Friday, January 08, 2010

全身スキャナー導入というニュース。

自慢じゃありませんが、4年近く飛行機に乗っていないので、旅にかかわる知識と経験がすっかり疎くなりました。昔(といっても10年ほど前のこと)、成田への出発30分前にシアトル・タコマ空港に到着した時は、チェックインを終了してしまったカウンターで頼み込んだら飛行機に乗せてもらえたし、3年前、トロントで最後に飛行機に乗った時は、授乳用ミルクをチャプチャプさせながら手荷物にした時も平気でした。あの時、手荷物検査で我が家族の前に並んでいたのはあきらかに中東系の家族。我が家と同じ境遇でありながら、向こうさんはすべての手荷物を調べられていました。

中東系カナダ人のクラスメートも言っていました。ラスベガスにバチェラー・パーティで行った時、一緒に行ったヤローはみんな中東系。といっても、カナダ育ちで自分達のアイデンティティはと聞かれたら「カナディアン」という人達。が、ラスベガス空港に着いた時、一緒に行ったヤローの預けたスーツケースはすべて一つ残らず空港関係者によって開けられていたと。「僕達はどこにいて何をしていても、当局は必ず僕達のことをすべて知りつくしている。どこに住んで、どこで仕事して、子供は何人でとか。こんな社会で、僕らの子供の将来が心配なんだよ」と彼は言っていました。

平和とは一体、なんなのでしょう?今の世界情勢では、「平和」という言葉がイルージョンのように思えることがあります。平和を提唱するあの大国。平和を盾に世界のあちこちの国に行っては「平和活動」とか「民主化」という言葉で、無防備な市民がいったいどこまで犠牲にならなければならないのでしょう。

2009年はジョン・レノンとオノ・ヨーコの「平和を我らに」ベッドインから40年でした。インタビューでジョンが言っています。「平和を我らのものにするためには暴力に立ち向かわなければならない。そのためにはずっとベッドにいて、髪を伸ばし続けろ。Give peace a chance(平和を作るためにチャンスを与えろ)」と。

モントリオールでベッドインの部屋に招待されたタールトン氏が言っています。

「ボクが部屋に入った時、レノンと奥さんはベッドにいて、僕が思い浮かべていたレノンとは違ったんだ。彼は歌ってなかったんだ。だけどその代わりに、二人は次から次へと行われるインタビューでずっと同じメッセージを語っていたんだ。”僕達はこの世界のあらゆる命を殺し続けている。それを止めることが我々一人ひとりの責任だ。何もしないということは僕達に残された道じゃない”と」

ジョンとヨーコが平和を訴えかけたベッドインから40年がたちましたが、一体、今日の世界では何が変わったでしょう。

平和は、世界レベルで達成されるものだけではなく、毎日の暮らしの中にも散りばめられています。

ここでダライ・ラマの「人生の指南書」の続きを。

●ルールを学ぶと、そのルールをどのようにうまく破るといいかわかるだろう

●些細な口論で偉大な友情をだいなしにしてはならない

●間違いをおかしたとわかった時、すぐに修正するよう努めること

●毎日、自分ひとりの時間を作ること

●静けさが時には一番の答えだということを忘れてはならない


1 comment:

Me said...

同じく、数年飛行機に乗っていない者です。
いろいろ変わりましたね。
エアーフランスのビジネスクラスでは、つい最近、成田からパリまで飛んでいた時に、乗客の手荷物から現金が消えた、なんてニュースもありますよ。
JAL、ANAは、機内で新聞を配るのをやめるんですって。
びんぼくさい話やないですか。
成田~ロンドンは、乗客お弁当持参になったりしてね
今に、乗客は、機内で煮炊きするようになったりして。