Monday, January 25, 2010

副業の話を。。。

クラス発表の日がどんどん近づいてきています。一応あたしもカナダに来てから100戦練磨で来ましたが、プレゼンテーションだけはいつまでたってもだめ。ブー。先日、クラスメートと打ち合わせをしてた時、思わずこぼしてしまったあたしの本音。

「だってねぇ、社会学のクラスって、だいたいみんな英語がネイティブの学生ばかりなんだよね。そんな中でアクセントのある自分が発表するのって、すっごくプレッシャーになっちゃうの。今回は珍しく日本人のクラスメートがいるけども。。。」

そこで思いやりのあるクラスメート2名。「他にもアクセントがある人、いるでしょう?!」

「エッ、他に誰がいる?」と私。

「ホセよ!」
「あっ、そうか、ホセはスペイン人だった」と言いながらも、英語とスペイン語は似ているし、ヨーロッパの人達は「話したい!」っていう意欲が、「ノーと言えないニホンジン」と根本的に違ってるんです。ニホンジンが海外に出て損するところって、そういうところだよね。でしょ、オレンジさん?

「それに、もう一人アクセントある人いるでしょ?!」とクラスメート。
「いたっけ?そんな人?」と私。

「教授よ。彼女、アクセントあるじゃない!」

ホホー、なるほど。。。すっかり忘れていた。先生はトルコ人だった。アクセント、かなりあります。だけど、とにかく講義が面白いの。北海道弁なら「なまら面白い!」んですわ。

クラス発表で私たちのグループが割り当てられたテーマは、ズバリ、「グローバライゼーション」。なんだかんだと私は、3学期続けてグローバライゼーションのコースを取っています。このテーマは世界の将来を考えるにつれて暗くなりがちだけど、奥が深すぎてどんどん追求したくなります。皆さん、グローバライゼーションという言葉を聞くと、どんな思いがよぎるでしょうか?

先週のクラスでのディスカッションでは地震後のハイチ情勢に少し触れました。アタソイ先生がまた謎めいた質問を投げかけました。「ねっ、なんでこういう被災地に世界各地から軍隊を送り込むわけ?だって、本当に必要なのは医者や薬品や食べ物でしょ?」と。

たしかに、救出作業には軍隊も必要ですが、だからといって何千人も必要でしょうか?先週のニュースではカナダではこれまでハイチに千人派兵し、今週にはもう千人くらい送るとか。カナダだけで2千人の派兵です。ハイチの空港は軍隊機が停まっていて、救援用の物資を積んだ飛行機が着陸できないとか。これまでこういった天災などで被害をこうむった地域には海外資本がここぞとばかりに入り込んで大開発しています。こういった現象は一部の社会学者から「天災を利用した金儲け」と呼ばれ、典型的なナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」です。こういう状況を見逃さない大国がえーっと、G7だっけ?アハハ。ちょっとここで口にチャックしたほうがいいですね。

周りを見回すとグローバライゼーションだらけです。例えば、スーパーで売られている野菜や食品。メキシコやペルー産の野菜や、コーヒーはほとんどブラジルやコロンビア。消費者としては輸入物は安いので買いやすい。もちろん家族を養わなければならない人々には生活コストは安ければ安いほうがいい。

コーヒーがいい例です。1杯3ドルくらいで飲めるコーヒー豆はコロンビアやブラジルから輸入されます。そのため、あっちの国ではこれまで自給自足をしていた人々の土地が大企業に買い取られ、低賃金でコーヒー豆栽培に従事させられます。低賃金では家族を養うことができなくなり、自給自足の道が絶たれ食べるすべを失うことに。なんせコーヒー豆は世界第二の貿易品です。大企業は熱帯雨林などを伐採してどんどんコーヒー豆栽培を拡張し、農薬を使った豆栽培で環境破壊と汚染が進みます。もちろん、労働者も農薬などで体を悪くする場合も。そんなコーヒー豆が北半球の国に輸入され人々がスターバックスでコーヒーを注文する時、こういった南半球の人々が払う諸々のコストと犠牲を考えるでしょうか?ていうか、多くの消費者はこういうことを知らされてないだけです。それから、野菜を例にとっても、カナダではメキシコ産のアスパラガスやピーマン、中国産のごぼうやさやえんどうなど輸入物が多いのですが、輸入に頼る分、地元の農家が潰れていきます。恐いのは、海外で大量生産される野菜にはどんな農薬が使われているか知るすべもありません。なので食料はできるだけ身近で作られたものを食べるのがいいし、海外産の物を買うなら「フェア・トレード(公正な貿易)」品がお薦めです。

こうして考えてみると、大手のスポーツメーカーやブランド服も同じことです。タグを見てみると「メイド・イン・チャイナ」ばかりでしょ。中国の労働条件の整わない工場で多くの若者が汗水たらして大量生産した物が経済豊かな国に送られて、バカみたいな値段で売られるわけです。しかもコマーシャルで使われるセレブには法外な広告料が払われ。そしてこれまで経済豊かだった国の人々はそういった自国で生産していた工場が途上国に移され仕事を失い、家族を養えなくなる。こうしてグローバライゼーションは進み、人々の人権や暮らしのクオリティはどんどんむしばまれるばかり。。。ため息。

今日はカーチャン、ちと熱くなった(身休さん風に)。皆さん、これに懲りずにまたブログを読んでください。

2 comments:

me said...

ちょっとハナシは逸れますが
テレビが壊れましてね、その購入先のことで
悩んでます。駅前の巨大な店にするか、
普段から電気製品の修理にサッと駆けつけてきてくれる個人店で買うか。
同じ型番のものでも、なんだかんだで3万円くらい違います。しかも、巨大店で買うとポイントは付くわ、無料で5年保証なんてのもある。
こんなデカい店のせいで、昔から家族経営とかの町の電気屋さんなんて、四苦八苦、青色吐息なんでしょうね。
でも、子ども3人+オトナ2人の我が家
お金が有り余ってるわけもなく…。
いろいろ考えて、テレビ無しの暮らしは続く。
それもクソうるさい雑音が聞こえなくて、平和でいいんだけどね。

Ms. MacSaito said...

グローバライゼーションという仕組みでは、大企業が巨利を儲けて、小売店が生き残れなくなっていくのですね。そりゃ庶民は安ければ安いほうがいい。グローバライゼーションという仕組みの中に閉じ込められてしまった今の状態では、にっちもさっちもいきません。

テレビもその一例。ニュースもコマーシャルもスポンサー企業に管理されているので、結局、世界の多くの人々はグローバライゼーションから逃げ場がなくなってしまいました。ハイチの地震後に一番に軍隊を送った国がイランだってこと、ニュースでは放送したでしょうか?多くのニュースでは放送していません。だって、イランが人道支援に軍隊を送ったなんてことはニュース性がないと、どこかで決められてしまったのです。こうして我々の感覚に入る情報も事細かにコントロールされている日常。

「グローバル」という聞こえのいい言葉、とくに国際化を高めようとしている日本ではとてもいい響きですね。我々はグローバルな消費者であって、グローバルな市民ではないと何かの文献で読みました。