Sunday, November 29, 2009

今朝は大雨と強い風。朝、ケンを小学校に送っていた時は、しばらく歩いていた足を止め、風で飛ばされそうになる傘をしっかりと握らなければならないくらいでした。が、お昼前に双子をプリスクールに連れて行く頃にはなんとサングラスが必要なくらいの日差し。バンクーバーもはまるとパラダイスですが、ダークな雨が続くと抗うつ剤が必要なところです。

このビデオを見てると、オバサンの私でもジャネットのようにダンスしてみたくなります。このビデオ、すごくカラフルで生命に満ち溢れていて、そんでもってジャネットがすごく可愛い。

10年ちょっと前、ビクトリアに住んでいた時にジャズダンスのクラスに行ってみました。その時に使われた曲がコレです。兵藤ゆき姐似のダンスのインストラクターの足取りの軽いこと。ダンスの面白みを教えてもらいました。

今学期も明日でいよいよおしまい。そしていよいよ12月。まだ冬は始まったばかりだというのに、なんだか心はステップしちゃいます。

なんて言いながらも、実はまだ明日提出のペーパーを仕上げてないので、今からまたMSワードとにらめっこ。

クラスのプレゼンで使うビジュアル探しをしていたら、コレを見つけました。英語のタイトルは「Manufacturing Consent」(1992年、カナダ)。チョムスキー先生は、現代の世界の学者の中でもっともよく引用される学者だそうです。社会学や人類学の講義ではよく引き合いに出されます。

先週のアタソイ先生の講義で。
「アルカイダって何?みんな、アルカイダがどんな組織か知ってる?メンバーは何人?2人?10人?それとも100人?誰が知ってる?」
そういえば、メディアが流す情報以外、私たちは何を知っているでしょうか?

この映画を見ると、メディアって怖いと思えるかもしれません。

Wednesday, November 25, 2009

この夏のハイライト

バンクーバーに住んでもう何年になるでしょう。初めて、バンクーバー北海道人会のイベントに参加しました。

そのピクニックには、約150名の家族連れさんが参加。中には食べ物につられて、道産子じゃない人たちもたくさんいらしたようです。食べ物はジンギスカン、イクラ、イカ焼き、焼きそば。ごはんは各自持参。札幌出身の人や小樽の人、釧路の人に会いました。中でも一番北はあたしだったかな。楽しい催し物はスイカ割りや面白いゲーム。景品は玉ねぎだったり、大袋いっぱいのキャベツの千切りだったり。南中ヨサコイソーランもよかったな。北大の卒業生が先生となり、週に3度くらい集まって練習してるそうです。ママ友とその娘が練習に励む姿は美しい。

カナダまで来てこの旗を見ると、少し胸が熱くなりました。

オリンピックまで2ヵ月半。道産子選手ガンバレ!


秋、深まり。。。

悪ガキに改心して、丁稚小僧になった元悪ガキ。

Monday, November 23, 2009




バンクーバーで最後に太陽を見たのはいつだったっけ?

青空、、、って、どう見えるんだっけ?

外は今日も雨。

こんな日々に行ってみたくなるのがあの島。飛行機降りて、汽車に乗って、ボートを乗り継いで、リュックサックをおろして、あのキッチンのテーブルに座ってシンハー・ビールを飲んでココナッツ・カレーを食べたい。そしてカードゲームやスクラブルしちゃってさ、乗り合いトラックで物見遊山で町まで行って、また帰ってきてハンモックに揺られてプカプカして。そんでもって貧弱なネコと遊んで。オウムまですごく辛いエサを食べててさ。

きっと、今も時間がゆっくり流れているあの島では、同じメンバーが待ってるんだろうな。

Saturday, November 21, 2009

今日のあがり、10ドル82セント。

その中から手伝ってくれたケンに25セントを渡す。まだ金銭感覚がないケンは、たったの25セントに「ママ、すっげーケチ」とは言わず。知らないってのはいーねぇ。まだもらっただけで嬉しい年頃。

さて、ケチなママはそのあがりで早速購入しました。先日発売になったREMのライブCD。Live at Olympia

3人の子供をすっかりREMファンにしてしまったケチなママ。

これはトンちゃんが好きな曲。

Thursday, November 19, 2009



先日、ケンの発表の「箸置き」のことをちらっと述べました(オッ、オレンジさん、リンクが入った!メルシー!)。ある日、ダウンタウンに一緒に出ていた時、ケンに聞きました。

「Show & Tellに、何を持っていくの?」

「うーん、名前はわかんないけど、うちに帰ったら見せてあげる。」

「じゃ、どんな物か説明してよ。」

「ホラ、引き出しの中に入っていて、青くて、小さいやつ。ボクが日本に行った時、優しいオニーチャンにもらった物。」

「えっ…。」

私は思わず寒くなりました。それは、ケンが生後10ヶ月の時に初めて日本に行った時、赤坂の居酒屋でウエイターのお兄さんからもらったガラスでできた青いイルカの箸置き。もらってからは引き出しにしまって、出すこともなかったのです。あの時にケンはまだ1歳にもなっていなかった。前に精神科医をしている友達の弟が、人間は2歳までの記憶は持ち合わせていないというのを聞いたのを覚えていた私は、生後10ヶ月だった時のことを藪から棒に言い出した息子にドキッ。

「日本に行った時、他にどんなこと覚えてる?」

「。。。ヤケドした。」

コレにもドキッ。これは私の不注意でケンの手にヤケドをさせて皮膚科に連れて行ったのです。

もしかして、うちの息子、あっち系の力あるの???と思ったママ。ほら、幽体離脱とか。。。リトル・ブッダが次から次へと生まれ変わるみたいな。調子に乗ったカーチャン、さらに追求してみました。

「ねぇ、ケンチャンは生まれる前は何をしてたの?」

「。。。」沈黙。迷惑そうな顔になるケン。


なんだか、そこで、「オカーサン、それってニューエージにはまりすぎじゃない?」って言われてるようで、会話はストップしました。というのがオチです。

子供の力をみくびってはいけません。

Wednesday, November 18, 2009

ここバンクーバーの我が家の近くに「SAKANAYA」という小さなお店があります。今住んでるところに引っ越す前、たまにこの店の前を車で通るたび、ここはどんなお店なのだろうと思っていました。ここに引っ越してきてこのお店に行ってみると、なんのことない日本の魚屋さんでした。バンクーバーには他にも、「肉屋」という肉屋さんや「洋食屋」という洋食屋があります(ここのカキフライ定食は旨い!)。なんてわかりやすい店名でしょう!

昨日、魚屋さんに行った時のこと。このお店の定員さんは日本人のおばさん(えっ、あたしもって?)、日本語を話す日系カナダ人のオネーサン2人、オニーサン1人が働いています。昨日は日系カナダ人のオネーサンが二人働いていました。お客さんは日本人のオバチャン1人。お刺身や魚の入ったガラスケース越しに、このオバチャンとオネーサンが会話をしていました。オバチャンはベラベラと日本語で話しかけ、それに対してオネーサンは英語で答えているのです。それで会話は完璧に成立!よく見ると二人は似ている。

「もしかして、オカーサン?」私はオネーサンに言いました。「そうです」と彼女。

「うちも小さな子供が3人いて、今のところ日本語で話してくれるけど、将来こんなふうに会話するんでしょうかね」と言うと、

「そうよ、いつもこんな感じ。お互い話す言葉は違っても、一応きちんとわかりあってるの。それにね、4年生くらいから母子の会話なんて1日30分くらい。もう遊びに夢中で。帰ってきたと思ったらすぐ出かけるし、週末は泊りがけで遊びに行くし、日本語学校もやめちゃうし…。」とお母さん。

「それにしても、日本語が上手だよね」と私が言うと、「ドラえもんで覚えたのよ」とお母さん。すると娘さんの方が、「ちがうよ、お笑いのテレビ!」と。

なんだか、数年後の我が家の母子の会話が見えてきたような気がしました。あらためて、日本語継続の難しさを実感。ケンは小学校でたくさん友達ができ、そこでの会話は英語。なのでこの頃の英語の話し方は、どこで覚えたの~?という言い回しも出てきました。この前なんか弟二人に、「Hey, guys! Cut it off!(お前ら、やめろよ!)」と。私とロバートは開いた口がふさがりませんでした。兄弟間の会話も英語が増えてきました。

日本人カーチャンはこれからも頑として日本語で通していきますとあらためて思いました。そっか、お笑いかぁ、魚屋からの帰りがけ、日本からお笑いビデオを送ってもらわなきゃと考えていたところです。

ところで私のお笑いって、明石家さんまで止まってるのですが。

Monday, November 16, 2009

プレゼンテーション

残すところこのセメスターも3週間。実は、1週間後にクラスでのプレゼンテーションが迫っている。コースの成績評価100%中、このプレゼンでの配点率30%。デカイ!ヤバイ!なのに、なんだか最近お社交モードのスイッチが入ってしまいました。11月も中旬なので、これから年末までの土曜の夜はもうすでにほとんど予定が入っています。あー、人気者のあたし。時々辛くなります。

先週の土曜日はオレンジさんと相方サンが我が家に来ました。その数日前、お店でオーガニックのローストビーフを調達しておきました。なんせ、我が家では私が肉を食べないので、ローストビーフ系のかたまり肉は人が集まらないと作らないようになっています。そして作るのは、肉を食べない私。もちろん、出す前に味見なんていたしません。料理は仕込が楽しい。仕込がうまくいけば、できた時の味もだいたいグー。今回はローストににんにくを刺しこみ、クミンやパプリカを塗り、リンゴジュースに漬けること数時間。味見は全然しない私ですが、レアに焼けたビーフはどうやら美味しかったみたいです。それにしても、オレンジさんの相方サンはアミュージングなお方でして、あっ、キャラクターって言った方がいいかな。ウガンダで国王からもらった信任状だかを持って、天皇陛下に会わせてくださいと宮内庁にタクシーで乗りつけ、門前返しをされたって。相方サンは手紙があるのに会えなかったと不満がっていましたが、いやー、物には順序っちゅーもんがあるでしょ。せめて、アポくらい取らないとね。。。天皇陛下はご公務もお忙しいようですので。相方サン、こんなのは序の口で、面白い話が次から次へと飛び出します。

日曜日もプチお社交。だけど金曜・土曜と飲んだので、休息日の日曜日は私の胃も休息日に。てなわけで、月曜日の今日、寝不足には違いないけど、なんだかすがすがしています。私もこの年になって、やっと少し学んだかな。何をだ?って?

あー、とにかくプレゼンのことを考えると憂鬱。日本語だったらとにかく、英語でやるっていうのが痛いところなんです。社会学だから、イデオロジーとか、ノーションとか、デモクラシーとか、そういった言葉を使わなければならないのです。ハリー・ポッターがやっと英語で読めるようになった私です。大仰な言葉を使うと、途中でどもるし突っかかるし。てなわけで、私がこっちでプレゼンをする時に心がけるのは、自分はパーフェクトなプレゼンができない!それなら、笑いを取ってごまかすこと!アッハッハなんです。明日はプレゼンのパートナーとの打ち合わせ。幸い、ケイトという国際学専攻のこの彼女、頭がいいし、クラスでの発言もいいことばっかり言うので彼女になんとか転がしてほしいと祈っている私。なかなか授業に出れない彼女のために、私はこれまで講義で必要な必須読み物などコマめにメールで送っていたのです。ケイトにはその度に、「あなたって、なんてワンダフルなの!」と言われ。そうです、日本には「根回し」って観念があるのよん。

こちらの学校では小学校から「Show & Tell」という発表の場があります。子供達が一人ひとり家から何か持って行き、クラスメートの前で説明するのです。それに対して、聞いてる子供達が活発に手を挙げてあれこれ質問します。1年生のケンも、毎月発表の順が回ってきて、明日は2度目の発表ということで、今晩は何を持っていくか考えなければなりません。先月は日本の居酒屋でもらった箸置き。明日は、自分の好きなものがテーマらしいので、プラレールかな。だから、カナダ人っていうのは小さいうちから人前で発表するスキルを鍛えられるわけなのだ。こうして義務教育を終え高等教育に進むカナダの子供。この年季に、日本で手はお膝に置いて静かに先生の話を聞きましょうと呪文をかけられて育ったあたしにかないっこありません。

Sunday, November 15, 2009

あれから20年

ドミノが倒れましたね。ライブで見たかった。感動を分かち合いたかったものです。だけど、毎日こうやって子供達を追い掛け回してると(子豚の群れをこっちこっちと誘導するマッド・カウ)、テレビニュースなんてまーったく見なくなりました。本当、テレビほとんど見ません。だからコマーシャルを見て、あっコレ買わなきゃ!とか、オバマ大統領があー言ったこー言ったとか、そういう惑わされる情報が少なくて、それはそれでいいのです。

今ではテレビで見逃すとYou Tubeで探せばいいや!って思える時代。テクノロジー様様です。



20年前、あたしもオネーチャンしてました。ある日、丁度この時期、地下街を歩いていて偶然高校時代の同級生に遭遇。多分、高校を卒業してから数年会っていなかったはず。高校時代は太っていて、髪もちょっとグリーシーで全然いけてなかった彼。男の子の友達はおたく系、女の子からはパシリ的に使われてたような。だけど、彼の歴史の科目に対する意気込みは並々ならぬものがあったことを覚えています。「世界史ってのは、重箱の隅を突っつくようなそんなもんなんだよ」って力説していた彼。そんな彼とばったり出会って、もともと太っていた彼は長めのモコモコしたコートを着込んでさらに太って見えたような。だけど、話し方にはすごく自信がみなぎっていました。なんでも、東欧一人旅から帰ってきたばかりということで、共産主義の崩壊をその目で見てきたと。そうかぁ、海外一人旅、しかも東欧。よかったね、やったね、となんだか自分ごとのように嬉しくなったオネーチャンでした。

あれから20年。彼の名前をグーグルで探ってみる。あまりたくさんいる名前ではないので、すぐに検索に出てくる。どうやら金沢の高校で史学を教えているらしい。あたしは思わず微笑んでしまった。20年前と変わらぬ情熱で生徒達に教えてるんだろうなと想像がつく。

そんな感慨にふけりながら、ロバートにドミノが倒れたよねって話をしてたら、「そういえばベルリンの壁の一部持ってるんだよ。どっかの箱に埋まってるはずなんだけどな」と。ロバートは壁が破壊された翌年にベルリンに行ったそう。彼の思い出の当時の東ベルリンはとてもどす暗かったそうで、きれいな花が咲き誇る西側とは全然違っていたということ。

あれから20年、歴史は刻々と刻まれている。あたしもいつか死んで、それでも歴史は続いていく。それはそれでいい。それを考えると、宇宙の偉大さを感じる。なぜだ?

Saturday, November 14, 2009

秋どすな

音楽を聴くのは運転してる時だけになったけれども(そうでもないか、うちではサンデーミュージックも聴いてるし)、秋になると探し出すこの1枚。それは、Everything But the Girl。

Friday, November 13, 2009

新型ですねん

で、うちも一応インフルエンザと新型のワクチンを子供達に接種させることにしたんです。バンクーバーでは10月下旬から年齢や持病によってワクチンが受けれるようになっていて、5歳以下の子供への接種は先週から始まりました。この新型(こっちの巷では、単にH1と呼ばれています。さぁ、今日の英会話の練習、言ってみて。エイッチ・ワン)、怖い怖いって思ってる人が多いけど、そりゃ何千人に一人とか死ぬだろうけど、インフルエンザも肺炎もそんなものでしょう。またもやメディアが作り上げたパニックですねん。

子供への接種が解禁になったその日、我が家は3人の男の子を連れて学校帰りに近くのヘルス・ユニット(日本の区民センターの一部みたいな母子センターみたいところ)に行きました。そうだ、ケンの親友のなゆちゃんも誘って行けば、注射嫌いなケンも少しはガールフレンドの前でいい顔してくれるかなと思って、コテコテの関西弁を話すなゆちゃんも誘って(そう、ここバンクーバーなんやねん)。カナダではワクチン不足だの、ワクチンを待つ行列が3時間待ちとか色々ニュースで騒ぎ立ててたけれど、あてらが行った近くのヘルス・ユニットはまず行って番号札をもらって「じゃ、1時間後に戻ってきて」と受付で言われて、それから1時間おやつを食べてなゆちゃんと遊んで、また建物に戻ってみたわけです。そこで待つことなくすぐに受付の人に先へ通されて、ニュースで言ってるわりには、やった、超スピーディ!なんてあては思いましたねん。子供達にしてみれば、なんで楽しく遊んでたのにこんなところに連れてこられたんやねんって思ったんじゃないかな。しかも、今回は子供とお年寄りが優先のワクチンだったので、大きな部屋では子供の泣き声がこだましていた!たまたまそこに日本人の父子がいて、お父さんは最初は優しく子供に話してたのが、子供が注射の番が迫ってくるにつれ泣き出す。そこでお父さんがまじになって怒り出す!なんだか日本人のお父さんが怒るところを数年ぶりに聞いちゃった。私もこのことにもう少し気を配ってたらよかったのに。。。というのは後の祭りで、その時に年の小さい3歳の双子は別室で注射を受けることとなり、私は双子と一緒に別室へ、そしてケンはなゆママにお願いしたのです。

個室に通されて、優しいコミュニティ・ナース(保健師さん)の若ママが、いい雰囲気を作り出そうと双子に色々話しかけ、「オー、いい感じ!頑張れ!」なんて私は心の中で思っていたのです。そして最初に注射を受けたのはトモキ君。針が刺さったとたん泣いたけど、すぐに泣きやむ。英語で言うところのOne done。そして次はノア。ノアは手ごわい。シャツを脱がそうとすると、「やだやだ」と袖をなかなか抜かせてくれない。そんな時、ドアがノックされてなゆママが「注射を嫌がって」ということで、ケンを連れてくる。ケンも個室に加わり、ノアとの押し問答再開。それを見て、ケンが「注射したくない!」と泣き出し、ノアも泣くしで、けっこう悲惨なことに。そこでなんとかノアに注射をすませて次はケンの番。泣きながら私の膝で注射を受けまいともがくケンを見て、一番最初に注射を終えてケロッとしていたトモキが、ケンも泣くくらいだからこれはヤバイと感じてまた泣き出し、狭い個室がしばし泣き声の三重唱。私もその時ナースにあることを言おうかと思いながら、まっ、いいかと躊躇。考えてみると、あとでそれが裏目に出たわけですが。嫌がるケンを抑えて注射を終わらせると、ナースがトモキを見て「ちょっとこの子、顔色が白いわ。あなたこの子、抱いて!」と。トモキを抱くと、もう気が遠くなってるみたいで、そこでさっき食べたおやつを吐く。私はそれを見て、ヤベッ!またこれ前と同パターンと心の中で思って。そうこうするうちにケンが蒼白になり、ナースの顔色は、、、、引きつるっていうよりパニックに!ソファにケンを寝かせて、ナースはヘルプを呼びに廊下に。若くてフレッシュなナースは、ベテランのナースを連れて部屋に戻ってきました。あー、この人、覚えてる!と思った私。ベテラン・ナースは「あっ、気を失っただけね」と動じる風でもなく、そして私を見て「あら、また、あなたね!」って。あてはその時、穴があったら入りたいと思いましたわ。

そう、2年前の再現。あれはケンが3歳だった時。注射の後で吐いて失神して、救急車が呼ばれたのです。その時に出てきたのもこのベテラン・ナースのメアリーさんだったのです。ケンは蒼白になり、私も初めての経験だったのでオロオロして、救急車が到着。大きな救命士さんがケンを軽々と抱き上げて救急車に乗った時、ママはケンがニヤッと微笑むのを見逃さなかったですぞ。救急車のストレッチャーに乗った時には顔色も良くなり、話もできるようになったケン。あの頃、ケンは救急車や消防車が大好きだったのです。救急車がサイレンを鳴らして信号無視してチルドレンズ・ホスピタルに飛ぶように走るのを感じて、ケンは満足したに違いありません。子供病院のERに到着した時にはまるで何もなかったかのようにピンピンして歩いていたケンです。数ヵ月後にナースからきちんとした検査結果が戻ってきた時には、ワクチンへの拒絶反応ではなく、ワクチンへの恐怖からの反応という結果が出ました。

だから、また今回も子供達が気を失った時には、私にはすぐにそれだとわかり、ベテラン・ナースさんも私たち母子を見て「あら、また、あなた達ね!」って、動じる風もなく。一番焦ったのは若ママナースさん。

「ごめんなさい、あらかじめ言うべきだったわ」と私は詫びて、「ねっ、今晩あなたにはワインが必要ね」とフォローを。

子供達はしばらくすると回復し、すったもんだの末、私たちは月曜の暗くなった夕方、雨の中帰路についたわけです。ベテラン・ナースより、「次回、注射に来る時はあらかじめ電話して。あなたたちには別室を用意しておくから」と皇室並みの待遇を約束されました。

ヘルス・ユニットに入るまでは、けっこう今日はスムーズに色々物事が進んでるって思っていたのが、この一件で帳消し。小さな子供が3人いると、毎日こんな感じ。疲れましたねん。

Wednesday, November 11, 2009

昨日はダウンタウンの大学キャンパスに入った途端、なんだかいつもと雰囲気が違う。なぜかイケメンが多い。ナゼ?ナゼ?と頭の中はクエスチョンマークで歩いていると、部屋案内のあるサインが目に入りました。「Gay Men's Health Summit」。Oh, I see!とミョーに納得した私。私の格言。「バンクーバーでいい男は、おうおうにしてゲイである」。

来学期のコース内容が出ていた。それによると、アタソイ先生は2コース教えている。「古典社会学思想」と「性別・労働と国際資本」。この2本立てに鳥肌が立ってしまった。最初のコースは必修科目でまだ取ってない私。2つ目のコースも興味津々。あと4コースで卒業できる私は、この2コースが取れたら来年中の卒業も夢でない!だけど来学期はコースが取れない私は、かなりガックンです。一生に一度というオリンピックの仕事があるので、大学は休むことにしたのですが。。。大学の方もなぜか来学期は特においしそう。うーん、でも一生に一度のオリンピック、そしてアタソイ先生、オリンピック、アタソイ先生、、、いったりきたりの心境です。

そういえばカナダ人の知人の妹さんが、1988年のカルガリーオリンピックの時にはカルガリーに住んでいて、長野オリンピックでは長野に住んでいて、今はカナダに戻りバンクーバーに住んでいるということで、自分が住んでる町で3度目のオリンピック。人生、何が起きるかわかりませんね。

Tuesday, November 10, 2009

今日の授業より



明日がRemembrance Dayのカナダ。道行人々は、戦争で亡くなった人々への敬意の印となるポピーをつけています。

アタソイ先生のクラスで今日は2度目のアサインメントが戻ってきました。いつも点数を見るまでは心臓がドキドキ!でも、またもやまずまずの点数でウヒョウヒョなの❤うーん、こんなところで❤なんか使うな!ですね。それだけ舞い上がっている私です。今学期も残すところあと3週間。アタソイ先生は社会学に関する並々ならぬ知識を持ち合わせる学者で、情熱いっぱいの講義には聞き入ってしまいます。だけど学生の意見にもよく耳を傾けます。この人のバイタリティはどこから来てるのだろうと思ってしまいます。

クラスも終盤を迎えると、みんな座る席も固定し、言葉を交わす学生も増え、連帯感がついてきます。私は最近スペイン人のホセ君と友達になり、ロバートと同じで小麦粉が食べれない体質の彼のために、今日は大豆粉でクッキーを焼いて持って行きました。ホセ・ロドリゲス君。いい味出してる。こてこてのラテン人なのに慎み深いところがヨーロピアンって感じ。それからトルコ人のエフ君も素敵。スラッツとした長身で、身なりもさりげないおしゃれ、Tシャツにジーンズというカナダ人とはやっぱり違う。トルコ人の女の子もいるけれど、この彼女がまたすごくおしゃれ。寡黙な彼女ですが、目の周りを黒いアイラインで囲み、今日は黒のミニスカートで颯爽と、私にしてみればミステリアスな魅力を感じます。私ときたら講義中そんな方に目が行ってしまったりしている!

今日の国際ニュースを発表したクラスメートは、先週のアメリカでの乱射事件を読みました。アメリカ人の軍属精神科医が、この乱射事件を引き起こしたことですっかり「パレスチナ系のアメリカ人、9・11の犯人と同じイスラム教会に通っていた」と、またもやメディアが、イラク・アフガン戦争への反対世論の盛り上がりを抑えるためにあたかもこの医者がイスラム主義で気が狂ったかのような報道をしたことにクラスは苦笑。矛盾その1。~系カナダ人と呼ぶカナダと違って、アメリカではいったんアメリカ人になると~系アメリカ人という言い方をせず、とにかく「アメリカ人」になってしまうアメリカで、こういう事件が起きるとすぐに「~系」というレベルが貼られてしまうのですね。13名の犠牲者が出たけれど、彼が殺した人数はこのうちの何人かまだ判明していないのです。騒ぎを抑える攻勢に出た軍関係者の弾に当たって死んだ人がいるのですから。軍属の精神科医なので、戦争の残酷さを人一倍に見てきたはずです。私たち一般市民は戦争から帰ってきた軍人達の心がどのくらい病で侵されてるか知らされていません。それを知っていたら、アメリカ主導のこの無意味な戦争を終わらせなければならないということが誰にとっても事実になるはずですが、そうはさせまいとメディアで世論をコントロールするのがアメリカ。てな感じで、このクラスというか、これまでの社会学の講義ではアメリカがでっちあげている世界覇権の矛盾を解いている感じです。

来月のコペンハーゲンでの環境会議ではアメリカはどのような出方をしてくるでしょうか。。。

Friday, November 06, 2009

母と息子

今日、私とケンの頭をよぎっていた曲それぞれ。




ケン(本当にいい趣味してるでしょ!)

Thursday, November 05, 2009



年に一度の一大イベントのハロウィーンが無事に終了しました。今年は前日まで雨が降っていたので、土曜日の夜子供達がトリック・オア・トリートに出かける時も雨が降っていたらどうしようと思っていたところ、土曜日は朝からすがすがしい秋の1日に!みんな、普段の心がけがいいんだよ。

まずは午後4時に近くの商店街でトリック・オア・トリートのキャンディを配るというので、双子を連れて出かけてみました。ケンは土曜午後は日本語学校です。グランビル・ストリートに面した商店街にはスターバックス、セブン・イレブン、動物病院、カイロプラクター、スパ、保険屋、古本屋、チャイニーズのおじさんとおばさんが経営する八百屋、デイリー・クィーン、サンドイッチ屋さん、歯医者などいろんなところが店を出しています。写真にもあるように、ウィンドーにパンプキンのシールを貼ってるところがトリック・オア・トリートに参加してるので、子供達はそのシールを探して次から次へと店舗を変えて足を進めました。小1時間歩いたところでバスケットはいっぱいに、双子は大満足!

そしてケンも日本語学校から帰り夕食をすませて、日が暮れた頃にトリック・オア・トリートへいざ出陣。子供達は朝から「まーだ?まーだ?」と楽しみにしていました。ハロウィーンの風流なところは、前日までなんでもなかった家がハロウィーンの午後あたりから次々とジャック・オー・ランタンを飾り、不気味なデコレーションを出すことです。我が家のご近所も出てる出てる。お隣さんのティーンエージャーが作ったジョーズのジャック・オー・ランタンなんて傑作です。各家庭工夫をこらしたジャック・オー・ランタンが並びました。まずは我が家が並ぶストリートをまわり、近くのChoicesスーパーマーケットまで行くことにしました。チョイスズでは毎年ハロウィーンの夜は店を閉めお化け屋敷にしているのです。そして午後7時半には花火の打ち上げ。チョイスズまでは我が家から歩いて10分くらいの道のり。だけどあちこちの家をつぶさにトリック・オア・トリートでドアを叩き、またもや1時間くらいかけてお店まで到着しました。私たちは今回初めてハロウィーンにチョイスズに行くことになったのですが、近くまで行って規模の大きさにビックリ。チョイスズ前の道は通行止めになっていて、人だかりがすでに数百人。いつもは花や果物の並ぶカラフルな店先が、この日は魔女やマリーアントワネット、スーパー・ヒーロー、はたまたマイケル・ジャクソン、摩訶不思議な空間となっていたのです。まっ、うちもハリー・ポッターを連れて行ったのであまり浮かずにすみました。ハロウィーンではかえって仮装をしてないと浮いてしまうんです。ケンの学校の友達家族やご近所さんとたくさん出会い、すっかりコミュニティ・イベントです。家族皆でお化け屋敷に足を踏み入れました。店内は真っ暗で、品物が並ぶ棚はすべて黒い布で覆い隠され、案内人に誘導されて、「お化けが起きるから静かにして」と言われ狭い通路を歩きます。突然黒い布の間からモンスターやゾンビが現れ、大人は足首をギュッと掴まれたり、拷問台など、あのお店がこんなにも変わるのかと思うくらいのお化け屋敷。双子はかなりビビッてしまったのですが、後戻りすることもできずしっかりと手をつないで最後まで歩きました。

子供達にはキャンディを入れるかぼちゃの形をしたバケツをそれぞれに持たせ、私たち親は念のためビニール袋も持参。案の定、バケツはキャンディですでにいっぱいになり、ビニール袋に移し変えそしてまたトリック・オア・トリート。おかげで我が家は駄菓子屋が開ける状態です。さて、こんなにたくさんもらったキャンディを食べきるには何ヶ月かかることでしょう。こちらではそういったキャンディを慈善団体に寄付することもできるようです。

ハロウィーンの翌朝にはまるで何事もなかったかのように飾りつけも取り外され、元の家々に戻っています。まるでお化けたちは七夕みたいに1年に一度現れ帰って行くような、そんな夢のようなお祭りなところが私は好き。