Saturday, March 20, 2010

Life begins when expectation ends



5年ぶりに運転免許証を更新し、先日新しい免許証が届きました。BC州の運転免許証は更新するたびにデザインが変わっています。モダンですな。

ところで、免許証と一緒に何やら写真の書面が入っていて目を通しました。

「あなたが死亡した場合、臓器提供に同意しますか?」の質問で始まり、答えが「イエス」の場合、さらに細かく3つの質問。
a)臓器提供のみに同意、b)臓器提供と遺体の生体研究に同意、c)臓器移植の場合に提供する臓器名となっています。私はずっと臓器提供を希望してきましたが、今回は少し質問が突っ込んできていた。

いくら死んでるとは言っても、自分の体を生体研究に使われて、あちこち切り刻まれるのもどんなものだろう~とか、ホルマリン漬けにされるのもなんだかいやだな~と、そこまで親切心を持たなくてもいいかと思い、結局は臓器提供のみにチェックマークをつけて返信しました。自分の臓器を誰か必要としている人に移植されて、その人が良い人生を過ごせるなら、こんなに嬉しいことはありません。

死は怖いことなのかもしれませんが、たまにはそれを考えることがあります。変なヤツだと思われるかもしれないけど、まず、自分が死んだら、宗教形式ではなく、お別れの会をしてもらいたいこと。私を知ってた人に来てもらい、パーティ好きの私らしく、美味しいものと飲み物で私の思い出を話して盛り上がってもらいたい。歌もダンスもあり。お墓よりも、遺灰は日本とカナダの中間の太平洋にでも撒いてもらいたいな~。こうやって私の希望をあらかじめ知ってもらっていたら、周りも困らないのではないかと思って。

ここ数年で親しかった友達が二人若くして逝ったり、知人だった人達が不慮の事故で亡くなったりしたこともあり、死を考えることが出てきました。それにつけて思うのは、自分が死と直面する時に恐れや後悔を感じたくないこと、そのためには毎日の暮らしをよく生きていかなければならないと思うようになりました。

「死を受け入れられる人は、そのうち人生が宝物だということに気づくだろう」
友達のルイス君がこの前Facebookにコメントしてた言葉です。若いのに感心。私もこの言葉に同感です。

インドの哲学者のシュリ・チンモイが言った、私が胸に掲げている言葉があります。
「Peace begins when expectation ends」
これは、人々の心から期待感が消えると、心の中に平安が生まれるということです。私もこの言葉に出会うまで、いつも心の中で「これはこうあるべきだ」とか「自分はこれを所有することができたら幸せになれる」とか、「あの人が自分にこれをしてくれたらとか、こう言ってくれたらいいんだけど。。。」などと、絶えず何かを心の中で期待、計算していました。それがかなわないと怒りがこみ上げてきたり、物事がうまくいかないと思ったり、心のありかたはすべて期待感に左右されていたのです。この言葉と出会った頃、自分の中ですごい変化が起きていて、人生が変わる経験をしていた時期でした。その時、ちょっと心の改造をしてみたのです。心の中に期待を作ることや、物事への執着を減らすように努めることにしました。その代わり、物事をありのままに受け止めることにしてみたのです。そうすると、自分は一人で生きてるのではないという、セルフィッシュな感覚が取れ、周囲の人達やこれまで関わってきた人達、見ず知らずの人達から助けられて、自分のいる環境の中でいろいろな偶然が働きあい、生かされているんだということにも気がつきました。これまでの物の見方、人生観が大幅に変わりましたが、生きることがとてもラクになりました。

こんな感じでここ10年ちょっとやってきました。本当はもっともっと瞑想のできる時間がほしいけど、ヤツらがカーチャンを求めているうちは、まだそこまでいってません。焦らずにその日が来るのを待ちます。

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