Monday, April 19, 2010

「ハートロッカー」を見た後で。

「ハートロッカー」が、今年のアカデミー賞で最優秀作品賞、監督賞、脚本賞を含む6部門の受賞をした。この映画を見た私の感想は、とても暴力的で気分を害する作品、それでいて反戦メッセージもなければイラクで起きていることを現実的に描写しているわけでもない。なので、なぜこの映画がアカデミー賞を多数受賞して、アメリカの主要な映画祭(ロスアンジェルス、ニューヨーク、シカゴ、ボストン、ラスベガス)で最優秀賞を受賞したのか理解しかねた。この映画がアメリカ全土で高い評価を受けたことに、私は危惧している。なぜならそれは、イラク侵攻を正当化することにつながるからだ。私たちは子供たちに暴力はだめだと教える。それでいて、組織だった軍隊による暴力を認める社会。この矛盾はどこからくるのだろう?

ストーリーはいたって単純。イラクでのアメリカ軍の爆弾処理班の話だ。とりわけ、爆弾処理スーツに身を包み爆弾を処理する男を中心に描かれる。この男があちこちに仕掛けられた爆弾を解除するのを、いつも建物の中から遠巻きにイラク人が見つめている、それだけの話し。私にしてみれば、この主人公は爆弾処理をすることに取りつかれたサイコ兵士にすぎなかった。だからこういうサイコはイラクだけでなく、爆弾がある国ならばどこにでも行っただろう。私がこの映画を受け入れられなかった理由は、ストーリーがあまりにも一方的に描かれていて、イラク戦争の奥の深さをまったく無視していたことだ。つまりこの映画は、アメリカのプロパガンダを全面的に押し出した一方的なストーリーになっている。この映画は、アメリカ軍の兵士はテロリストからアメリカ国家を守るために戦っているという、間違ったメッセージを観客に投げかけることになるだろう。限られた描写のこの映画を見ると、大きな誤解を招くことは必至だ。イラク戦争に根ざした問題はあまりにも大きすぎる。それをこの映画では、まるでアメリカ政府のように、観客に真実を伝えることをしていない。たとえば、アメリカ政府が発表した、イラクには大量破壊兵器があるという情報に私たちは惑わされた。また、アメリカ政府はサダム・フセインが同時多発テロに関与していると発表した。これらのことにより私たちはイラク戦争を正当化させられた。

先日クラスでこの映画についてディスカッションをした時に、私の恐れていたことが表面化した。ある学生は、この映画はイラクでの日常を描いていると思った。また、アメリカ人の学生は、イラクで何が行われているか見ることができて良かったと語った。彼女は、「メディアはイラクで起きていることを見せないので」と言った。こんな意見が出たけれど、この映画はイラクで起きている真実に基づいて描かれているわけではない。ただのフィクションに過ぎない。ちなみにこの映画の脚本を書いたジャーナリストの肩書きを持つマーク・ボールは、これまでプレイボーイ誌やローリングストーン誌に記事を書いている。このような雑誌に記事を書くライターがジャーナリストとして、イラクで起きている現実を書くことができるのだろうか?にもかかわらず、なぜ人々はこの映画がイラクで起きている真実だと考えるのだろう?イラク戦争で最も重要な問題は、イラクの民間人だ。アメリカ軍の攻撃で家族や住居や財産を失った人々にまったく触れることなく、どうしてこの映画がイラク戦争の現実だと言えるのだろうか?これまで100万人以上のイラクの民間人の命が失われたとも言われている。映画では、イラク人の「声」を聞くことができず、もちろんのこと彼らの考えを描写するシーンは皆無だった。私たちはメディアによって知らされていないことがありすぎるだけでなく、この映画すらその任務を怠っているのだ。さらに悪いことに、カメラを固定しないで撮影する「揺れるカメラ効果」で、この映画はドキュメンタリーのように描かれている。そのため、観客は現実を見ているかのような錯覚に陥ることになる。私は、この一方的な映画が私たちの社会に投げかける影響、つまり、イラク戦争の正当化が心配でならない。

続きは次回。

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