Saturday, May 14, 2011

ガラスのうさぎ


このところの楽しみにバンクーバー市立図書館に行くことが加わった。卒業審査の結果待ちの状態だけど、大学生活も終えて、少し時間の余裕ができた。そんな今、むしょうにこれまで何年もできなかったこと、読書がしたくなった。ここ何年も英語の学術書を読まされた反動で、今は日本語の本しか読みたくない心境。ダウンタウンのバンクーバー市立図書館は、児童書から大人用まで思ったよりも日本語の本が充実。この頃は行くたびにどっさり借りてくる。子供達は今、25冊も借りている。

図書館の本棚で目にとまった「ガラスのうさぎ」(高木敏子著)を、児童書だと知りながらも自分のために借りてみた。一気に、一日で読み上げた。主人公は著者の敏子さん。東京・両国に住んでいた12歳の時、東京大空襲で母親と二人の妹をなくした。父親は終戦の10日前に、敏子さんの目の前で機銃掃射で頭を撃たれて死んだ。12歳で一人ぼっちになってしまった彼女は、戦地から二人の兄が戻るまで何から何まで一人でやった。父親の遺体を乗せる馬車や遺体を火葬にする薪を手配し、一人、父親を見送った。新聞紙に包まれた父親の遺骨を一人で疎開先の家に持ち帰った。

文中より:

わたしたちは、「日本の国は、米英軍からアジアや日本を守るために戦っているのだ、アジアの子どもたちは、みな兄弟なんだ、一億一心となって米英軍の侵略を、防がねばならない。みんな、国を思い、天皇に忠義をつくせ」と教えられていた。そして、皇国日本を守るために、みな兵隊さんになって行くのだと、ただただ純粋にそう思っていた。

中略

「ほしがりません勝つまでは」とか、「足りぬ足りぬは工夫が足りぬ」といった標語を作り、国は、国民に勝つことへの執念を燃やさせた。子どもたちも戦地の兵隊さんを思い、みんなじっとがまんした。

焼夷弾を大量に使った1945年3月の東京大空襲では、たった2時間半の爆撃で10万人以上が死に、100万人の罹災者が出たと敏子さんは書いている。「黒こげの死体は、さわればポロッと行きそうに炭化して。道路にはおびただしい死体があっちこっちに横たわっていた。背中に赤ん坊をおぶったまま死んでいる母親の焼死体など、あまりのむごたらしさに思わず目をおおうばかりだった。男も女もすっ裸の黒こげ死体で、どこの誰だか、かいもくわからない」と書いている。

昭和20年(1945年)5月7日、ドイツ軍が、米・英・ソ・仏・オランダの連合軍に無条件降伏をする。5月25日、B29爆撃機により東京山の手方面が大空襲にあい、東京は完全焼土に。6月21日、沖縄の日本軍、全滅する。

それでも日本は戦いを続けた。さらに多くの死者がでた。8月6日広島への原爆投下、続く8月9日には長崎での原爆投下。もちろん、原爆が落とされなくても日本の敗戦は避けられないものだったのに、同盟国が降伏してからも日本は戦争を続けた。

天皇陛下の重大放送の後で敏子さんは言った。「どうせ負けるなら、もっと早く負けておけばいいのに。東京があんなに空襲されないうちに、やめればよかったのよ。日本国じゅう空襲されたんでしょう。広島や長崎に新型爆弾が落とされないうちにやめておけば、どれだけの人が助かったか知れない。うちのお父さんやお母さんだって死ななかったし、家だって焼かれずにすんだはず。軍隊の偉い人たち、どうかしているわ。降参だなんて、馬鹿にしている!」くやしくて涙がボロボロ出てきたと書いている。

この本は、一日で一気に読み終えてしまった。敏子さんが描写した戦争末期の情景が、なんだか今の日本の状況とだぶって思えた。原発は安全というプロパガンダを繰り返し繰り返し聞かされてきた。そして、原発がなければ電気の供給に影響を及ぼすという危機感のあおり。メルトダウンが起きてるというのに、それを隠してまでの原発推進。原爆が投下されてやっと降伏したように、だったら、あといくつかの原発で事故が起きなければ原発推進は止まらないのでしょうか。そして「想定外」でまた片付けられるのだろうか。

半世紀以上も前の悲惨な戦争の歴史、何十年も時がった今だからこそ、振り返ることができるのかもしれない。歴史は繰り返されるというのがなんとなくわかってきた。今、日本が置かれている状況もきっと、50年後くらいにやっと答えらしきものが出ているのだろうか。

まだ読んだことがない人は、ぜひ読んでみて。

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