Wednesday, June 16, 2010

親愛なるメアリー

今日、バスに乗りながら、ふと、メアリーにしばらく会いに行ってなかったことを思い出した。先月会いに行くことになっていたけれど、私達家族に何か急用ができて行けなくなり、今月行こうと思っていた。今は家族全員が風邪を引いてる状態なので、抵抗力の弱いメアリーには風邪が治ってから行った方がいいと思った。

夕方疲れて家に帰った。夫が、「パッツィから電話があったよ。メアリーが今朝亡くなったって。」と言った。

そうか、昼間メアリーのことを思い出したのは、こういうわけだったのかと思った。

メアリーは私と夫が6年間住んでいたタウンハウスの隣人だった。ブロックリン出身の生粋のニューヨーカー。黒人。ニューヨークの大学で博士号を取り、1970年代にブリティッシュコロンビア大学で看護学を教えるために、東部のニューヨークからカナダ西部のバンクーバーまで車で大陸横断してきたタフな女性だ。2000年に私達がタウンハウスに引っ越した時、彼女はすでに悠々自適のリタイア生活を楽しんでいた。とてもお洒落で、存在感ばっちりのボルボに乗っていた。人形作りが趣味で、コンテストでよく優勝していた。ワードローブは70年代のレトロから含めてシックで上品で、かと思えばファンキーな服で埋め尽くされていた。赤や青の鮮やかな原色が彼女の黒い肌によく似合った。家の中はアフリカンアートで飾られていた。

友達が多くて、よくパーティによばれていた。最後に会った時も、「明日はデートなの。相手は奥さんを亡くした男性よ。どっちの服がいいと思う?」と2着のコーディネートした服を私に見せたメアリー。私が知っている限り、彼女は生涯独身を通した。自立して、飽きない趣味があった彼女には老後の一人暮らしが寂しいなんて思わせるところが一切なかった。

我が家に子供が生まれると誰よりも喜んでくれた彼女。私達がタウンハウスから別の家に移っても、私はなぜかメアリーに会いたくて、タウンハウスの近くに行く時は彼女のドアをノックした。

「このマフラー、どう思う?」と新しく買った物を見せてくれたり、家の中のリフォームを自慢げに話したり、人形作りへの意欲を最後まで失わなかったメアリー。

パッツィの話では、3週間ほど前にメアリーの健康状態が悪化したという。1週間前に自分で入院を決断。次第に意識が薄らいでいき、今朝、友達に看取られて逝ったという。

パッツィもタウンハウスの元住人だ。彼女とメアリーは30年近くをあのタウンハウスで共にした友達だ。

無宗教だった彼女は、葬儀はいらないという遺言を残していたらしい。すでに身近な友達の間で、来月、メアリーの生涯を讃える会を開くことが予定されている。

今日初めて彼女の年を聞いて驚いた。80歳だったとは。

自立した人生を最後まで美しく生き抜いたメアリー。人生のいいお手本の人だった。

1 comment:

me said...

誰かを失うことは、とてもとても寂しい。