないよね~」と話し合う我ら夫婦。そういう時期が長くあったのに、今では子供なしの暮らしなんて思いつかない。我が家は散らかり放題の家で、バスルームも窓もきれいに掃除なんてできてないけれど、まっ、それも「子供がいるから」と掃除をしていない私にはいい口実になっています。うちの場合、3人の子供の年が近いせいもあり、最初の2年間は乱気流の中での暮らしぶり。三つ子を育ててるようなものだったので。我が家はお互いの身内がバンクーバーにいないので、ヘルプはベビーシッターさんや友達からです。今年の夏までは私一人で3人の子供を外に連れて出ることもできなかったけど、この夏でみんなかなり成長しました。自分で言うのもなんですが、よく夫婦仲に亀裂も入らなかったし、子供を虐待することもなくてよかったーと、今になって胸をなでおろすことがあります。今は大変でも、子供たちが成長して私たちが年を取った時のことを考えると、楽しいだろうな。あの時、こういうことがあったよね~なんて昔話をしたりして。ケンには、赤ちゃんだったトモキを階段から落としたことを覚えてるか聞いてみます。

昨日みたいに私たちが出かける時に、子供たちの面倒は誰が見るかって?昨日は、お隣のショーン君(中学2年生)に来てもらいました。子供たちには夕食を食べさせ、双子は寝る支度をさせて、そこでショーン君登場。中学2年生と言っても、彼はベビーシッターの講習もしっかり受けて責任感あるいい少年です。何かあった時はショーン君のご両親が力を貸してくれます。子供たちにしてみるとショーン君はヒーロー。私とロバートは外に出かけて楽しい大人の時間を過ごし、子供たちは憧れのショーン君と遊んでもらい、ショーン君は私達からいくばくかのお小遣いをもらいと、みんなにとっていいトレードが行われるのです。あっ、我が家の財布が少し軽くなりますが。。。

というわけで、我が家、まだまだ、家住期真っ只中でございます。

Friday, December 11, 2009

12月11日。ここにきてやっと、なんとなくクリスマスモードがかかってきました。今日はダウンタウンのセント・ポールズ・ホスピタルの壁を飾る、恒例のきらびやかなイルミネーションを見たからでしょうか。バンクーバーに住んだことがある人、懐かしいでしょう?!バンクーバーの街はクリスマスを楽しみに待っているって感じ。スタンレーパークのイルミネーションも見に行かなくちゃね。子供たちもクリスマスのビデオを見たりと、ムードを盛り上げています。来週はケンも双子もそれぞれ学校でクリスマス・コンサート。

日本は師走で、また西洋のこちらとは違った感じで1年のしめくくりですね。誰もが忙しなく走り回る日本の師走は風流なもんでした。

「年を忘れる」と書いて忘年会。いい響き。こちらでは忘年会の代わりに、クリスマス・パーティ。カラオケはあるけど、こういうパーティには登場しません。カラオケは数えるほどしか行ったことがない私ですが、今度行く機会があれば歌ってみたいこの名曲。



昭和の大スターは美空ひばりさんでしたが、島倉千代子さんも日本の歌謡界に大貢献したスターだったのですね。わりと最近の「人生いろいろ」も、島倉さんが歌ったからこそ価値があった歌だったのですね。

どちらさんも手回り品に気をつけて楽しいお酒を!

Thursday, December 10, 2009

アメリカ人のセックス・コラムニスト、ダン・サベージ=サベージ・ラブのトークショーに行ってきました。

シアトル在住のダン・サベージは、バンクーバーのウィークリーペーパー「Georgia Straight」にコラムを持っています。毎週このペーパーを手にすると、ロバートが一番最初に読むのがこのコラム。一人でよく笑っています。

「レズビアンの女の子が、男と一夜限りで遊んだ後に妊娠だって。このレターによると、彼女にはレズビアンのパートナーがいるんだな…」とか、「私の会社には女装してくる男性社員がいて、その人は性転換手術を受ける予定です。この人は女子トイレを使うので、私としてはそれに抵抗があるんです…」など、私に読んで聞かせてくれます。ロバートと私の間では、ふだんはイベント物のインフォは私が仕切り決定権を握っていますが、今回に限ってはロバートの「行きたい!」の一言でサベージ・ラブとして知られるダン・サベージのトークショーを聴きに行くことに。

会場はブリティッシュ・コロンビア大学のチャン・センター(知る人ぞ、知る!でしょ。私はあそこはクラシックのコンサートしか行われない所だと思っていました。ダン、すごい!)。満席に埋まった観客席の半分は20代のニーチャン、ネーチャン。多分、UBCや市内の大学生。残りの半分は見るからにゲイのカップル、明らかに髪が短くてがっちりした体躯のレズビアンのカップル、そして、すっごく魅力的な女性カップル(あやしげな魅力が。。。)、そして私たちみたいな、会場の平均年齢を上げているオジサンとオバサン達。こういう観客ってすごくフレンドリーでノリがいい!ジーンズにTシャツのラフな姿のダンが壇上に現れると会場は拍手喝采。

ダンのトークショーは、すべてこの日のために送られた質問に答える形式で行われました。なので、ダンは何十枚もの質問を書いたカードを手にしています。

質問:僕と妻は成人した子供がいる幸せな家族です。僕は会社の重役で、子供たちとは何でも話し合う関係です。僕は女装が好きで妻とそうやって夜の生活を楽しんでるんですが、それを子供にも話すべきでしょうか?
ダン:ノー!そんなこと話す必要ありません…

質問:私はレズビアンで、19歳です。すごく好きな女性がいて、私たちはフロリダに住んでるんだけど、結婚したいと思っています。フロリダで結婚してもいいかしら?
ダン:フロリダでのレズビアンの結婚は危ない!実はね、前にフロリダに旅行で行ったレズビアンのカップルがいて、3人の子供も連れて行ったんだよ。18年間連れ添ったカップルだ。女性の一人が病気で危篤状態に陥り、病院に運ばれたんだ。パートナーの女性は病室に入れてもらえなかった。フロリダではゲイやレズビアンが法的に認められてないからね。危篤状態の人の病床には同性愛者のパートナーは禁物ってわけだ。彼女は病室で一人で死んでいったんだ。パートナーの方は権力に立ち向かうこともできた。だけどそうなると刑務所に入れられて、母親を失った3人の子供はもう一人の母親まで失いかねないというリスクを負うことになる。だから彼女は18年間連れ添ったパートナーの死の枕元にいてやることができなかったんだよ。アンチ同性愛のフロリダで同性愛者が一緒に暮らすにはこういうリスクがあるからね。

自身もゲイをオープンに公表しているダン・サベージは、毎週5000通のメールを受け取るそうです。「そのうち2500通は本当に相談的なもの、半分は嫌がらせ」と笑っていました。

ダン:最近では、僕のところにメールですごい写真が届くんだよ。僕は病気の専門家じゃないので、専門医に行ってもらいたいんだけど。そんな写真を間違って飛行機の中で開けちゃったりしたら大変なことになるんだよね。隣に座ってる人が慌ててフライト・アテンダントを呼んでさ、この人がコンピューターを見ながらマスターベーションしてる!って言ったりするんだ。だから僕はその写真を見せてさ、「こんなので、できると思う?」って言ったりするんだ。会場は爆笑。

質問:妻と私は年配のカップルです。妻はセックスに全然興味がなくなったし、体にすら触らせてくれません。それでは私の方が満たされないのです。こんな時はどうしたらいいのでしょう?
ダン:あっ、それはね、別の相手を見つけるしかないね。

この一言に会場がシーンと。ダンがそこで話を続けました。

「ゲイのカップルはへテロのカップルよりベッドでの満足度が高いって言うけど、それはだね、、、きちんとコミュニケーションしてるからなんだよ。なにをしてもらったら嬉しいか、ちゃんと話し合うからなんだよね。ヘテロはそれがあまりないだろう?」と。な~るほど、と頷く観客。

ダンはトークの中で婚姻関係にある自身のパートナーの話も出します。彼とは、同性間の結婚が合法的に行われているバンクーバーで結婚したそうです。アメリカではまだ同性間の結婚はもってのほかの風潮なので、カナダに来て結婚するゲイ・レズビアンのカップルが多々見られます。

観客の一人がダンに聞きました。「結婚してるのに、どうして彼のことを”ボーイフレンド”って呼ぶの?」

「あっ、それはね、アメリカではまだゲイの結婚が認められてないから、結局ハズバンドでなくボーイフレンドって呼んじゃうんだよね。僕とボーイフレンドと息子の3人でよくカナダまでスキーに来るんだけどさ、カナダに入国する時、審査官が僕たちの関係を聞くんだよね。だから、これは僕のハズバンドで、後ろにいるのが息子ですって答えたら、”ウエルカム・トゥー・カナダ!”って言われるの。ところがだよ、スキーが終わってアメリカに帰る時、アメリカ側の移民審査官から同じ質問を受けるわけだ。これは僕のボーイフレンドで、こっちは僕たちの息子って言答えたら、鼻でせせら笑われるんだよ。お前たちみたいなゲイのオカマヤローが子供まで育ててるのか?って言いたげな。息子にはさ、これまでは”アイツらはブッシュの手下の人権を無視したヤローたちなんだよ”って言えたけど、新しい政権になってからはなんて言おうか、今考えてるところなんだ」とダン。

ダンの2時間のテンポの速い弾丸トークショーはお笑いの世界で、時にはホロッとさせられました。フツーの人々にはギョッとするような質問にも、きちんと論理的に答えるところが彼の魅力です。

帰りの車の中でロバートが、「ダン・サベージのメッセージは究極のところ人権擁護なんだよな」と一言。この発言に少し驚いた私。なーんだ、単にエロイ系のお話が好きなだけじゃなかったのねと少し感心。

ダンの話を聞いてるとアメリカという国を違う角度から見れるようになります。キリスト教原理主義者の多い国なので、州によってはゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・性転換者の人権がいちじるしく蝕まれている状況。アメリカが誰にとっても住みやすい国になるよう応援してるよ、ダン!

Wednesday, December 09, 2009


6歳の長男と4歳手前の双子の3兄弟。この夏からよく遊ぶようになってくれました。最近の流行は、カウチの大きなクッションを全部取り出して、自分たちのベッドルームに引きずっていき、それぞれのベッドのマットレスを動かし、ベッドとベッドをつなげて、クッションやマットレスをはめこみ、その上をブランケットで覆う家作り。仲良く遊んでる時は、こんなに楽しい3兄弟はいない!けんかが始まると、これがまた面倒。「ケンが意地悪した!」「ノアが壊した!」「トモキが嘘言ってる!」とか、いちいち話を聞いてたらカーチャン体が3つ欲しくなる。お前ちゃん達もこの家に生まれてきたのが運のつきと思いやがれ!と言いたい気持ちをこらえます。

さっきまで仲良く遊んでると思っていたケンとトモキ。トモキが急に泣き出して、カーチャンの元へ走る。おっ、きた、悲劇のヒーローを装っている。

「ママ、ケンちゃん、いじわるした~!」ヒーヒー泣いてお母様にケンを成敗するよう懇願。

「ボク、何もしてないよ~」とケン。

見てない時はカーチャンもなかなか手に追えない。最近、リアクションの大げさなトモ君。ケンが通りがかっただけで泣いたりする。

しばらくトモキはカーチャンの近くに避難して、ケンは一人で家作り。少し時間がたってから、藪から棒に

「Tomoki, I’m sorry. I was mean to you(トモキ、ごめん。ボクがいじわるだったよ)」とケンが言いました。

そこでちょっとウルウルしちゃったカーチャン。そうだよね、誰かを傷つけるのは簡単だけど、「ごめんね」って言うのは難しいよね。よくわかるんだー。でも、「ごめんね」って言うとすごくスッキリして、そこでまたアニキになったぞ!カーチャンに「上手に言えたね」って抱きしめられて嬉しそうな長男。

アニキでいるのは辛い時もあるけど、6歳の君よ、いいぞ、その調子だ!

写真はケンとトモキの兄弟コラボ。ケンが左半分をぬりえして、トモキが右半分を塗りました。我が家のアーティストのトンちゃんはぬりえの後で絵をチョキチョキ切抜き、それをまたペタペタ貼りつなぐという凝りよう。そのうちベレー帽を頭にちょこんと載せてあげなくちゃ。

Tuesday, December 08, 2009



昨日はジムでいつもの15ポンドのダンベルがなかったので20ポンドを使ったのがちと間違い。今日は両脇が痛ぅござんす。若い気は出せないね。ダウンタウンのあのジムは平日の昼間だというのに混んでました。月曜日だからでしょうか。

最近、月・水の午後は双子をダウンタウンのプリスクールに送り届けて、その足でママ友のメイコさん(仮名)とジムに行っています。昨日も一緒にジムまで歩きながら、私は写真のオブジェの前で立ち止まりました。

「うちの子供たちが、これを見るたびに私が赤面しちゃうこと言うのよ」と、メイコさんに言いました。

「うちの子達もよ~」とメイコさん。「。。。。。。タマって言うの」

私、「エッ?なに?」と聞き返す。

「キ〇タマって言うの。…言わない?」とメイコさん。

そこでしばしの沈黙が。

穏やかなメイコさんは、マズイ!と思ったに違いない。そこで私の頭の中でソロバンがガチャガチャとはじき出す。たしか、メイコさんの優しそうなカナダ人のダンナさんは日本語が話せないから、そんなことを家庭で可愛い二人の娘に教えるのは。。。

私はリアクションに困ってしまって、口から出た言葉がコレ。「すっご~い、メイコさんの子供達!」
でも心の中では、メイコさん、一体家でどんな教育してるんだい?それから、なんとなく黙り込んでしまった私たち。

子供達が通うプリスクールでは日本人の母親と日本語を話さない非日本人の父親の組み合わせが多い。なのでそういう子供達の家庭での会話は主に母親と子供が日本語で、父親と子供とは英語だったり、父親の母国語の会話となる。だから、そういう子供達、とくに男の子達は日本語の悪い言葉を知らない。うちの子供たちが知ってる中で一番悪い言葉は「ダメ!」くらい。「バカ」すら知らないんだから。それに日本語は私や日本語学校の優しい女の先生から習うので、最近少しオネーサン言葉に。「ママ、こっちよ~」とかって。だけど、見ているとやっぱり女の子達は言葉が達者でよく喋る。それにしても、メイコさん。。。なに教えてるんですか?いや、女の子だから知っておかないといけないことなのでしょうか。。。襲われそうになった時は、あそこを思いっきり蹴っ飛ばして走るのよとかって、メイコさん今から娘達に教えてるのかな。

うちの子供たちはというと、このオブジェを通りがかると必ず言うこと。

では、そのオブジェをもう一度。



「あ~、ママのオッパイ~」

それがすっごくすごく甘~い言葉で言うのです。

思わず赤面してしまう母。

Monday, December 07, 2009



バンクーバー・ウィスラー冬季オリンピックまであと67日。今日は少しオリンピックの話題にします。

あと2ヶ月ちょっとでオリンピックなので、あちこちで準備にラストスパートがかかってきました。道路規制もこれからどんどん入るようで、フォルスクリークのオリンピック・ビレッジと呼ばれる、新しく建ち並ぶ選手村も通行規制が入ったようです。フォルスクリークからサイエンスワールド、バンクーバー・カナックス本拠地のGMプレース界隈は開閉会式とカナダの威信をかけたホッケーの会場があるため、かなり通行が難しくなりそうです。あのあたりに住むママ友が子供の送り迎えに弊害が出るの間違いなしと言っていました。

各種目の観戦チケットのカナダ在住者対象の抽選が始まったのが今年2月。オンラインで申し込みのできる仕組みとなっていて、いろんなチケットの組み合わせを選んで申し込みできるようになっていました。我が家もホッケーやスピードスケート、フィギュアスケートなど色々選んで、しめて7000ドルちょっとのチケットを申し込みました。7000ドルと言っても、もちろん我が家で払えるはずがありません。チケットが当たったら友達と分け合う予定で、色々申し込んだわけです。友達も方々でそんなふうに申し込みをして、いざ抽選の日。我が家は空振り!あんなに申し込んだのに、箸にも棒にもかからなかった!

友達の中にはラッキーな人達もいて、抽選申し込み期限滑り込みセーフで申し込んだジョンが男子ホッケーの決勝チケット4枚をゲット。私たちは友達から女子ホッケー準決勝と決勝のチケットを譲ってもらいました。他にもホッケー予選のチケットをもらいました。カナダ女子ホッケーチームでは友達の姪がエースとして活躍しているので、なんとしても応援したいゲームです。決勝はカナダ-アメリカになるのは今から目に見えてるようです。

私としては日本勢が活躍するフィギュアスケートやスピードスケート、そしてスキージャンプを見たかったのですががががが。。。チケットがすごく高いのです!ジャンプは予選でも180ドル。フィギュアスケートなんてもっと高い!それでもやっぱり地元でのオリンピックなのでみんな見たいですよね。チケット抽選はその後、カナダ国外の人々に門が開き、それからカナダで第2次、第3次抽選が行われました。その都度電話もオンラインも混雑してつながらない状態で、チケットを取れなかった市民からはブーイング。

来年1月から3月まで、オリンピックのために市民が利用できなくなる公共施設もいくつかあります。まずは一部のコミュニティセンター。オリンピック関係の機関が使用するため、一般人が使えなくなります。オリンピック・ビレッジの建設も大赤字となり、そのつけは市税にまわってきます。そんなこんなで、この頃はオリンピックを待ち遠しく思う反面、市民にはどんなメリットがあるのだろうという声も少し聞こえてくるようになりました。

とは言っても、やっぱりオリンピックは面白いよね!

スピードスケート会場となるリッチモンドのオリンピック・オーバル。このオリンピックのために新設されました。12月からはオリンピックに向けて一般開放をストップするというので、11月の下旬に行ってきました。

言葉ではなかなか言い表せないのですが、カナダらしい要素を取り入れたとてもきれいな建物です。写真のようにリンクの天井は木を使い、ロビーはガラスがよく使われています。ガラスは広々した印象を与えますね。広いリンクは真ん中でバスケットなどスケート以外のスポーツができて、その周りをスケートで滑れるようになっています。そしてリンク横2階にはジムの設備があり、そこで自転車を漕いだりダンベルを持ち上げながらリンクの様子が見れるようになっています。託児施設があるという案内も貼ってありました。至れりつくせり!友達のルーク(仮名)は氷を作らせたら世界一の男で、このオーバルで働いています。彼はこれまではGMプレースでリンクの管理をしていて、あのザンボニーに乗っていました。氷のことはすべて熟知している人です。どの温度で氷らせて、ダメージを受けた氷上をどうやって手入れするかなどすべて知り尽くした男!このオリンピックで彼ほど需要の高い人はいないことでしょう。オーバルさん、あんな素晴らしい人をゲットしたおたくさんは幸せ者です。あっ、オーバルは人じゃないですが。



私たちがスケートをしている時も、アイスの整備で一時、リンクを出なければなりませんでした。そこでザンボニーの登場。これをすごく興奮して見ていたうちの息子達。こういうの、男の子は好きだから。写真は、ザンボニーにひきつけられた3つのおしりです。





ケンが今、スケートにはまっています。今年の1月からレッスンを始めて、週に1度のレッスンに欠かさず通っています。オーバルの大きなリンクで満面笑みを浮かべて滑るケンでした。今回がスケート・デビューとなった双子は、歩行器のようなものにつかまり、まずはアイスの上で慣れるところから始めました。こちらではスケートの時の子供のヘルメット着用は義務化されています。初めてのスケートを楽しんだ双子です。

今日は久々の動画を。

Saturday, December 05, 2009

12月になるといきなりラジオでクリスマスの曲が流れるようになりましたね。あからさまなメリークリスマス・ソングにはちょっと焦ってしまいます。せめて、あと1週間はゆっくりさせて。そのうち嫌でもクリスマス・モードにならなければならないんだから。

ジングルベルもいいけど、私が思うクリスマシーを彩るこの一曲。

Friday, December 04, 2009

この夏、我が家から引退した物を紹介します。

こうやって我が家から消えた物を見ると、少し実感がわきます。小さいと思っていた子供達も、いつの間にか成長していました。まず座っていることができなくなった!移動は小さな足で、地面を思いっきり蹴飛ばして大きなストライドで。

二人乗りのストローラーは双子が生まれた時になくてはならない必需品でした。よく歩いていた私たちはストローラーには薀蓄があります。しっかりしたタイヤがついていて、ビーチもオッケーなやつ。カナダで買うと900ドル以上もするこのストローラーは、ネットでアメリカから買うと600ドルに。だけど配達はアメリカ国内のみ。色々考えて、アメリカ国境をすぐ越えたブレインにある郵便局まで送ってもらい、私たちはそこまで取りに行きました。まだ乳飲み子の双子を連れて、1時間ちょっとで着くその町まで車を飛ばしました。郵便局で受け取ったストローラーはまだ箱に入ったまま。田舎町のあまり人の来ないさびれた郵便局の一角に少し大きめなスペースがあり、そこでロバートは組み立て説明書を読みながらがっちりしたストローラーを組み立てること1時間。私はその場で二人の乳飲み子をあやしたり、授乳したりで時間をつぶしました。真新しい立派なストローラーができあがり、その後、そこからさらに南へ20分のベリンガムという、昔にぎわっていた港町へ。アメリカの中で左派が多いワシントン州のこの町はレンガ建ての古い建物がたくさん並ぶラブリーなタウンです。一見物寂しい小さな町なのに、大学もあるので、ニューエージ思想の浸透した面白いところです。ここにある3階建ての本屋さんが私たちのお気に入り。内部は木がふんだんに使われています。床は板張り。1階にはカフェがあり、ベジタリアンや小麦粉を使わない食べ物など、ヘルシーで気の利いた美味しいものがたくさん。本屋は新しい本も古本も売っています。スタッフもニコニコとフレンドリー。私はこの本屋のニューエージと宗教のセクションをブラブラするのが好きで、あの人はもちろんサイファイセクション。双子の子育てで忙しかった私たち二人は、久しぶりにそこで少し息抜きをして、またバンクーバーへ引き返しました。帰りのカナダに戻る国境では、カナダの審査官に「何か申告するものは?」と聞かれ、「5ドルの本だけです」と大嘘こいた我ら。600ドルのストローラーなんて言うと、税金はいくらくらいになってたやら。そのためにブレインで真新しいストローラーに双子を乗せて、ゴロゴロ歩いてタイヤに少し土をつけたのです。

このストローラーで私たちは実にあちこち出かけました。エコ家族の私たちはストローラーをバスに乗せて家族5人、ビーチに行ったり、公園に行ったり、遊園地までと、あちこちに出没しました。何時間も公園で遊んで家路につく夏の午後、私一人でストローラーの双子とケンとバスに乗っていると、3人とも子供達が眠ってしまいました。バス停に着いたらケンを起こすのもかわいそうだし、かといって、ストローラーを押さなければいけないし…。そういう時には家で仕事をしてるロバートに電話してバス停まで来てもらうこと数回。

本来、双子を乗せるために購入したストローラー。さーて、みんなで散歩に出かけようと仕度してストローラーに向かうと、なぜかケンがすっかりその気になってストローラーに座って待っていたりと楽しい思い出がいっぱい詰まったこのストローラーは、やはり2歳の双子と小さな赤ちゃんが生まれた家にもらわれて行きました。

三輪車もこの夏で赤ちゃんぽくなってしまったようで、今はトーマスの補助輪付きの自転車を猛スピードで漕いでいる双子。

そのうち、我が家の成長に伴って新しい持ち主を探している少し大きな物をご紹介します。





Thursday, December 03, 2009

長男の6歳の誕生日の今日はなんだか疲れてしまいました。ドーッ。

3人のモーレツ君たちのエネルギーはエスカレートするばかり。カーチャンはこれからもジムに通っていっそう精進しなければなりません。

今日はアヴリルのこの曲が私のテーマ曲。

6年生の姪っ子もハナ・モンタナを卒業したらアヴリルに入会するのかしら。。。

Wednesday, December 02, 2009

昨日、最後のペーパーを提出するためダウンタウンキャンパスへ向かうバスの中で考えていたこと--

今晩でこの学期も終わりだ!しばらく羽を伸ばすぞー!
2月のオリンピックの仕事に集中するために1月からの学期は取らないことにしたので、これからはオリンピックの仕事に向けて少しオリンピック競技の下勉強。なんせ、リュージュとかスケルトン、カーリング、さっぱりわかりません。2月は丸々1ヶ月日本の報道チームと一緒に仕事をさせてもらえる機会をもらったことはやっぱり嬉しい。一生に一度の地元でのオリンピックですからね~。この時とばかり、愛国心丸出しで私はチーム・ジャパンを応援するぞ!ニッポン・チャチャチャと手が勝手に動いてしまう。。。一応この仕事をゲットするために数々の試験の試練をパスしたわけだ。社交辞令はうまい私。「北海道出身ですから、冬のスポーツはバッチリです」とかなんとかあくまでも嘘は言わずに売り込んで。

最近、あまり歩いていない。ジムに行ってるとはいっても、子ブタたちの送り迎えで車に乗ってばかりで以前のように歩くことがめっきり減ってしまった。寄せる年にも勝てない、なんとかしないと。。。そうだ、1月からはずっとやってみたいと思っていたホットヨガも始めちゃおう。ついでに時間もできるので、スイミングも行っちゃおう。アクアフィットもいいかな。オリンピックに向けて、自分も鍛えなくちゃ。。。なんちゃって。

2月で仕事が終わって少しお金が入る。双子のプリスクールも今回に限って1・2月のみで3月はお休み。4月からまた始まるまで何もすることがなくなってしまう。ということは…フムフムフム…シートセールで安いチケットを見つけて日本に行けるかな。ついに悪ガキ双子のジャパン・デビュー!サクラもきれいよね。

とにかく時間がけっこうできるので、たまっていた本も読みたいし。。。あー、なんてブリリアントな計画。。。そんなこと考えてるとドキドキしてきた。

教室に着いてペーパーをハンドイン(提出)して、アタソイ先生の発案でみんなでガスタウンのパブ「Steamworks」へ。そのパブには実に数年ぶりに行った私。長男が生まれる前は毎週金曜日に仕事が終わるとロバートや彼の同僚、グレッグ達と集まったパブだ。パイントサイズの地ビールがとにかく美味しいの。アタソイ先生は最後まですごいと思った。学期最後の講義の後にみんなでパブに行きましょうなんて提案した教授はこれが初めて。この先生のパワフルな講義には毎週、今日はどんなことを話すのだろうと楽しみに行ったし、学生の意見には必ず耳を傾け「それは素晴らしいポイントよ」といつもポジティブ。地中海を燦燦と照らす大輪の花のような人に見えた。ビールを飲まなくなった私が数年ぶりに飲んだsigniture pale aleもすっごく美味しかった。みんなで飲みながら、次の学期はどの講義を取るとか、あたしはこれで卒業!とか、色々話をした。同じママ学生のカーラはこれで卒業。「10年よ、卒業までに10年かかったんだから!しばらくゆっくりしたいわ」と。「あたしはコース取らないの」とみんなに言うのが、なんだか嫌だった。

帰り際、アタソイ先生と話をした。

「先生の次のクラス、すごく取りたいんですけど、なんせオリンピックの仕事が入ってるので、今回は断念します。もうフルですか?」

「次のクラスは今のクラスと似てるから、あなた大丈夫よ。もし定員がいっぱいになっても、あなたなら特別に入れてあげるわ」

そこで、突如、ポンと背中を押された感じがした。アタソイ先生は私にハグまでしてくれて、もう心はかなりぐらつき状態。パブを出る時、友達と話をしながら、今のクラスから私が知ってるだけで5人が次の先生のコースに登録したことを知った。サラも、ルイスも、ホセも。。。まじぃ?と心の中で叫んでいた。どうせなら気心知れたクラスメートとまた一緒のクラスになりたいし、今回のクラスがこれほど興味深くなったのはこういう人たちの発言を聞けたからでもあるし。そんな状態であれこれ考えながらバスで帰宅。

帰るなりロバートにこのことを話す。奴はにっちもさっちもいかない私の状態を見てクスッと笑う。次学期のコースは性別による労働不平等、発展途上国の人々、特に女性が国際資本主義によって搾取されてる状況などの講義。あー、すっごく面白そう。少し考えてみる。1月と3月は講義に出れる。問題は2月だ。シフトはまだ出ていないけど、メディアの仕事だから1日12時間労働くらいかなー。そうはいっても週に1度の講義だから、もしも行けなかったとしてもたったの4回。出される課題もテーマが違うだけで、今学期と同じもの。文献の要約2本、国際ニュースの発表、グループ発表。講義に行く間のベビーシッターの調整ができるかどうかも大きい。

今日、今のベビーシッターさんより1月は別の仕事との兼ね合いで難しそうという返事。でも、だいたい心の中で考えはまとまっていた。ロバートに状況を話す。誰も見つからなかったら、1月だけ子供達の面倒を見てくれることでオッケーをもらう。そして私はコンピューターにログインして、アタソイ先生の次のコースに登録をすませる。ホットヨガもスイミングもサクラもまたもや先延ばしとなってしまったけど、気持ちは晴れ晴れ。

というわけで、気持ちの切り替えの面白さを久しぶりに楽しみました。

2月はかなりきつくなりそう。が、なんとかなるでしょう。

Tuesday, December 01, 2009

ピカピカの1年生が板についてきたケン。このところ、家の中でも「ありがとう」を「メルシー」と言うようになったり、フレンチの成果が少し出てきたかな。

今日はケンの小学校でクリスマス・セールなるものがありました。ピカピカの1年生ママも、学校での行事はすべて新しいことばかり。聞くところによると、不用品バザーみたいなもの。生徒数600数名の家庭から不用品を学校に持ち寄ります。値段はすべての商品2ドル、本は1冊1ドル。1年生のケンは、セールがあった今日、学校に家族構成を書いた紙と人数分のお金を持って登校。このセールで優先的に買い物ができるのは在校生。体育館で行われたセールでは、午前中が子供達、午後から父兄が買い物できます。小さい学年から買い物ができる時間が割り当てられていて、1年生は最上級生の7年生に付き添われて、家族構成のリストとお金を持って体育館へ。

いったい、どんな物が売られていて、何を買って帰ってくるのやらと思いました。

私はセールを見に行く時間がなく、お迎えの時に学校に行ってみて、たくさんの子供達がいろどり鮮やかなクリスマスのラッピングペーパーで包まれた大きなプレゼントを持って歩いてるのに目が留まりました。ケンもバッグを3つ持っていました。ちなみに、ラッピングペーパーやバッグは各家庭から持ち寄り。

ケンが買ったプレゼントは。。。

ノアに-「ノアは車が好きだから」とパトカーのおもちゃ

トモキに-「我が家で今、”ピョンピョンちゃん”という名のウサギのぬいぐるみブーム」なので、もう一つのピョンピョンちゃんのぬいぐるみ。この子はにんじんを手にしています。これで我が家のピョンピョンちゃんは4つに。子供達それぞれがピョンピョンちゃんと名前のついたウサギをすでに持っていて、幸運な智樹はこれでピョンピョンちゃんが二つに。

ダディに-モノポリー(ジュニア版)
私に-ゲーム(対象年齢5才から、あっ、そうだケンは5才だった!)
この二つのプレゼントを見て笑ったこと。「なんだ、ケンが欲しい物買っただけ!」。
それでも、私たちはケンに「ありがとう!ママとダディは嬉しいよ」と丁寧に言いました。夜は早速モノポリーゲームのお付き合い。これがなかなか終わらない!

毎晩ケンに寝る前に「今日、一番楽しかったこと」を聞くようにしています。日曜日は必ず「スケート!」と答え、サッカーのある日は「サッカー」、お友達のお誕生日によばれた時は「パーティ」など、だいだいその日によって何が楽しかったかあらかじめ私も予想がつきます。

今日ケンが一番楽しかったことは「クリスマスセール」。

「ジムにすっごくたくさんの物があったんだよ。自分で選んでプレゼントを買って、自分でお金を払うのが楽しかった」と満足そうなケン。

「ママにはティー・ポットを買いたかったんだけど、壊れたら悲しくなると思って買わなかったの」
なんて優しい子供でしょう!はい、親ばかで~す。

私の買い物にもよく付き合ってくれるケンですが、きっと大人が自由にいろんな物を買っているのを見て、子供ながらに同じことをしてみたかったんだろうなと思いました。そういえば私にもそんな思い出があります。こちらの小学校ではそんなふうに小さなうちから買い物の練習をさせて、子供にお金の価値や責任感を教えてるような気がします。小さい小さいと思っていたケンもあさって6才に。

今日から12月。町はもうクリスマスの準備が始まりました。ダウンタウンではクリスマスツリーがあちこちに飾られ、近くの空き地ではクリスマスツリーの木が売られ、家々の軒先にクリスマスのイルミネーションが灯るようになりました。

今月に限ってカーチャンが使える期間限定の子供達への脅し文句。
何か悪いことをしたり、言うことを聞かない時は、「この家にサンタクロース来るかな?」。
これが効果テキメンなんざます!