Saturday, September 18, 2010

テリー・フォックス

カナダ全土で行われるテリー・フォックスRun。ケンの小学校では、700名弱の全校生徒が30分ちょっと力強りました。

これはウォームアップ。


何度かのラップを終えて歩いてる我がケン様とそのご一行。


いつの間にか、双子も歩いて参加。


テリー・フォックスのことはキンダーガーテンから教えられます。骨肉腫で片足切断になったテリーは、カナダ全土にガンという病気への啓蒙を広めて研究基金を募ろうと、カナダ横断マラソンに一人で挑みました。カナダ東部のニューファンドランドをスタート地点にしたテリーのマラソンはスタートから143日目にして、5,373キロ走った時点で、ガンの肺への転移で無念の断念。テリーはバンクーバーに戻り治療を受けることに。それは1980年9月1日のことでした。テリーは翌年の6月に22歳の若さで亡くなりました。

テリーのマラソンを支えたのはテリーの親友のダグ・オルワード。彼はバンでテリーのマラソンの伴走をし、テリーの食事を作りました。彼がその頃のテリーの日々を書いたプリントをケンが学校からもらってきました。そこに書いてあったことは。。。

「毎日テリーは遅くとも朝の5時20分には走り始めたんだ。まず2マイル完走。それからオレンジを食べて水を飲んで、それから午前8時20分前までに12マイル走ったんだ。平均で12分で1マイル走ったことになる(1.6キロ)。その後テリーは学校や集まりに行ってスピーチをして、それから朝食を食べて昼寝。そして昼前にまた走り始めて、午後2時頃までにはさらに8~10マイル走ったんだ。それからまたどこかでスピーチをして、ランチを食べてから午後5時までまた走った。天気が良くて気分もいい日は31マイル(50キロ以上)走ったよ。テリーは絶対に歩こうとしなかった。テリーは歩くのはもっての他と思ってたんだ。

今の時代の義足だったらテリーは1日に80キロは走れたと思う。あの頃、テリーの義足は700ドルだったんだ。今は、電動の素晴らしい義足が10万ドルもする時代だ。今の時代、どんなにいい義足を着けてたとしても1日に20キロも走ることができる人はいないと思う。テリーみたいな義足を着けてた人は1日に10キロも走ることができなかった。だからテリーのカナダ横断マラソンは奇跡的と言われたんだ。テリーでさえ自分がやってたことに驚いていたよ。」

義足で143日間毎日フルマラソンを完走し続けたテリー・フォックス。テリーは後に続く世代に大きな教訓を残しました。これまでテリー・フォックスRunを通じて集まったガン研究募金は5億ドル近く。

ケンが小学校に行くようになって、日本人カーチャンもこの国の歴史や人物について色々学ぶようになりました。

テリーよ、安らかに眠れ。

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