Tuesday, March 30, 2010

停滞気味のモチベーション

春が少し停滞気味のバンクーバー。昨日の一時的な豪雨、あれはなんだったのだろう?一昨日はすごい勢いで雹が降りました。なんやったんや、アレ?次は何が降るのだろう?

そんな感じで、なんだかモチベーションが上がりません。来客で忙しいここ数日、モチベーションがいまひとつなのはジムにも行ってないからだろうか。ここ数日、インターネットで見つけた昔懐かしのテトリスまでやり始めちゃった始末です。くわばら、くわばら~、モチベーションがここまで下がっているぅ。これは何とかしなければなりません。

てなわけで、今日はヘアカットに行ってきました。バッサリといきました。15センチは切ったかな。ちょっと爽快!「これ、地毛の色ですか?いい色ですねぇ」と美容師さんに言われたオバサンはちと嬉しい。

さて、これで残りの課題に取り組めますでしょうか。1本は書き終えたので、あと3本。ショーコ、頑張ろう!

私のモチベーションを上げる曲を貼り付けます。コレクティブ・ソウルの「Precious Declaration」。10年くらい前、夫と友達何人かと週末にウィスラーにスキーにちょくちょく行っていました。朝の7時頃、あたりはまだ真っ暗な時間に、夫の友人のBJがジープで迎えに来てくれて、私たちは朝のすがすがしいSea to Sky Highwayを北に飛ばしました。その時にBJがジープの中でよくかけていたのがコレクティブ・ソウルでした。あの頃は土曜日にはスキーをして、日曜日はフォルスクリークの入り江でドラゴンボートの練習。すごいモチベーションだったな~。

この曲にはなんだか、よっしゃー、やるぞー!という気にさせられます。4月がもうすぐそこです。さて、モチベーションを上げなくちゃ。

Monday, March 29, 2010

奇襲攻撃 その②

2年半前、親友の一人をガンで亡くした。まだ私たちが多感だった18-20歳までの2年間、毎日一緒に勉強し、思想を語り合い、秘密を打ち明けることのできた大切な友達だった。とても聡明できれいだった彼女。彼女は将来への夢を持っていたけれど、当時付き合っていた医学部生と結婚し、早くから家庭に入り、私が遊びほうけている間に彼女は小さな男の子二人を育てていた。医者の妻とは言っても、医学部を出てすぐのお医者さんは夜間勤務で家にいることは少ないし、お給料も少ないし、札幌から横浜に移った彼女は実家からの助けもなく、慣れない地で小さな子供を二人育てていた。

ご主人の研究に伴い、彼女は一家でヒューストンに居を移すこと数年。二人の男の子もその頃は10代の少年に成長。彼女は子供たちを学校へ送り迎えする合間に空手を習ったり、世界各地から研究で来てる家族との付き合いを楽しんでるようだった。実は彼女の若い頃の夢はアメリカへ行くことだった。彼女が描いていた夢と形は違ったけれど、アメリカで数年暮らし、彼も研究を楽しんでいてと嬉しそうにメールをくれることがあった。当時私にはまだ子供がいなく、バンクーバーでの仕事を楽しんでいた頃で、彼女は子供たちも大きくなり、なんだか人生で一番いい時期なんだろうなと思えた。

ご主人のヒューストンでの研究が終わり、再び東京に戻った彼女。新しい家を見つけて引越したかと思うと、これからは長男が高校受験で大変よと言いながらも、なんとなく余裕の感じ。日本に戻ったことで彼女の暮らしもますます安定するのだろうなと思っていたら、少し調子が悪いので検査をするとメール。その次にはガンが判明したというメール。でも、外科医の夫もいるので安心、これから治療に励むわと明るいメール。私も彼女の言葉を信じて、それほど気にはしていなかった。あるメールには、元気になることができたら、私もヒーラーになって、外科医の夫と医学部受験を目指す息子とともに、ヒーリングができたらいいんだけどと、頼もしい将来の夢を語っていた。病気になったことで多くのことを学んだと、どこまでも前向きだった彼女。2006年の大晦日に交わしたメールが最後。1月に上諏訪の温泉に行くのを楽しみにしていると書いてあった。

2007年になると、私は1歳になったばかりの双子の育児に明け暮れていた。気がついたら6月。彼女としばらくメールを交換してなかったと思い、6月下旬にメールを出した。返事はなし。またそこから子育てに忙しくなり、メールをすることさえ忘れてしまった。9月になって、これはおかしいと思い、彼女に電話しようと思った。だけど、彼女が日本に帰国してからの電話番号を聞いていなかった。そこでインターネットでご主人の名前を検索。勤務先の病院名と電話番号が出てきた。すぐに電話。バンクーバーからの国際電話ですと言うと、間もなく彼が電話に出てくれた。約20年ぶりに聞いた彼の声。落ち着いた口調。

「6月の00日に、亡くなったんですよ」の一言で、私の目から涙がこぼれた。一番聞きたくない言葉だった。奇しくもそれは、私が彼女にメールを出した頃だった。もしかしたら私がその日を選んだのは、虫の知らせで彼女が教えてくれたのかもしれない。

「1月に家族で温泉に行ってね、回復してるように思えたんだけど、3月に痛みが出てね。。。」ゆっくりと落ち着いた口調の彼。きっと患者や家族のことを第一に考えるいい医者になったんだろうなと思った。私は涙をこらえるのに必死だった。

彼のことを思うと余計に悲しくなった。彼は父親をガンで亡くしていて、母親は骨肉腫で足を切断していた。なので、一度は東京の大学に入学したものの、外科医になってガンの研究を志したいと、北大の医学部に入りなおした人だった。ちょうど彼女と彼が付き合い始めた時、彼はバンカラな北大の気風そのものの人で、ユーモアいっぱいで豪快な人だった。小樽まで一緒にドライブしたり、彼のお薦めのカフェに行ったり、若かった私たちは束の間の楽しい青春を過ごした。彼がそうして外科医の道を選んだことを覚えている私は、最愛の人をガンに奪われ続ける彼のことを思うと言葉が見つからなかった。

私のことをいつも励ましてくれた彼女。自分の夢を断念して家庭に入り、若いのに子育てに専念していた彼女のことを私は気遣ったことがあっただろうか。あの頃は自分中心の人生を過ごしていたので。双子が生まれて、3歳以下の小さな男の子3人を育てるようになって彼女のことを考えるようになった。「近くにいたら手伝いに行きたかったのに」とメールに書いてきた彼女。彼女の口調から病状はそこまで進行していないと思っていた私は、時差もあったので電話をしようとすら考えつかなかった。

結局、彼女には励ましてもらってばかりで、私は最期まで何もしてやることができなかった。そもそも入試の時に同じ教室に座った時から私は彼女に目をつけていた。華のように可憐で、くりんくりんのカーリーヘアで、少し挑戦的な目つきで。みんなが解答用紙に鉛筆をガリガリ走らせる静かな空間で、彼女は居眠りをする余裕すら見せていた。ふざけた人だなーと思った。そんな彼女と入学式でまた出会い、私たちはいつしか友達になっていた。20年以上も昔のことだ。

彼と電話を切ってからしばらくの間、一人で思いっきり泣いた。しばらく夜も眠れなかった。一人だけになれる車の運転中にもよく泣いた。このことがあってから、何年間も日本の友達と連絡を取ってなかったことに気づき、モーレツに昔の友達に会いたいと思うようになった。誰もが元気でいてほしいと思った。

昨年からまた少し昔の友達とサイバースペースで再会できるようになったことが嬉しい。みんなそれぞれ、10代の時には思いもしなかったような道を歩んできて、よく頑張ったね~と褒めてやりたい。気がつくとそんなふうに思えるようになる年代になっていた。

人生まだまだこれから。私は、これからも奇襲攻撃を続けます!

奇襲攻撃 その①

先日、思い立って高校時代の同級生のハイ・テールさんに電話をしてみました。東京への国際電話。別に用事はなかったけど、20年近く話をしてなかったので、なんだか元気かな~と思って。東京時間の土曜日の真昼なのに、ハイ・テールさんはお仕事中。まっ、彼の場合は仕事は趣味と実益を兼ねて楽しんでるようなのでいいのですが。

「ハイ、もしもし」とさわかに少し営業気味の声で電話に出たハイ・テールさん。オーッ、ずいぶん大人になったもんだと感動した同級生。「誰かわかる?」と言ったけど、「ハー、誰でしょう~?」と、もちろんわかるはずないか。でも、私だということがわかると、「わー、お前だったか~」みたいな感じで、20年近くの時間が少し縮まった気がしました。国際電話だってのに、誰はどこで何をしててとか、地元の話をとりとめなくあれやこれやと。電話を切った後、こういう奇襲攻撃をこれからもっとやっていかないといけないなと思いました。

実は電話はあまり好きじゃなく、必要最低限しか使わないのです。携帯も持っているけれど、鳴っても相手が誰かによって出るようにして。とくに私は電話が鳴る時に限って、家の中でも外でも子供たちの面倒をみてたり、掃除・洗濯の最中だったりすることが多いので、親しい友達からの電話にも出なかったり。子供たちが大騒ぎしてるのをBGMに電話で話すのも落ち着かないのです。だからここ数年、コミュニケーションはもっぱらメール。だけど、この姿勢を変えなければならないと思っています。

Friday, March 26, 2010

粘土の学校

毎回、クラスが終わるたびに「今日はどんなことしたの?」と聞いても、「知らない」とか「忘れた~」で何も教えてくれない双子。トモキは教室に入ると水を得た魚のように粘土の塊を手にし、一心にコネコネを始めます。ノアは2週目で「ボク、粘土の学校キラ~イ。行きたくな~い」と言い出す始末。そこをなんとかおやつで釣って、無理に行かせていました。でなければ、トモキは一人じゃ行きたくないと言うのに決まっているから。

双子が「粘土の学校」と呼んでいたところは、実は子供向けの陶芸教室で、1月から週に1度通っていました。とにかくトモキは手を使って遊ぶのが大好きで、家では四六時中ぬりえか粘土遊び。ヨーグルトもスプーンを使わず手で食べます。わけがわかんない我が家のちびっ子芸術家。将来は東京のハイ・テールさんに粘土留学をさせてもいいかもしれません。トモキは、日がな一日ミニカーで駐車場を家中のあちこちに作っているノアとは正反対。そんなトモキの芸術熱を少しは引き出してやりたいと、カーチャンはトモキを陶芸教室に入れてみることにしました。かといって、いくら粘土が好きでもトモキは、「ノアが行かないならボクも行かない」と言うのが双子の弱いところ。なのでまったく性に合わないことは知っていながらノアも付録で付けることにしたのです。

対象年齢が3-6歳のこの教室では、小さな子供が手や髪の毛、服の袖を粘土で汚しながら楽しく遊びます。意外なことに、先生の話ではノアもある程度までは楽しんでやっていたとのこと。飽きると入り口にあるベンチに行って一人でおとなしく座っていたとか。あのノアも落ち着きが出てきました~。まだ子供といっても、たまには「動き」のある遊びを少し置いといて、落ち着いて何かと向き合うことは心のあり方にとてもいいことだと思います。その点、粘土や陶芸は集中力を養え、言葉にはならないイマジネーションをフルに引き出すことのできる素晴らしいチャンス。ちびっ子達よ、ガンバレ!

そして陶芸教室が終わり、今日もらってきた二人の作品。ワオッ!!驚き。こりゃ、刺身の醤油受けにいいですね。

Thursday, March 25, 2010

ゴールド



コカコーラがこんな風にカナダではお色直しされました。なんか、金を使うと、日本では名古屋人が好みそうですみゃー。名古屋県民さん、いまだにミャーミャー言ってみえますか?

なぜコカコーラがこんなになっちゃったかというと。。。

それはこちらです。



「祝・金メダル!カナダ・ホッケーチーム」というわけです。

しかもカナダだから英語とフランス語表示です。すごいっしょ。

オリンピックでホッケーの会場となったバンクーバー・カナックスの本拠地GMプレースは、オリンピック期間中は「カナダ・ホッケー・プレース」に名前が変わり、電車のアナウンスもそのようになっていました。オリンピックが終わり、また元のGMプレースに名前が戻され、遠征ゲームが続いていたカナックスもホームに戻ってきました。が、巷ではGMプレースが今では「Gold Medal Place」と呼ばれているとか。こりゃうまい!座布団一枚あげたいですね。

オリンピックがなんだか遠い昔に思えるこの頃。

Wednesday, March 24, 2010

お駄賃



ドミニクっていいましてな、友人の猫でそりゃつまんないヤツがいるんです。ニコリともしなくてな、ペルシャ猫みたいに毛が長くて気取ったヤツで、間違って踏んづけてしまってもシャレの一つも言えんようなヤツです。あっ、言っときますが、あたしは猫評論家です。これまでの人生で何十年猫と暮らしてきたでしょうか。

友人がホリディで出かけるたびにドミニクはうちにホームステイに来るんです。友人にしてみれば目に入れても痛くないような可愛がりようでな。ほんと、ようわかりまへん。うちに来たら子供たちからぬいぐるみ扱いされてます。ほんま、損する猫でんな。

毎回な、友人がホリディから戻るたびにドミニクと引き換えに、お駄賃持ってきてくれるんです。

今回は8年物のバカルディのラムでした。喉元おりる時、なんやら柔らかいまろやかな味します。

役得ってやつかいな?

Tuesday, March 23, 2010

ジョン・ピルジャー

昨日の糞まみれから一転して、今日は社会派でいきます。

ジョン・ピルジャーは私が尊敬するジャーナリストです。世界で起きている様々な問題や不正を鋭い角度でえぐります。イギリスのジャーナリスト・オブ・ザ・イヤーを2度受賞しています。彼が作るドキュメンタリーは、見終わると思いっきり考えさせられます。メディアが描き出さなかった新事実をもたらしてくれます。あのノーム・チョムスキー先生がピルジャーのことを「暗い時代において、ピルジャーの仕事は光の導きのようなもの。彼がもたらした現実はいくつもの啓示であり、彼の勇気と洞察はたゆまぬインスピレーションである」と讃えました。

日本語の字幕付きのクリップを見つけました。ちょっと長いけど、見て考えてください。



Monday, March 22, 2010

糞まみれ。。。

今月4歳になったばかりの双子は、3歳になった頃にはパンツをはいて自分でトイレに行って頑張っていました。今日もトモキがトイレに座ってしばらくしてから、「ボク、トーマスに座りたい!」と、勝負はやっぱりトーマスの便座でつけたい様子。大人サイズの便座はまだ子供の小さなおしりには大きすぎるようです。大人が座るトイレで足をぶらぶらさせながら座って用を足そうとしても、力みがきかないので肝心な勝負もつきません。

トモキにトーマスの便座を渡した時、ある思い出が甦ってきて少々ムカついたカーチャン。

それは昨年の夏のこと、夫が友達に面白おかしく話していたこと。

「それがさぁ、あの細い両腕を思いっきり突っ張って、ウーンって唸りながらやってるんだよ。小さな尻がトイレの半分まで落ち込んでるんだ・・・」

夫はさもおかしそうに子供のいない友達の前で話をしているのを聞いて、すぐに耳をそばだてた私。聞いているとトモキのこと。昨年の夏はよくビーチに行き、子供たちはトイレに行きたくなるとそこに設置してある簡易トイレを使いました。夫が話していたのはそこでの出来事。簡易トイレなので、便座は少し高めに設置してあり、水洗ではないので汚物がすぐ下の目に見えるところに迫ってきています。皆さん、この状況、おわかりですね!トイレトレーニングができあがり、小さなトモキはそんなところでも一生懸命頑張っていました。私も何度か子供たちを簡易トイレに連れて行き、そういう時は子供たちができるだけ汚いトイレ内でへんなところに触らないよう、転んだりしないよう注意していました。

夫はというと、トモキが一生懸命小さな両腕を突っ張ってトイレに落ちないよう頑張ってる姿を、面白おかしく他人に話しているではないですか!そんな無責任な夫に言いました。

「どうして自分の子供が一生懸命やってることをそんなに面白いことみたいに話せるのよ!もしも、トモキがそんな時にトイレに落ちたらどうするのよ!面白いどころか、それこそ大惨事になるじゃない!」

夫の弁解。。。もしトイレに落ちたら、手を伸ばしてトモキを引っ張り出す。「じゃ、トイレが深すぎて手が届かなかったら?」と言うと、「その場にある木の棒か何かを差し出して、トモキを引っ張りあげる」と。考えただけでめまいがしそう。「木だって、そんなにいつもあるわけないじゃない?」と言うと、「その場合は、トイレを押し倒してトモキをトイレの底から引きずり出す」と。そんな超人ハルクまがいなことができるはずがない!と怒った私。簡易トイレだって何個かくっついてるのもあるし、キャンプ場なんかだったりすると、トイレは地面に打ちつけられています。どこまでもふざけた夫。子供のことをまともに考えているのでしょうか!

このことを考えるたびに思い出す光景が、昨年アカデミー賞で健闘した「スラムドッグ・ミリオネア」。主人公の健気な男の子ジャマールがトイレに落ちて、糞まみれになりながら大スターの写真を高々と差し出します。その大スターとは、後に青年になったジャマールが出場するクイズショーの司会者ですっごく嫌なヤツ。

あの天使のようなトモキが糞まみれになることを考えただけで。。。悪寒がします。それにしてもどこまでもふざけた夫にムカつく私。もちろん、起きてもいないことだけど、こんな夫に3人の息子たちを立派に育て上げることができるのでしょうか?

やっぱり、大黒柱の私がこれからも目を光らせてなければならないってこと?

Saturday, March 20, 2010

Life begins when expectation ends



5年ぶりに運転免許証を更新し、先日新しい免許証が届きました。BC州の運転免許証は更新するたびにデザインが変わっています。モダンですな。

ところで、免許証と一緒に何やら写真の書面が入っていて目を通しました。

「あなたが死亡した場合、臓器提供に同意しますか?」の質問で始まり、答えが「イエス」の場合、さらに細かく3つの質問。
a)臓器提供のみに同意、b)臓器提供と遺体の生体研究に同意、c)臓器移植の場合に提供する臓器名となっています。私はずっと臓器提供を希望してきましたが、今回は少し質問が突っ込んできていた。

いくら死んでるとは言っても、自分の体を生体研究に使われて、あちこち切り刻まれるのもどんなものだろう~とか、ホルマリン漬けにされるのもなんだかいやだな~と、そこまで親切心を持たなくてもいいかと思い、結局は臓器提供のみにチェックマークをつけて返信しました。自分の臓器を誰か必要としている人に移植されて、その人が良い人生を過ごせるなら、こんなに嬉しいことはありません。

死は怖いことなのかもしれませんが、たまにはそれを考えることがあります。変なヤツだと思われるかもしれないけど、まず、自分が死んだら、宗教形式ではなく、お別れの会をしてもらいたいこと。私を知ってた人に来てもらい、パーティ好きの私らしく、美味しいものと飲み物で私の思い出を話して盛り上がってもらいたい。歌もダンスもあり。お墓よりも、遺灰は日本とカナダの中間の太平洋にでも撒いてもらいたいな~。こうやって私の希望をあらかじめ知ってもらっていたら、周りも困らないのではないかと思って。

ここ数年で親しかった友達が二人若くして逝ったり、知人だった人達が不慮の事故で亡くなったりしたこともあり、死を考えることが出てきました。それにつけて思うのは、自分が死と直面する時に恐れや後悔を感じたくないこと、そのためには毎日の暮らしをよく生きていかなければならないと思うようになりました。

「死を受け入れられる人は、そのうち人生が宝物だということに気づくだろう」
友達のルイス君がこの前Facebookにコメントしてた言葉です。若いのに感心。私もこの言葉に同感です。

インドの哲学者のシュリ・チンモイが言った、私が胸に掲げている言葉があります。
「Peace begins when expectation ends」
これは、人々の心から期待感が消えると、心の中に平安が生まれるということです。私もこの言葉に出会うまで、いつも心の中で「これはこうあるべきだ」とか「自分はこれを所有することができたら幸せになれる」とか、「あの人が自分にこれをしてくれたらとか、こう言ってくれたらいいんだけど。。。」などと、絶えず何かを心の中で期待、計算していました。それがかなわないと怒りがこみ上げてきたり、物事がうまくいかないと思ったり、心のありかたはすべて期待感に左右されていたのです。この言葉と出会った頃、自分の中ですごい変化が起きていて、人生が変わる経験をしていた時期でした。その時、ちょっと心の改造をしてみたのです。心の中に期待を作ることや、物事への執着を減らすように努めることにしました。その代わり、物事をありのままに受け止めることにしてみたのです。そうすると、自分は一人で生きてるのではないという、セルフィッシュな感覚が取れ、周囲の人達やこれまで関わってきた人達、見ず知らずの人達から助けられて、自分のいる環境の中でいろいろな偶然が働きあい、生かされているんだということにも気がつきました。これまでの物の見方、人生観が大幅に変わりましたが、生きることがとてもラクになりました。

こんな感じでここ10年ちょっとやってきました。本当はもっともっと瞑想のできる時間がほしいけど、ヤツらがカーチャンを求めているうちは、まだそこまでいってません。焦らずにその日が来るのを待ちます。

Thursday, March 18, 2010

ノルウェーの森に遭遇

日本がカナダを破って決勝へ!大快挙の日でした。もちろん、パラリンピックのスレッジホッケーのことです。

スレッジホッケーと今日のブログのタイトルが全然つながんない?そうです。つながっていません。なので読み進めていってください。

実は今朝、ケンのクラスメートの親御さんより、今日の日本・カナダ戦、アメリカ・ノルウェー戦のチケットを2枚ずつ頂いたのです。日本の試合は午後12時から。アメリカ戦は夜7時から。もちろん行きたかったのは日本・カナダ戦でしたが、突然チケットを頂いた上、しかも今日は双子が家にいる日なので、ベビーシッターがいない。いくら双子が二人で一人扱いされてるからって、まさか2席しかないところに3人で行くのもボケすぎていますな。なので、すごくすごく日本を応援したかったけど、断念。

というわけで、午後7時からのアメリカ・ノルウェー戦にケンを連れて行ってきました。いろんな物事に興味を持ち出した1年生です。今回のオリンピックとパラリンピックに関しては小学校の授業で色々学びました。パラリンピックの種目にはスレッジホッケーというのがあるということを知り、家でもYou Tubeでスレッジホッケーを見ていて、「ボクも試合を見たいな~」と何度か言っていたので、頂いたチケットはまさにドンピシャのタイミング。実は、チケットをくださった家庭のママはバンクーバー五輪組織委員会の役職の人なのです。私も今回は家族とオリンピックを楽しむことが全然できなかったので、今日はケンとパラリンピックを楽しめるこの上ないチャンス。

UBCのサンダーバードアリーナに入った時は、オリンピックの感動が甦ってきました。大小様々な大きさのノルウェーとアメリカの国旗が会場ではためく中、選手への大声援、お馴染みのマスコットキャラクターが巨大スクリーンに登場し、今日も盛り上がりました。たまたま昨日、結婚してノルウェーに住んでいる友達に数ヶ月ぶりにメールを出した偶然もあり、私はノルウェーの応援。こういう不純な動機でとことんアンチ・アメリカを続ける偏見に満ちた私です。多くのアメリカ人はいい人なんですけどね~、アメリカ政府への反感は募るばかりのこの頃。だって、国民皆医療保険が受けられない国ですよ。貧乏人は死ねってことですよ。。。あっ、この話題はまたいつか。

実は今回がまったく初めてのスレッジホッケーだった私。テレビで見たことすらありません。6歳の息子はすでにスレッジホッケーがどういうものかを知っていて、「あれは2本のスティックみたい物を使って氷の上を滑って、1本のスティックでパックを打つんだよ」と、にわか事前講習を受けました。なるほど、まさしくその通り。スレッジに体を固定して、リンク上を2本のスティックをスキーのポールみたいにうまく使って選手達は力強く滑ります。スレッジの下はスケートのようになっています。スケートは2本足で滑るけれど、スレッジは刃が1枚。その上に選手達は座ってうまくバランスを取って縦横無尽に広いリンクの上を駆け回ります。選手同士の体当たりもホッケー並み。転んだかと思うと、すぐにバランスを立て直して起き上がり。その姿に感動です。選手達のほとんどのコンディションは、片足がないとか、腰から下の部分がないとか、両足の膝から下がないなどです。スティックを使って氷上を駆け回る選手達は、ものすごい腕力に違いありません。観客も盛り上がりました。私とケンが座ったのはノルウェーのベンチの真裏。お客さんはノルウェー・ファンです。「レッツ・ゴー・ノルウェー・レッツ・ゴー!!」の大声援。アメリカ・サポーターも負けずに「USA!USA!」の大コール。スポーツは誰にだってできるチャンスがあることをこのゲームを通して知った気がしました。

結果はアメリカが3-0で勝ち決勝に進出。日本と対戦です。これはまた盛り上がるわね。お昼の日本・カナダ戦では着物ギャルも応援していました。

今日はケンも念願のスレッジホッケーを見て大満足。こういう時に限ってカメラを持っていかないアホなカーチャンです。子供の学校の行事にもカメラを忘れることがあるし、持って行ったとしても電池が入ってなかったとか。

では、アメリカ批判はまたいつか。

ピンバッジ狂想曲~小学生編 

同僚のオレンジさんはパラリンピックでもボランティアとして活躍しています。オレンジさん、長期戦でお疲れ様!

オレンジさんが先日のブログに「ピンバッジ狂想曲」を書いていました。まさにその通りで、私もピンバッジのトレードで一財産築き上げました!!テレビ東京のポケモンバッジは80ドルくらいでeBayで売られています。それにしても、人気の的だったスターバックスのオリンピックバッジを、東京に帰る直前のチーフプロデューサーのH氏にあげてしまったことに少し後悔。。。打ち上げの席で「ボク、今回、バッジは全然もらえなかったんですよ~」の一言に、咄嗟に首からぶら下げていたスタバのバッジをあげてしまった私。スタジオに朝から晩までこもりっきりで、せっかくのオリンピックだというのに外の現場に出なかったH氏が不憫に思えて、すかさず自分が持っていた稀有なバッジを差し出した私。私もこう見えて任侠の女なんですよ。あー、酔うと気が大きくなっちゃうのよね~。トホホ。

オリンピック期間中は子供たちにほとんど会えませんでした。朝、出かける前に小1時間、子供たちが家の中でうろうろしてるのを横目で見ながら私は出かける準備。毎晩家に戻るのは子供たちがぐっすり寝ている夜も10時過ぎのこと。オリンピックが終わり家にいるようになって気づいたのは、子供たちなりにオリンピックを楽しんでたということ。ノアは「ゴー・カナダ!!」と言いながら自分で作ったメープルの旗を振り回してるし、ケンの通学用のバックパックを見てビックリ。ダウンタウンで見かける人がカバンにつけてるくらいのオリンピックバッジをバッグパックにつけてるではないですか。もちろん、ケンが一番好きなキャラクターのマクマクもです!ケンのクラスの子供たちもそれぞれバックパックやジャケットにオリンピックバッジをつけています。小さいながらも子供たちの誇らしげな表情に嬉しくなりました。

子供たちが大きくなってからも、バンクーバーオリンピックの感動と興奮を覚えていてくれたらと思います。


Wednesday, March 17, 2010

そろそろ





おかげさまで、あの二人も3月3日のひな祭りの日にめでたく4歳に。元悪ガキだった双子が、晴れて「ボーイズ」に改名しなければならない日が来ました。あの毎日が闘いだった日々が今となっては懐かしい。いや、そんなことないか。家の中の物をいくつ壊されたことでしょう。家中の床をどれだけ拭いたことでしょう。オムツは何千枚替えたかな~。

物事の聞き分けがかなりできてきた双子も、まだ散らかし放題の毎日です。毎日二人で遊んで、笑って、いたずらをしての日々が二人にはものすごい栄養のようです。

いつも一緒の双子とは言っても、実はあと1分トモキが早く生まれてきてたら誕生日が別々になっていました。トモキが生まれたのは3月3日午前12時1分、ノアはその14分後にこの世に登場です。なのでトモキがあと1分早く生まれていたら、双子の兄弟は誕生日が異なっていたのです。たまにそういう双子がいるそうです。中には、双子なのに1週間誕生日がずれているとか!





今晩提出の課題もなんとか終わり、少し一息。ちょっと気持ちの切り替えができそうです。まるで、今学期が終わったかのような気がしていますが、実はまだ課題が1本残っている。今度は12枚のペーパーです。

でも、今日みたいに雲ひとつない青空が目の前に広がっていると、目先の難題も吹っ飛んでしまいます。春の力ってこれですね。日本では3月は卒業や異動のシーズンで、4月は入学式。季節感を前に出すメリハリのあるところが日本の情緒だと思うのですが、カナダではそんな情緒がまるでなし。そういえば今日はセント・パトリックデーなので、外に出るとみんな色とりどりの緑で着飾ってるはずだし、街中が緑色の物で溢れているはず。セント・パトリックデーの次はイースター。店という店はウサギとチョコレートでできた卵商戦に変身です。情緒感がないのは、イベントそのものを祝おうというより、商戦に偏ってしまったからでしょうか。

ではここで長らくご無沙汰していたダライ・ラマの「人生の指南書」の続きを。

●自分の知識を他人と分かち合うことが、永遠の生命につながる
●地球に優しくあれ
●年に一度、これまで行ったことのなかったところに行くがいい

子供たちがこの1年でまた成長してくれて、なんだか今年は旅が再開できるかなと思えるようになりました。

2006年夏にトロントに行ったのが最後。当時、双子はまだ生後数ヶ月の赤ちゃんで、ケンは2歳でした。たった5時間弱のフライトが私たちにしてみれば永遠に感じる戦場に。双子はオギャーオギャー泣くし、自分の席に座っていたケンは私たちが生後間もない双子を抱くのでジェラシーで大泣きし、滑走路を動き始めた飛行機でシートベルトを外して歩き出す始末でした。飛行機が水平飛行に入ると、知らない人からおやつをもらったり、やさしい男の子がケンにぬいぐるみを貸してくれたりと、私たち家族は周りからの同情を一心に得るかわいそうなファミリーに変身。その時、小さな子供が3人に対し親が二人という組み合わせが、思っていたよりずっと大変なことに気づきました。そして私は、「今後数年、旅は御免!」宣言をしました。その言葉通り、それ以来、飛行機には乗っていません。

あれから4年。

2010年、そろそろ始動してもいいかな。

*写真は上から2007年の夏、外で水遊びをしていたまだ赤ちゃんぽい体型の双子。ノアが壊したランプ。
2009年秋、落ち葉に喜ぶ元悪ガキ。毎日飽きもせずミニカーを並べるノアの作品。

Friday, March 12, 2010

カオスさんへ

骨付きカオスさんは高校時代の同級生。当時から魂のロックを歌ってる人で、昨年、20数年ぶりにブログで再会。今も東京でロックしてることを知って私の心は熱くなりました。ニール・ヤングがカナダの鬼才なら、カオスさんはロック界のヤマトかな。

で、カオスさんの最近のブログは「卒業」がテーマでありまして、咄嗟に思い出したのがこの曲。

”学校は卒業したけれど、
ハッピーバースディは重ねてるけれど、
何を卒業したというのだ”

これはRCサクセションの仲井戸麗市が初のソロアルバムを出した時に収められた曲。

カオスさんのブログを読んで「卒業」ということをあらためて考えてしまいました。一人の人間が何かから卒業することってあるのでしょうか。

今日は金曜日、雨降りのバンクーバー。来週水曜日提出期限の課題に向けて、刻々と時間が過ぎていきます。カオスさんのブログからこのビデオを探し出し、ちょっとゆっくり座って見入ってしまいました。草ッ原の白樺の木陰のこのシーン、夕方っぽい日差し、いいねぇ。今は亡きキヨシローがギターとハーモニカを黙々と奏でています。

ちなみに、カナダでダラダラ大学生活を続けている私も、あと3科目を履修すると卒業というクライマックスにきました。

卒業したら、何しようかな~。

カオスさん、これからも心の詞を書いていってね。


Thursday, March 11, 2010

ゴードン・ライトフット

バンクーバーオリンピックの閉会式では、カナダの鬼才ニール・ヤングが聖火の火が消える時に聖火台の前で歌いました。「Long May You Run」。良かったですね~。あのシーンにオヤッ?と思ったのは私だけでしょうか?カメラはずっとヤングにあてられ、突然カメラが聖火台に移ったかと思った時にはすでに聖火が消えていた!世界中の視聴者が聖火が消えるその瞬間を見逃してしまった。えっ?こんなことありと思ったのは私だけ?隣に座って一緒にモニターを見ていたこの道10数年のベテランプロデューサーのE氏、「うわー、こいつらのカメラ下手~」と苦笑。

ケンがここ数日、あるメロディを口ずさんでいます。最初はまさかと思ったけれど、今日、確信。それはニール・ヤングと並ぶカナダの巨匠シンガーソングライター・ゴードン・ライトフットの「If You Could Read My Mind」(1970年)。最近どこかで耳にした曲に違いありません。それにしても我が子、いい耳してる~。

さて、私は来週提出期限の課題に取り組んでおります。取りたくない電話は取らず、メールの返事も出してないこの頃。あと数日で髪の毛振り乱し状態に!



Sunday, March 07, 2010

オスカーの夜

今、アカデミー賞を見ているところ。

カナダでの冬季オリンピックが終わったと思ったら、今度はアメリカでのアカデミー賞。イベントが目白押しですねんなー。これが終わると、次のイベントは17日のセント・パトリック・デイどすえ。緑色のビール飲まなあかんな。

例年2月末に行われるアカデミー賞は、今年は冬季オリンピックの閉会式と重なるため、1週間延ばされました。助演女優賞を取ったアメリカの女優がスピーチの最後に「ゴッド・ブレス・アス(God bless us)!」と言ったのを聞いて、あー、これってアメリカのイベントやね~と思いました。「ゴッド・ブレス~」という表現はアメリカ人がよく使います。あてらカナダ人は使わんな。アレック・ボールドウィンとスティーブ・マーティンのダブル司会、なんだかおもしろくねぇじゃん。ブー。

今年は作品賞に10作がノミネート。すごい争いになりそうだけど、「アバター」がどこまで取れるかが見どころかと思っていたら、ジェームス・キャメロンの元妻の「The Hurt Locker」が健闘したですな。これまで聞いたことがなかった映画だけど、今になって見たいと思っています。

映画って面白いですね~。

今日こそ淀川長治調に、

サヨナラ、サヨナラ。

Saturday, March 06, 2010

バンクーバーオリンピック総集編

予告どおりのバンクーバーオリンピック総集写真集です。

まずはキャプションから。

●メディアセンターが置かれていたバンクーバー・ニューコンベンションセンター。ここで私は仕事していました。そして、聖火台はこのすぐ横。息抜きを兼ねて、期間中は毎日バルコニーまで聖火を見に行きに。

●バルコニーからは聖火はすぐ目と鼻の先。一般人は頑丈に建てられたフェンス越しに聖火を見なければなりません。メディアセンターで働く人々は、ちょっと特権。。。

●オリンピックのマスコットの一人、ミガ。

●バスもこんな感じ。

●ナイキのポスター。イギンラと並んで写っているのはカナダ女子ホッケーチームのエース、ジリアン・アップス。親友キャシーの姪で、今回も選手村で激励できた!

●言うまでもなく、ロシア代表としてフィギュアスケート・ペアに出場した川口さん。

●ダウンタウンをコーヒーの試飲で歩いていた「Far East Cafe」のクルー。

●選手村のイタリア選手団が住んでたあたりと、青いジャケットで粋にきめるイタリア選手団。

●通りがかったテレ朝前で。テレ朝って、鳥越キャスターでしたっけ?一服してる鳥越さんを見た覚えが。。。

●男子ホッケー決勝後のカナダチームをテレビから。ゴーリーのルオンゴがいい顔してる~!

●ホッケー決勝は午後12時から。午前中はダウンタウンのテレビがあるレストランやパブは朝から行列が!国家の威信をかけたホッケー人気はただごとではない。カナダ人を怒らせるとフーリガンになります。

●マスコットの一人、マクマクはギューギュー詰めに。4人の中で一番人気があったとか。


























































Thursday, March 04, 2010

歴史がバンクーバーで作られた!

熱い17日間が終わりました。熱くて熱くて、雪も解けちゃったし、桜も満開、どーなってんだバンクーバー?!

今まで見たこともない豪華絢爛な大花火大会が終わってしまったような。。。あれだけ連日夜中までにぎわっていたバンクーバーが一気にもとの静かな街に戻り、道行く人達は何もなかったかのように歩いています。仕事が終わった私も今週になって毎日家にいますが、今日からやっとフツーの生活モードに戻れた感じ。3週間ちょっと毎日休みなしで10時間前後仕事してたのですが、仕事がなくなった今、なぜか朝ピタッと起きれない。エッ、菜穂子、これが燃え尽き症候群ってやつ?

それにしても、閉会式まで目が釘付けになったバンクーバー・オリンピックでしたね。あの男子ホッケー決勝。日本では朝5時のゲーム開始で、どれだけ見た人がいるかどうかわからないですが、こちらは視聴率が80%くらいだったのではないでしょうか。世紀のゲーム。カナダの歴史がここバンクーバーであらたに作られました。

決勝の数日前に行われた予選のカナダ対アメリカ戦。私のオフィスはアメリカNBC放送と隣接していて、アメリカがスコアを決めるたびに隣のオフィスからは割れるような怒号が。。。この時ばかりは平和主義者の私もバズーカで打ってやりたい!と思ったほどです。

そして決勝戦は、ゲームがあと30秒で終わろうとしていた第3ピリオドの19分35秒までカナダが2-1でリード。カナダはあと1点なんとか欲しいところだと思っていたら、いやな予感は当たるもので、土壇場でアメリカがスコア。2-2の同点に。この時点で私の心臓は飛び出そうに。同僚のKさんはもう見てられないとオフィスを出て行ってしまいました。負けたら外は暴動だなという思いが少し現実的に。そんな感じで延長戦が始まりました。

延長のサドンデス。。。ここで、カナダの歴史が作られた!イギンラのアシストで、得点を決めたのは我らのエース、クロスビー!その瞬間、カナダ中がこれまで誰も見たことがないような歓喜に包まれたのです。そして、街中、祝宴は夜中まで続くことに。これほどカナダ人が喜ぶところ見たことなかったです。どこもかしこもメープルリーフの旗で埋め尽くされ、ふだんはまとまりのない国が、ホッケーで国が一丸となってしまった。大相撲にはこんな力ないでしょ。いくらイチローが頑張ったところで、日本はここまでまとまんないよな。だから、日の丸ってなんなのよと思えますね~。

国別メダル獲得数で1位を狙っていたカナダは、アメリカのメダル数には追いつかなかったものの、14個の金メダルは冬季オリンピックで国別金メダル数の新記録を作りました。3度目の自国カナダでのオリンピック開催にして、初めて勝ち取ったビロドー(フリースタイル)の金メダルから始まりました。これも歴史に残った瞬間。

閉会式も良かったですね~。バンクーバー五輪組織委員会のファーロング会長のスピーチはスタンディングオベーションも出るほど。オリンピックの心をあちこちに散りばめたスピーチでした。なんちゃってメディアクルーになっていた私はところどころ涙しながら聞いていました。私は特に、「これからはどこに住んでいようとすべての子供たちにスポーツができる環境が与えられるように」というくだりにとりわけ胸打たれました。スポーツっていいですね~(淀川定治調に)。

日本ではオリンピック総集編が放送されている頃かもしれませんね。皆さん、この感動をしばらく胸に抱き続けましょう。

下の動画は、金メダルの瞬間をタイムリーで撮ったものをYou Tubeで見つけました。あの瞬間はカナダ中でこんな光景が見られていました。ホッケーの優勝で、こちらはこの1年、浮かれ気分で過ごせそうな予感。。。

次回は私なりのオリンピック総集編です。お楽しみに!